第9話「マイルームと獣耳!?」
「あれ……もっと近くにあると思っていたんだけど。かなり遠いんだな……この距離なら、空間を飛び越えるバスぐらい用意すればいいだろうに……」俺は独りごちた。
セレモニーが行われた中央広場〈インターゼクト〉から見えていたトーテムタワーは、一体なんだったんだろう。意外と近いと思っていたが、徒歩で歩いて……かれこれ一時間。
空間に浮かぶ矢印が導いてくれるから迷うことはないが、結構な距離だ。
到着した瞬間、なぜ最初は近くに思っていたかがよく分かった。建物がデカ過ぎるのだ。
「何これ? 巨人にでも合わせたのかよ。おぃいい!」思わず呟いてしまうほど、構図から何からおかしな建物だった。
まず、入り口がデカい。アーチ型の正門は、一般的な校舎がすっぽり入るほどの高さはあった。そして全体がガラス張りなのだが……透明度が高過ぎる。光の反射と偏光で形をなしているが、角度によってはタワービルそのものが見えなくなっても不思議ではない。
何人かの女子と一緒に、その門をくぐる。その中には既に大勢のライダーが到着していた。まあ……俺はのんびり来たからな。決して日頃の運動不足のせいではない。
それにしても……下のフロアから見上げると、上のフロアを歩いている子達が丸見えなのは、何とかならないのだろうか。スカートの中まで、はっきりと見えるぞ。もちろん、すぐに上を向くのを止めたことは付け加えておこう。
「あのー、すいません」
ドキリ。心臓が止まる。いや、上なんて見てませんから、俺。一回チラ見しただけですよ、マジで。
「な、何でしょう?」振り返ると同時に、声が裏返るのはお約束だ。
「自分のマイルームって、どうやっていけば……いいんでしょう? 広いから分かんなくて」
……ん? もしかして俺。係員と間違われてた? どうりで男の姿でも不審がられないわけだ。なるほどスタッフね……。そうかそうか……。くぅ。
「こう見えて、私もライダーなのよ! ウフッ」と、勇気を振り絞って言ってみた。ちょっとだけポーズを添えて。
シンプルなTシャツ姿だったし……まだ見てない自分の顔に補正がかかっていれば、中性的なキャラで押し通せると期待した。
それがいかに無理筋であるかは、少女の目の陰り具合で分かった。と言うか、固まっていた。
タタタッ、と逃げるように走り出す少女。連れの女の子が他にも二人いたらしい。すぐに仲良くなれるのは、若い子の特権だな、うん。
〈あの人、スタッフさんじゃないってー〉
〈えー、嘘ー、じゃ、何なのあの人。どう見ても、案内係の男でしょ。えっ? 違うの? きもーい〉
〈気をつけた方がいいよ。こういうゲームには、裏技で混じってくる男子がつきものだから。すぐ虫みたいに、すぐついてくるんだから。きもーい〉
おいおい、”きもーい”は聞こえないように言ってくれ。宇宙空間に来てまで聞きたくない言葉ナンバーワンだぞ。日頃から妹で鍛えられてる俺でも、見知らぬあんたらに言われたくない。
それにお前ら、そんな発言してるとオーディションの採点に不利になること請け合いだぞ。かと言って、冒険を頑張って賞金を狙うタイプでもないだろうし。
改めて半透明な建物の中を見回す。すると奥の方は、人が流れている――。いや、文字通り本当に流れているのだ。
突き当たりの十字路を横切るように、左右に人が流れていた。足元の床が動いているわけではない。重力の流れがそこにあるのだ。それを重力の輪と表現していいかはちょっと自信がないが、恐らくそうだろう。雲のようなフワフワした物質はドーナツ状の形をしている――まるで浮き輪だ。
どうやらその輪に体を預けると浮かび上がり、体が流されていく仕組みのようだ。渦を捕まえるタイミングは、回転ドアに入る要領か。いや、それよりはもっと早い――大縄飛びの間合いが近い。
若い女の子達の集団は、日頃のダンスの成果を見せるようにリズミカルにその重力の渦に飛び乗っていく。それも流れるプールで浮き輪にまたがるような、キュートな格好で。
よし! 俺も行くぞ! この程度がこなせなくて何が冒険だ。
よし、うまくいった! 何だ意外と簡単じゃないか。覚悟をきめればチョロいもんさ。プカプカ……プカプカ。重力の輪の流れと周囲の人の波によって、ロータリーのような場所に押し流される。すると……
シュッ! ドパパパッ!! うっひょー!
ちょうどウォーターフォールの逆バージョンのように、下から上に噴き上げられた。あーーれーー! これ、エレベーター機能もあるのかよ。
俺のマイルームは最上階だったらしく、天井に打ち付けられる寸前の階で止まった。フロアを示す空間表示は、「255」の数字を映し出していた。
広い……それにどんだけ長い廊下よ。重力浮き輪が進んでいくのに任せ、俺はブツクサ言いながらその廊下を進んだ。途中で二、三人の子とすれ違った。恐らくマイルームの確認を終えて、これから散策するところなのだろう。
体を運ばれながら、部屋の扉の数を数えてみると五個しかなかった。どんだけ贅沢なんだ、ここの造りは……と言いながらも、顔が自然とほころぶのを感じた。これなら、部屋の中はアラブの宮殿並みに広いことだろう。果たして、一番端の部屋で重力の輪が止まった。
――ここか。さらに角部屋ときた。
その乳白色の扉の前に、胸をときめかせながら降り立つ。
プシューーー。
……何これ、小っちぇえ! 四畳もないだろ! 俺の部屋よりも余裕で小っちゃいじゃないか。
もう、いいから……。こういう受け狙い、いらないから。部屋を見た瞬間に、ネットリスナーの笑いでも取るつもりなのか。こういうのって、絶対俺だけなんだよな……。天然いじられキャラは嫌です、先生。
目の前には、冗談じみた大きさの部屋が展開されていた。ベッドが一つ。はい、それだけです。ただし、壁全体は全面ガラス張りなので、景色が一望できるのが売りになっている模様。さすがに女子のプライバシーに配慮して、タッチパネル式の映像カーテンが備わっていた。
――景色は一見して良さそうだが……。あまりにも高度があり過ぎて、下に雲が見えるだけじゃん。眺めてるだけで怖くなるってどういうことよ。
それでも目の前のウォーターベッドで、これまでの疲れを癒やすことができそうだ。水をそのまま固めたようなベッドは、寝心地が良さそうだった。
マイルームの映像放映に関しては、ベッドの枕元のツマミで「同意/不同意」が選べるようになっている。俺はもちろん――不同意だ。それに、プライバシーに配慮して、アーマード事態にもプライベートモードが備わっている。例えばヘッドセットに設定すると、顔の前面にガードシールドを展開して、隠すことができる。男女の区別もできなくなるほどで、俺にとってはうってつけだ。
他は……、何だこれ?
壁に丸い切れ目が入ってるぞ。手や……体も入る大きさだ。ズブリ。ああっ! ロッカーか。きっと旅のアイテムやこの世界の貴重品などを収納しておくんだろう。まあ、基本的には冒険している時間が長いだろうから、マイルームなんてバカみたいに小さくてもいいだろう。それにしてもさ――。
グルルルルー。文句の一つでも言おうとしたが、それよりも先に腹の虫がかんしゃくを起こした。腹減ったなー。結構いい時間――午後四時ぐらいか。よし、預ける荷物もないし、さっき聞いたレストランにでも行くか。
思い立ったが即行動。俺はマイルームを勢いよく飛び出した。えーっと、レストランは? キョロキョロと案内板を探す。すると、あった。
レストラン『エニモー・イヤーズ・マニアクス――この先、一直線に下る』とある。
……マジかよ。この通路から落ちるんかよ。下の方に光は見えるが、分類としては「奈落の底へつながる穴」だ。ふー。重力を無視するには、なかなかリアルの恐怖が邪魔をして……つ・ら・い・ぜっ、と。とおっー!
一瞬尻込みしたが、そこは男子たるもの。覚悟を決めたら決断は早い。俺はダスターシュートを降下するごとく、そのレストランまでの直結通路を滑り降りた。
ヒュー――、ストン。とほんの十秒ほどで目的地に到着した。着地成功。
おー! 何と言うか。これはこれは。
『エニモー・イヤーズ・マニアクス』は、レストランというより食堂だった。もっと言うと、いくつものスクエアテーブルを並べた――学食みたいなところだった。
いやっほーい。腹減ったー。何があるのかな?
俺は目の前に誰かが座っているのも気にせず、メニュー選びに取りかかった。学食のような大テーブルだ。別に相席というほどの距離感でもない(まあ、相席だけど)。
食堂内のテーブルや椅子は、メタリックで統一されていた。メニュー表示は、定番の空間ウィンドウだ。
注文を聞きにくる、触手持ちのタコ・イカ系エイリアンでもいそうな雰囲気だが――そうではない。そんな旧式では決してない。ここでは両手にシルバートレイを持った、獣耳装備のウェイトレスさんが慌ただしく動き回っているのだ。
――レストラン『エニモー・イヤーズ・マニアクス』。って……、獣耳好きってことか!
ネコ耳。ウサ耳。キツネとオオカミ。クマにヒツジにハムスター。変わったところで言えば、キリン耳か。
耳は違えど……なぜか、全員ビキニスタイル。模様はそれぞれの種族の柄だ。
――ここは海の家なのか? そうなのか?
尻尾が自然と揺れ動くのは、見ていてほほ笑ましいが……ネコ耳ウェイトレスさん。その肉球付きのグローブでトレイを運ぶのは、危なっかしいぞ。
「ドリンクは、下のクイックディスペンサーから自動で出ますのでー! 飲み放題ですから、お好きなものを選んでくださーい。ニャニャニャ、ニャンとっと」
と、元気な声が飛び交っている。この大勢のお客を相手にして、ややテンパっているのはご愛嬌だ。本当は無尽蔵にNPCを増やして、迅速な対応もできるのだろうが、あえてそうしていないと見える。きっとアミューズメント施設特有の雰囲気を再現しているのだろう。
それにしても、ネコ耳女子。あれだけ元気があれば、リアル世界の接客業では引く手あまただろう。
――あれって、本当にNPCなんだよな。
ぱっと見は普通の人間と区別がつかない(いや、ネコ耳だけれど)。ライダー女子のハイクオリティと差別化するために、少しはグレードを落とせばいいものの、そこは最新型。オーディション参加の女の子達と比べて遜色がないほどの、可愛い子ちゃん揃いなのだ。
そしてまた、やけに人間らしい行動を再現している。あーあ、こぼしちゃったよ、ネコ耳の子。NPCの芸が細かいのか何なのか――可愛いから許すけど。
客の子達の中にも、その可愛いコスチュームに目を輝かせている子が何人もいるぐらいだ。
よし。俺も頼むか。
ドキドキしながら、「Shoot!」のボタンを押す。すると、金属素材のテーブル板が円形に開き、下から何かがせり上がってきた。
……何コレ。銃? いや、俺がガソリンスタンドのバイトで使ってた給油ノズルに近い。ドリンクはセルフ式ってこと?
グラスに注がずに、このディスペンサーから直接自分の口に噴射するのが未来スタイルらしい。早速俺は、地球上で最も有名な”コから始まる炭酸飲料”を口に噴出し、その清涼感を味わった。
「うんまーっ!」と声を漏らした直後。
「ちょっと。勢いよくこっちにも、かかってるんで・す・け・ど」
斜め前に相席していた子が、顔を上げて言った。その勢いで、彼女の後ろ髪――セルリアンブルーのポニーテールが揺れた。