座敷童の婿入り
昔に書いた短編作品です。
「あらすじ」にも書きましたが、新人賞に応募して落選していますが、まあ、当然でしょう(^^)
余りにも淡々と物語が進行するのですから(^^;)
ノーアクション、ノーエロ、ノーサプライズ・・・・・・
とはいえ、自分が書いた物語なので、気に入っている作品でもあります。
まあ、作者ぐらい、気に入って上げないと、誰も気に入ってくれないかもしれませんから(^^;)
親愛なる我が子供達へ
この手紙を読んでくれる我が子達の幸せを祈って、お父さんは書いています。
君達のお母さんはきれいだろ? お母さんと初めて会った時は、本当に可愛いと思ったよ(うん、絶対に今もきれいだろう。そうだろ?)。
君達のお母さんは強いけど、優しいだろ?(もし、怒られる事が有っても、それは君達の事を考えて怒っているんだよ、絶対だ。お父さんが保証する)。
君達のお母さんは疲れているだろ? お母さんはお父さんと会った時から大変な責任を背負っている(そばに居たお父さんにはよく分かる)からね。だから、君達はお母さんを助けてやって欲しい。お父さんはこれ以上、お母さんを助けてやれないからね。約束して欲しい。
最後に・・・ すまない。本当に君達のそばに居てあげたかった。君達を助けてあげたいし、一緒に遊んであげたいが、こうなる運命だったんだ。
だが、これだけは自信を持って、言ってあげられる。
君達を心の底から愛している。
西暦2014年6月17日 一上和哉
第一章『訪問者』
土岐和哉は新聞の夕刊配達のバイトが終わって、児童養護施設『星ひかりの里学園』にいつもの時間に帰って来た。
今日の彼は機嫌が良かった。
なんせ、ジーパンの右のお尻ポケットにはもらったばかりの給料袋が入っている。
高校進学と同時に朝刊と夕刊の配達をするバイトを始めた彼にとって、給料日は月の区切りの大事な日だった。そして給料日には何も買わずに、もらったままの給料袋を自分の部屋で開ける瞬間は、ほんの少しだけ幸せを感じる時間だった。
同じバイト仲間で、同部屋の同い年の片山民彦は和哉と違って、必ずお菓子を3袋だけ買って帰って来る。和哉同様に無駄使いをしない民彦だったが、こればっかりは学園から小遣いをもらいだした小学生の時からの習慣だった。
そして、和哉にポテチを嬉しそうな顔で分けてくれる。和哉も大袈裟にお礼を言って、5枚だけ食べる。これも小学生の時からの習慣だった。いつも民彦に勉強を教えてあげているお返しだった。
廊下を歩いていると、施設の幼い弟や妹たちが和哉を見つけて飛び付いてきた。一人一人の頭を撫でてあげる。
小学5年生の時に前後して入園した高校2年生の和哉と民彦は、施設の職員よりも子供たちに人気があった。歳も近いし、暇な時間に一緒に遊んであげたり、鉄棒や球技の練習に付き合ってあげたりするからだった。特に和哉には懐いていた。あと一人居る同学年の本村幹雄は二人と違って、時間さえ有れば遊びに出掛けて、小さな子供の相手をしてやらないし、粗暴な性格が災いして子供たちに人気が無かった。
小学1年生の女の子の頭を撫でた時に和哉の手が止まった。
「ユッコ、熱が有るぞ。しんどくないか?」
「うん、ちょっとだけ。だいじょうぶ」
和哉は女の子の前でしゃがんで、目をじっと見てから抱締めた。胃腸関係に異常は無い。どうやら単純に風邪のようだった。春特有の気温の変化に付いて行けなかったのだろう。ただ、今晩あたりもっと発熱しそうだった。
「お熱を測ろうね」
と言って、和哉は通り掛った保育士の福田さんに声を掛けた。和哉は症状と原因を耳打ちした。彼の診断に疑問を抱いていない福田さんはそのままユッコを保健室も兼ねる職員室に連れて行った。
振り向いたユッコに笑顔で手を振ってから、和哉は周りの子供たちに言った。
「みんな、おそうじは済んだ? もう少ししたら晩ご飯だから、手を洗っておいで」
みんなはおとなしく食堂横の洗面台に向かった。
自分達の部屋に入った和哉は給料袋を開ける儀式を始めた。一万円札が12枚と千円札が9枚、小銭で675円が入っていた。
配達している部数からすれば異例の金額だった。所長さんとの約束の為だった。
和哉が配り始めると、その地区の新規申込が大きく増える。確かに転入してくる住民も多いが、そのペースを遥かに上回る異常な上昇率だった。だから、所長さんも和哉を常に新しい配達地区に回していた。そのおかげで、この新聞社の占有率は県内でも飛び抜けていた。
高校卒業と同時にこの学園を卒園しないといけないので、和哉は一人暮らしと商売を始める軍資金にする為に毎月11万円を貯金に回していた。両親の生命保険の配当金は別に残してあるが、この施設に寄付する気だった。だから残りの1万9675円が今月のお小遣いだった。もっとも昼食代も含んでいるし、買いたい参考書も何冊か有るから贅沢は出来そうになかったが、浪費癖のない彼には十分な金額だった。
お小遣い分を財布に入れて、11万円を給料袋に戻した時に民彦が帰って来た。もちろん、手にはお菓子が入った買い物袋が握られている。
「お疲れさま。食堂に行こうか?」
「そうだね。今日はカレーみたいだ。みんな、うるさいだろうな」
子供に人気があるメニューだけにその日の食堂は騒がしかった。
数日後の日曜日の朝、自分に面会希望者が来ていると園長に言われた時に、和哉は思わず首をひねった。高校の先生でもないと聞いて、ますます首をひねった。同部屋の片山民彦と山田康夫が好奇心を顔面に貼り付けている。もう一人の同居人の本村幹雄は朝早くに出かけていた。
「誰か心当たりがいないの? 日曜日の朝から来るなんて、よっぽどだよ?」
一つ下の康夫が訊いて来た。彼も和哉にとっては弟のような存在だった。
「いや、無いな。犯罪をした覚えも無いし、表彰されるような事をした覚えも無い」
慌ててよそ行きの服に着替えながら、和哉は答えた。
園長に続いて、和哉は園長室に入室した。園長室で待っていた人物は二人居た。
そして、和哉は弱々しいとはいえ、久し振りに同族に出会った。
「お待たせ致しました。土岐和哉君です。和哉、こちらは大阪から来た一上さん夫妻だ」
夫婦は40歳後半の夫と少し年下の奥さんだった。奥さんは同族だったが、夫は普通の人間だった。
「初めまして、土岐和哉です」
夫婦はじっと和哉を見詰めた後で、奥さんの方がやっと言葉を発した。
「初めまして。私達は大阪で商売をしている一上信二と有希子と申します。今日は土岐さんにお願いがあって、いきなりで失礼とは思いましたがお伺いさせて頂きました」
和哉はうなずいただけで、言葉を発しなかった。
「実は土岐さんの身元引受人を申し込もうと思っています。もちろん、土岐さんがその気になってくれたらの話ですが」
「和哉、良い話だと思うぞ。正直な所、卒園後の自立に苦労する園児達も多い。その点、一上さんは大学卒業まで面倒を見てくれて、その後の就職までお世話をしてくれるそうだ」
和哉はまたうなずいただけだった。この夫婦は少なくとも悪い人間では無い。
この時代まで生き残った同族には、もう大昔のように暴走する者は居ないはずだった。人間社会に溶け込めない同族は淘汰されているし、和哉のように本性を保持できるほど昔の力を持っている者も少ないはずだ。現に奥さんの本性は弱々しくて形を成していない。
問題はこの申し出の真意だった。それをこの場で問い質すのは無謀だった。何とか園長抜きで話す必要があった。しばらく考えた和哉は提案した。
「少し歩きながら話しませんか? もし、よろしければこの町の案内をしますよ」
一上夫婦は少し驚いた顔をした。和哉はやり過ぎたかと思ったが、返事は夫婦から同時だった。
「ええ、喜んで」
園長の方を見ると、了解の印にうなずいていた。
園長を部屋に残し、三人は『星ひかりの里学園』の玄関を出た。和哉を見付けた子供たちが寄って来る。みんなの頭を撫でてやって、元気になったユッコを抱き上げた。
「元気になったな。でもしんどくなったら、直ぐに言うんだぞ」
「うん。かずやにいちゃん、どこにいくの?」
「お客さんにこの町を見せてあげるんだ。ほら、お城の跡とか在るだろ? この町のいい所を知って欲しいからね」
「いいなぁ。ユッコもつれていってくれない?」
「今日は駄目だなぁ。でも、いい子にしていたら来週の日曜日に、みんなでどこかに遊びに行こうか?」
「ほんと? なら、いい子にしてる」
周りの子供たちも一斉に「ぼくも、ぼくも」と声を上げた。
「よーし、園長さんに後で言っておくよ。みんながいい子にしていたら、だぞ」
子供たちは嬉しそうな声で口々に返事をした。その声に驚いて、職員の谷垣さんがやって来たので、和哉は後を任せる事にした。
その様子を興味深そうに見ていた一上夫婦に和哉はうなずいて、先に歩き出した。
「すごいね。小さな子供にこれだけ慕われている人間を初めて見たよ」
門から出た所で、夫の方が声を掛けてきた。
「あの子たちは優しさに飢えているんですよ。知っていますか? かなりの子供が虐待の経験が有るって。僕は幸いにして、両親の愛情だけは不足しなかった。不足したのは寿命です。もう、調べているのでしょ、僕の事は?」
「ああ。必死になって調べた。一上家はこの20年間、10人以上の人員を記録に残っていた地域に派遣した。そして発見した中で目を付けたのが君だ。もうばれていると思うが、我々の一族も力が弱って来ている。その証拠に私も妻は君とは比べ物にならない程の力しか無い。やっと授かった娘はそれなりの力を持っているがね。今は中三だ」
「娘さんが居るんですか? そんな年頃の娘さんが居る家に僕を入れてもいいんですか? 僕は狼かもしれませんよ?」
「構わない。と、言うより、娘と結婚して欲しい」
思わず、和哉は口笛を吹いた。
「冗談だと思うだろうが、本気だよ。ま、無理も無い。今日来たのは、その事を説明する為も有るんだがね」
「婿にしても、商売に利用するにしても、後10年も生きられない人間ですよ? 娘さんの気持ちはどうする気ですか? 最初から生き別れる事を前提にした結婚をするなんて、娘さんが可哀想では無いですか?」
「娘も理解してくれている」
和哉は無言になった。彼は黙ったまま、住宅地の交差点を左に曲がった。50mほど歩くと、道の右側に麓が竹林に覆われた丘のような小山があった。その頂上に石垣が見える。
「あの竹林にお城の跡まで行ける階段が有ります。直ぐに着きますよ」
階段は急勾配で、くねくねと曲がりながら頂に続いていた。三人は城跡までは無言で歩いた。
4月後半特有の空気がほてった身体を更に熱くする。
小山の頂上の城跡からはこの町が一望できた。小さな町だった。戦国時代初期にこの山城が築かれて、その後の戦乱で燃え落ちた後は、時折栄えた以外はほとんどの時代が歴史から見放されたような土地だった。
しかし、この土地は和哉たちには温泉のような効果が有るみたいだった。ここに来てから力が増えた気もする。きっと、何人かの同族が短期的にこの土地を訪ねたのだろう。しかし同族は居心地が良くても相性が悪ければ長居が出来ない。多分、泣く泣くこの地を離れたはずだった。
和哉はこの景色が好きだった。何というか、初めて見た時にこの町を可愛いと思ってしまったからだった。
しかし同時に、寂しそうな空気が漂っていた。和哉が来なければ、そのまま衰退を重ねて最後には消滅してしまうはずだった。
だが、5年前に自動車関連の部品工場が進出して来たおかげで、町は生き返ったように活気が出て来ていた。更に人口もたった5年間で2倍になった
その原因が自分だと分かっていながらも、和哉には未だに信じられない気もする。
でも、両親から教えてもらっていた通りに町は栄えだした。実際の人生では持つ事の無い自分の子供の成長を見るような気分だった。
だから和哉は残り少ない寿命ながら、ここで暮らし、ここで骨を埋める気だった。
景色を眺めていた三人の中で最初に口を開いたのは夫人の方だった。
「ごめんなさいね、急な話で。でも、私達も焦っているの。付き合いの有る一族も私達と同じように弱体化が進んでいるの。だから、ずっと埋もれた一族を探し続けて来たわ。でも、やっと見つけた十七の家族はその土地から引き離せない状況なの。かろうじて、彼らの力で地域の没落を防いでいる状態だから。そして残念ながら、今回の件に関して、他には適任者がも居ないのも分かったわ」
和哉は一上家の執念を感じた。そこまでしても力が欲しいのだろうか?
何となく、自分や両親から教えてもらった同族の性癖からは考えにくい気もする。何か未だ教えてもらっていない裏が有るのだろうか? 素直な質問をしても教えてくれないかもしれない。ここは変化球から入った方が良さそうだった。
「20年か・・・ 僕が生まれる前から探して来た執念はある意味尊敬しますよ。何にせよ、調査隊は僕を見付けた。しかも、土地に根付いていない。今ならまだ引き離しても、影響が少ない。でも、この町はやっと成長軌道に乗り始めたところですよ。あと数年は目が離せない。施設も僕が抜けたら、経営が大変になります」
「分かっていますよ、土岐さん。町までは無理ですが、施設に関しては私たちのグループが寄付を致します。合計すると年に一千万円近くは流れる予定ですよ」
それから三人は一時間ほど話し合った。結局、結婚に関しての結論は出なかったが、和哉は大阪に行く事を受け入れた。行ってみないと相性も分からない。
そして、最後に一つだけ条件を出した。
「せめて来週まで待ってもらえますか? 施設の子供たちとピクニックの約束をしましたからね」
「ええ、もちろん。引越しは夏休みに入ってからにして、二学期から転入という事にしましょう。ところで、もし良ければ、ピクニックには私たちも来ていいですか?」
「いいですよ。出来れば、小さな子供たちに安い物で結構ですから、手土産を持って来てくれると嬉しいですけどね」
「喜んで。一緒に悠子も連れて来ていいですか?」
結婚する事になるかもしれない、夫婦の娘の名前だった。
「ええ、構いませんよ。この町を気に入ってもらえたら嬉しいですね」
人知れず、この町に恵みをもたらして来た、特異な力を受け継いだ子孫が去る事が決まった。
同時に、この町が衰亡へ向かう時計が再び動き始めた。
第二章 『少女と鬼と』
土岐和哉は『星ひかりの里学園』の玄関で、自動車から降りて来た一上悠子を思わずポカンとした顔で眺めていた。さっきまでうるさかった幼い園児たちもおとなしかった。
彼女は和哉に気付くと微笑んだ。その笑みで園児たちも呪縛が解けたのか、みんなが彼女の方に近付いて行った。悠子はしゃがんで、子供たちに言葉を掛け始めた。
横に立っている片山民彦と山田康夫がひそひそと話し始めた。
「中学三年生って言っていたよな? 俺には大人に見えたぞ」
「え? 僕には小学生にしか見えませんよ」
「なあ、和哉、中三って言っていたよな?」
「ああ。確かに中三と言っていた」
彼らが混乱するのも不思議ではなかった。現に和哉も彼女の本性に困惑していた。
外見上ははっきりと言って可愛い。昔の人形を思い起こすように前髪を揃えて、腰まで届くほど髪の毛を伸ばしていた。身のこなしも上品な気がする。
簡単に言えば、和哉の好みだった。
だが、そんな外見を無視した場合、彼女は恐ろしい同族だった。
彼女の力と性質は三重に重なっていた。今は幼くて優しい面が表に現れているが、その下には歳相応の少女の面と荒々しい鬼の面が透けて見えた。隠されている鬼は禍々しいまでの力を秘めていた。こんな同族が居るなんて、両親も言っていなかった。
いや、居ると聞いていても信じられなかっただろう。一人の人間の中で同居できるはずが無いと思うはずだ。それに現代まで鬼の本性を抱えたまま生き残れた一族が居る事も信じなかっただろう。
珍しく出掛けていなかった本村幹雄が彼らの後ろで呟いた声が和哉の耳に入った。
「マジかよ?」
その声に普通の人間には感じられないはずのモノを見たという響きを感じて、和哉は振り返った。
「おい、土岐、あの子は何者なんだ? お前の仲間か?」
「どういう意味だ? いや、すまん、その前にちょっと訊きたい事が有る」
和哉はみんなの耳に会話が届かない距離まで幹雄を引っ張って行った。
「彼女がどうしたって?」
「土岐、とぼけるな。どう見ても中身は怪物じゃないか? あいつが怖くないのか?」
幹雄の声は恐怖に満ちていた。和哉の頭の中は疑問だらけになっていた。幹雄はどこから見ても普通の人間だった。それなのに何故ばれている? しかも和哉と彼女を同類と考えるほど『視える』人間が居る? そもそもどれ位、自分たちの事が『視えて』いる? 同部屋の和哉を避けていたのはそのせいか?
「おい、土岐。なんとか言ったらどうなんだ?」
和哉はある程度の情報を漏らす事にした。とぼけて言い逃れして、変な事を言いふらされるよりましだった。
「視えているなら、ずばり言おう。彼女も俺も妖怪と人間の混血だ。まぁ、昔から俺の家に伝わっている伝説ではな。だが、人間を食べたいとか、殺したいとか、そんな事は考えた事もないから安心しろ」
「いや、お前がそんな奴じゃない事は見たら直ぐに分かる。だが彼女は中に鬼みたいな、怪物みたいな、恐ろしいモノを抱えているぞ。彼女が人間を食べないと誰が保証する?」
さすがに和哉も返事に困った。今日会ったばかりの、最古の姿に近い内面を持つ同族を信じるほど、彼はお人好しでは無い。それに彼自身が驚いた位だから、幹雄には恐怖そのものだろう。だが、答えは涼やかな声でもたらされた。
「あなたが本村幹雄さんね? 初めまして、一上悠子です。心配しなくても人間を食べませんよ。きっと、恐怖を煽る為にそんな話が広がったんでしょう。まぁ、それこそ大昔の事ですからね。万が一、大昔に人を食べたとしても、人間も昔と今では食べる物が変わったでしょ? それと一緒で、私たちも今では普通の食べ物しか食べません。ちなみに、好物はレア・チーズケーキなの」
二人は同時に声がした方を振り返った。
中学三年にしか見えない少女がそこに居た。みんなは職員に連れられて建物内に入って行く所だった。その列の中に彼女の両親の姿も見えた。
「それに、そんな怪物が居るなんて、みんな知らないでしょ? 知られていたら、今の世の中、あっという間に噂が広がりますよ。そんな事ないでしょ? だから、心配しなくても大丈夫。私が保証します」
その少女、一上悠子は両手を後ろに組んで可愛らしく微笑んだ。そして、そのままの姿勢で建物の方へ後ろ向きにスキップして行った。和哉と幹雄は、彼女が器用に玄関前で向きを変えて、建物の中に入って行くのを呆然と見送っていた。
しばらくして、和哉は呟いた。
「何者だ、彼女は?」
幹雄の返事は毒気を抜かれたような声だった。
「それは俺のセリフだ」
ピクニックは大成功だった。子供たちは大喜びでバーベキューや用意された様々なアトラクションに夢中になっている。引率の為に来ている職員も楽しんでいるみたいだった。
確かに、一上家が経営する会社の総務部を丸ごと投入したら、この規模の催事など簡単に成功するだろう。彼らは下見はもちろん、官庁に提出する申請書類作成まで全て済ませてから施設側にピクニックのプランを送って来ていた。園長は判子を押すだけだった。
一上親子は子供たちと一緒に楽しんでいるようだった。その様子を見ながら、和哉は複雑な心境になっていた。その横で幹雄も牛肉の串焼きを頬張りながら親子をじっと見ていた。そう言えば、こうして二人で長い時間一緒に居る事は今まで無かった。そのせいで、今日は珍しく子供たちも幹雄を恐れて和哉に近付いて来ない。
「どういうつもりなんだろうな? まさか、油断させておいてみんなをパクリ! とかしないよな?」
「多分しないだろう。これは施設に対するデモンストレーションだ。一上家にはこれだけの力が有りますよ、というね」
「ふーん」
幹雄がやたらと旨い牛肉を飲み込みながら生返事をした時だった。悠子が近付いて来るのが見えた。幹雄が思わず身を固めた。その露骨な反応に、和哉は少し可笑しくなった。
「何、こそこそ話しているんですか? こっちでみんなと遊んだらどうですか?」
和哉が直ぐに返事した。
「その前に君と少し話をしたいな」
悠子は嬉しそうな顔で彼らと向かい合うような恰好で正座した。
「君は何者だ?」
「中学三年生の女の子ですよ。もっとも、一部の人から見ると、どうやら私は怖いらしいですけど」
幹雄がぶっきらぼうな声で答えた。
「ああ、怖いね。いつ襲ってくるか分からん」
「失敬な。この子はそんな事をしません。私に懐いていますから」
悠子は言葉とは逆に笑いながら答えた。
「ところで、どうして俺の名前を知っていた? 俺は関係の無い人間だ。用が有るのは土岐だろ?」
「和哉さんを探しているうちに偶然発見しただけですよ。昔はあなたのように私達が視えるような霊感を持った人がもっと多かったんでしょうね。最近では絶滅危惧種ですけど」
「ふん、見たくて見えている訳じゃない。嫌なんだよ、他の奴に見えないモノが」
「ひょっとして、小さい頃にみんなに言って、いじめられたとか?」
「悪かったな、単純で」
悠子はにやりと笑うと幹雄に提案を持ちかけた。
「和哉さんと同じように大阪に来ませんか? 我が家じゃありませんけど、一族の家で良ければ引き受けますよ?」
「どうせ、そこも怖いのが居るんだろ? そんな所に行くのはごめんだ」
「いえ、いえ。私みたいのはあと一人しか居ませんよ。さっきも言いましたけど、本村さんの能力は希少価値も高いし、貴重なんですよ。大学卒業までそこで面倒見ますし、就職も約束しますよ?」
「考えておく」
彼女は右手を差し出した。その手をじっと見詰めていた幹雄は根負けして握手をしてしまった。悠子は二人に手を振りながら両親のもとに戻って行った。和哉は意地悪な質問をした。
「どうだった、鬼と握手した感触は?」
「女の子の手としか思わんよ。もっとも、他の女の子とは比較が出来ないから、これ以上は答えようがない」
和哉は思わず噴き出した。幹雄は意外といい奴なのかもしれなかった。
何故、幹雄が自分を避けて来たかが分かった事で、心が軽くなっていた。
第三章 『大阪』
土岐和哉が乗る『のぞみ25号』は午後2時27分に新大阪駅に着く予定だった。あと数分だ。座席で外をぼんやり見ているように見えるが、彼は考え込んでいた。大阪に近付くにつれて高まる違和感が原因だった。何となく自然ではなかった。どこがどうという訳ではないが、違和感は膨らむ一方だった。
新大阪駅では一上悠子と、ピクニックの時に見かけた若い社員の二人が待っていた。
挨拶の後で、その社員が手を伸ばしたので和哉はカバンを手渡した。彼の荷物はそのボストンバッグ一つだけだった。中には両親の遺品と古くから伝わってきた古文書が入っている。
「ほら。やっぱりバッグが一つだけやん? 麻生さん」
「参りました。でも、ある意味、ほっとしました。男の癖に荷物を沢山持って来る人物よりは、よっぽどまともです」
「そりゃ、うちの旦那さんになってもらう人やもんな。なんやったら、また賭けてもええよ? 下着は2枚までしか入ってへんはずやで。麻生さん、缶ジュース一本でどう?」
「いいですよ。いくらなんでも4枚は入っているはずです」
「で、和哉さん、何枚持って来たん?」
「2枚」
思わず答えた後で、和哉は我に返った。会話の内容もそうだが、悠子の豹変ぶりに驚いていた。ピクニックの時より活き活きとしていた。本性が現れたと言うか(人間社会で使う意味だが)、言葉遣いも笑顔も自然だった。初めて聞く生の大阪弁は、悠子の声の質も有るのだろうが、意外と可愛いという印象だった。
「また、うちの勝ちや。帰りしなにコンビニに寄って、奢ってくれるよね?」
「いいですよ。さあ、土岐様、車まで案内します」
麻生と名乗った社員はそう言うと、さっさと歩き出した。和哉の手を悠子が引っ張った。
「さあ、和哉さん、行くで。それとも和哉様って呼んだ方がええ? いっその事、旦那様の方がええ?」
「いや、和哉さんで十分だ。それより楽しそうだな」
「当たり前やわ。待ちに待った旦那さんが来てくれたんやから」
悠子はそう言いながら、麻生の後を追い掛けた。彼女に引っ張られた和哉は内心ぼやきながら早歩きになった。
『調子が狂うな。もしかして、とんでもない所に来たのかも知れんな』
残念ながら彼の直感は大抵の場合、外れなかった。
「さあ、着いたで。ここが和哉さんの新しい家や」
途中で新生活に必要な物を買った後で到着した家は古い豪邸だった。屋敷内の駐車場に車を停めた麻生が和哉のボストンバッグを持って、先に屋敷の玄関に向かった。
悠子の後ろを歩きながら和哉は思わず周りを見渡した。金が有る所には有るという事実が形になったような屋敷だった。そして、大阪に着く時に感じていた違和感が極端に大きくなっていた。前を歩いていた悠子が和哉に声を掛けた。
「そんなに怒らんといて。ぼろ儲けしてる訳やないで。生活は質素やもん。それに変な空気が流れているのは仕方あらへん。今日は一族が揃てるからな」
和哉は無言で玄関に入った。濃密な同族の気配が濃くなった。廊下を歩いていた麻生が立ち止まって、使用人と思われる女性に耳打ちをした。追い付いた二人も立ち止まって、その女性がふすまを開けるのを待った。和哉はふすま一枚を隔てた空間に居る同族が気を引き締める空気を感じた。
「悠子お嬢様と土岐和哉様が到着致しました」
そう言って使用人がふすまを開けた。そして二人の邪魔にならないように身を引いた。またしても悠子が和哉の手を引いて、部屋の中に入った。座敷の中には二十数人が両端に向かい合わせに座っていた。真中に開いた空間を上座の方に悠子と歩きながら、和哉は上座の女性から目が離せなかった。
多分、悠子の祖母だろう。温和な外見と裏腹に、悠子と同じように中に鬼を飼っていた。力は悠子より更に強い。よくも精神を蝕まれずに済むものだ。信じられない程の精神力だった。
だが、座った姿からも疲れがにじみ出ていた。
悠子がその女性の前まで進むと上品に正座をした。とりあえず和哉もその後ろで正座をする。
「おばあ様、只今戻りました。紹介させて頂きます。土岐和哉様です」
悠子が振り向いて目で合図した。和哉はとりあえず無難な挨拶をする事にした。
「土岐和哉です。身元引受人を申し出て頂いて、誠にありがとうございます。今日からお世話になります」
「いえ、無理を言ったのはこちらです。遠路はるばるお越し頂き、誠に有り難う御座います。私が一上家当主の絹です」
絹と名乗った女性は腰の低い人のようであった。
「みんなに紹介して来ますね、おばあ様。和哉様も一緒に来て」
悠子はそう言うと、すっと立ち上がった。三度目の顔合わせの母親の有希子から始まって、一人一人の前に座り、挨拶をしていく。確かに鬼を中に飼っている人物は居なかった。そして力が和哉を上回る者も居なかった。全員に挨拶を終わると、二人は開いている席に座った。そこは悠子の両親の真向かいで、言い換えると一番上座に近い席だった。
二人が座った事を確認すると、有希子が立ち上がった。
「本日はお忙しい中、お集まり頂き、誠に有り難う御座います。当家の招きで来て頂いた土岐和哉様を、これからこの家でお世話をする事になりました。土岐様も慣れない土地で苦労されるかもしれません。なにとぞ、皆様のお力添えを賜りますように、よろしくお願い致します」
返事は万雷の拍手だった。慌てて和哉は立ち上がって、お辞儀をした。しばらく拍手は鳴り止まなかった。
「お疲れ様でした。さすがに疲れたでしょう? お風呂の用意をさせたので、ゆっくりと入って下さいな」
そう優しく声を掛けてくれたのは有希子だった。何の為の宴会か分からないまま(雰囲気は和哉の歓迎式典みたいだったが)みんなの挨拶やら、挨拶やら、挨拶やらを受けたせいで和哉もさすがに気疲れを感じていた。と言うより、身体の奥に疲れが溜まったようだった。
そして、冷静に考えればおかしな事だが、高校生でしかない和哉にみんなが名刺を差し出したせいで、胸のポケットははちきれそうだった。そう言えば悠子の姿は先ほどから見ていなかった。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
使用人に案内された風呂場は施設と変わらない大きさだった。
「おいおい、こんなに広くちゃ、水道代やガス代が勿体無いだろうに。何十人と入る施設と同じ位大きいなんて、無駄の極地だな」
珍しく、ぼやきのような言葉が口からこぼれた。
だが、広い風呂に浸かると身体の奥の疲れが取れるような開放感がして来る。施設と違って時間に追われる事がないので、のんびりと入る事にした。結局、半時間ほどで風呂から上がると、更衣室の外に悠子が待っていた。
「お疲れ様でした。おばあ様が待ってるから、一緒に来てくれへんかな?」
彼女は初めて見せた寂しげな笑顔で言った。和哉はうなずいて、彼女の後を追った。
『そう言えば、大阪に来てからずっとこの子の後を歩いてるよな』とつまらない考えが浮かぶ。連れられた場所は屋敷の奥の部屋だった。悠子が部屋の中に声を掛けてふすまを開いて、先に入った。続いて入った和哉が最初に見た物は点滴を吊るしている金具と、チューブだった。そして、その下には点滴を受けている絹と見守っている有希子と初老の女性の姿があった。
「わざわざ済みません。さすがに今日は母も疲れてしまったようです。ですが、改めてお願いしておきたいと言っております」
悠子が祖母を見る視線は真剣だった。初めて見る真剣な表情にどきりとしながら、和哉は絹のそばに行った。
「申し訳有りません、こんな恰好で。ですが、一言だけお願いしておきたいのです。悠子をよろしくお願い致します。もうご存知だと思いますが、この子も鬼を飼っています。この地を守る為には鬼の力に頼るしか無いのです。悠子は強い子ですが、きっと、近いうちに辛い試練がやって来ます。その時に支えてやって欲しいのです。身勝手なお願いという事は分かっていますが、なにとぞよろしくお願い致します」
和哉には一上家が焦って彼を呼んだ理由が分かった。
当主の交代の時期が迫っている。絹の身体は生体反応が薄れて来ていた。和哉が視る限り、あと数ヶ月ももたないだろう。
和哉は自分が生きている限り、悠子を支えると約束した。最後までこの地を守ろうとしている絹の為だけに約束した。
数ヶ月が和哉の寿命分延びるだけだが、それでも彼女を安心させてやりたかった。
第四章 『当主として』
土岐和哉が一上家に来てから2週間が過ぎていた。違和感はまだ覚えるが、どうやらこの地との相性は問題無さそうだった。
その間に大きな変化が有った。一上家の当主が絹から悠子に交代していた。事前の説明では本来の当主交代は旧暦の正月に行うらしく、悠子への交代は来年を予定していた。
残念ながら現代医学の知識をもってしても、絹の衰弱はこの2年間、止める事が出来なかった。何度も精密検査を繰り返したが、原因が不明では治療のしようが無かった。
だが、あと数年はもつという見通しだった。
それが早まった理由は和哉だけが分かっていたが、絹の内面での衰弱が進んだせいだった。最終的には和哉が悠子に、もう絹がもたないという事を告白した事が予定を変更する決め手になった。
彼女は和哉の言葉を静かに聞いた。取り乱す事も無く、感情を外に出す事も無く、和哉の目を見ながら、静かに聞いた。そして最後に一言だけ言葉を発した。
「分かりました。直ぐに一族の会議を開きます。和哉さん、よく教えて下さいました」
それからは慌しい日々だった。
一族を集めた会議は紛糾した。反対意見も多数出た。理由は三つ有った。
一つ目は和哉が言う、数ヶ月ももたないという絹の死期を信じたくないという心理だった。
彼らからすると、絹は一種の生きた神様だった。その神様の死を、受け入れて間もない和哉が口にする事自体が許しがたい事に感じられたのだろう。和哉もその心境は分かっていた。だから悠子に言う事もためらっていたし、悠子があっさりと信じた事に驚きも感じていた。
二つ目は悠子の身体の事を思ってであった。
元々、当主交代の予定が来年に決まっていた理由が、悠子が十五歳になる前での交代は身体が耐えられない為に伸ばしていたからだった。一族にとっての悠子は絹以来半世紀ぶりに生まれた、鬼を宿す当主候補だった。昔は常に数人の候補者が居たが、一族の力は悠子以外の候補者を生み出せない程に弱まっていた。
もし和哉の言う事が間違っていて、悠子が耐えられずに中の鬼ごと死んでしまえば、一上一族の影響を受けている大阪そのものが二度と立ち直れなくなってしまうはずだった。
当主交代の日は一族全員がピリピリとしていた。緊張の中、無事に交代が終わった後の参加者全員の顔は蒼白になっていた。そして、その手には各家に伝わっている刀が握られていた。これが三つ目の理由だった。
一上一族では一度、当主交代の時に新しい当主が鬼に喰われてしまった事が有って、一族総出で退治した生々しい記録が残っているそうだった。その事も有って、その時に使用した刀が各家に家宝として残っていた。その時の新しい当主は悠子と変わらない歳だったそうだ。
今回の交代時にその様な事が起こった場合は全員が喰われる可能性が高い為に、緊張感は凄まじいものだった。
だが、悠子は早期交代の意志を表明し、一族を説き伏せた。
彼女は死力を尽くして二つの危険を乗り切った。
そして、今の悠子は和哉のおなかを枕にして、お昼寝の最中だった。
そして、今の和哉はおなかに力が入らない様に苦労をしていた。
別にお昼寝と言っても、悠子が惰眠を貪っている訳では無かった。その証拠に、悠子は時々苦しそうな呼吸をしている。その度に閉じたまぶたを更に強く閉じようとしていた。
絹が事前に言っていた通りに、当主交代から数週間は一日の内のこの時間は体内の鬼が外に出たがる為に、その対処方法として昼寝をする事が日課になっていた。何故かは分からないが、歴代の当主もそうすると楽だったらしい。
色々試した結果、悠子の負担を少なくするお昼寝は、屋敷で一番大きなこの座敷の、この場所で、和哉のおなかを枕にするのが一番良いらしい。この意外な結果が判明するまでの4日間は大変だった。ひどい時には悠子の体重が一日に1キロも落ちたほどだった。
二人の横では麻生さんが団扇を扇いでいた。これも扇風機やクーラーを使っては駄目で、人力で無いと負担になるらしい。何も知らない人間が見たら、なんとも言えない光景だろう。
そろそろ起きる気配がしてきた。その証拠に悠子がしきりに寝返り(と言っても狭い腹の上だし、和哉が膝を立てているせいで一方方向にしか出来ないが)を始めた。和哉のおなかに掛かる悠子の頭の重みがころころと上下をしている。
和哉は力を入れないようにする為に天井を見上げながら、悠子が起き出すのを待った。ふっと、おなかに掛かる重みが無くなって悠子の声がした。
「おはよう、和哉さん。おおきに」
「おはよう」
「なんか、昨日よりも楽になった気がするで。助かるわ」
和哉は一時間ぶりに腹筋に力を入れて、上半身を起こしながら言った。
「ああ、俺もコツを掴んできたみたいだ。明日はもっと楽になってもらうように努力をしてみる」
「うん、おおきに。麻生さんもごめんやで」
「いえ。お付番としては当然の事です」
「おばあ様の所に見舞いに行くわ。和哉さんも付いて来て」
「ああ、いいよ」
絹は寝ているようだった。絹のお付番の初老の女性が団扇を扇いでいた。彼女は生まれた時から絹のお付番として育てられていた。今の時代では有り得ない人権侵害だったが、それでも自分の人生に悔いは無いと言う程に絹に心酔していた。
「妙さん、お疲れ様」
「お優しい言葉を頂き有り難う御座います、御当主様。絹様は先ほどお昼寝に入られました」
悠子は絹の布団の横に座り、寝顔を見詰めた。
絹の寝顔は悠子に当主の座を渡してからは穏やかになっていた。悠子にとってはそれだけで、早めに当主になった価値が有った。
悠子は10分ほど祖母の寝顔を見た後で、妙に後を任せて祖母の部屋を出た。
座敷に戻った後で、悠子は和哉に尋ねて来た。声の調子は一上一族当主のものだった。
「それで、和哉さん、うちの古文書はどこまで読んだん?」
「延宝5年だから、1677年だな。凄いな、君の一族は。我が家に伝わっていた古文書どころの話じゃ無い。こんなの世間に公表したら、歴史がひっくり返るぞ」
確かにひっくり返るだろう。漢字が伝わったとされる約2000年の昔よりも以前の日本の風習などが漢字で記されていた。中国の日本についての最古の記録とされる『論衡』や『漢書』よりも遥かに詳しかった。著者が日本に住み着いて書いたとしか思えない記述から始まっていたが、記述内容から1世代か2世代ほどで一端途切れていた。当時は紙が手に入らないので、当たり前の結果だった。その後、『記紀』の時代以降に飛んでいたが、どうやら迫害されし民のようだった。もっとも和哉が読んだのは、一族が注釈を付けて現代語に書き直した文書だった。
「多分、当時の中国から迫害を逃れて来た一握りの鬼を宿した人々だったのだろうな。今よりも人が自然に近かったせいで隠してもばれただろう。放浪癖と思っていたが、あちこちに逃れて来た先祖の記憶が我々を一箇所に留めなかった様な気がする」
「そして、その子孫で鬼の変質に成功した者だけが生き残ったたんや。でも数はそれほどじゃ無かった」
「ある者は座敷童に、ある者は天狗に、ある者は河童に。もちろん、伝承の間に実像とは掛け離れた姿になっているがな」
「鬼の変質に特に成功した一族は人間にしか見えへん。あの本村幹雄という人はその子孫や」
「幹雄が?」
「そうや。本人にはわざと嘘の説明したけど、うちらの一族と交わると生まれた子供は本性が出てしまうんや。そして現れる本性は鬼なんや。うちみたいにな。見付けた時はおばあ様が喜んでた」
和哉は驚きの余り、言葉を出せなかった。
「麻生家に引き取られる予定や。昨日、厄介になるって返事来たからな。麻生さんの妹がちょうどええ年頃やねん」
そう言った悠子の横顔は一族の運命を背負った当主そのものだった。
「うちらの一族が生き残る為にはこの地を守っていかなあかんのや。多分、気付いてると思うけど大阪の脈は変やろ? 昔、うちらの先祖が迫害されている時代に、時の治世者が致命的な失敗をしたんや。ほっといたら、国の根幹に係わる位のな。ちょうど、古文書が無い時期の事やけどな。そこで、うちら一族の迫害を止める代わりに人身御供として、ここを守らせたんや。そのおかげで京都と奈良も生き残ったんや。ここが没落したら影響が大きいからな。でもな、長いことここを守ってきたせいで、うちら一族はここを離れられへんようになってしまったんや。たまに生まれる、ここを離れられる子を除いてな。和哉さんとこも、そうやって自由になった一族の末裔や」
「放浪癖じゃ無く、自由になった喜びからあちこちに移動していたのか? 俺のところの古文書では書いてなかったが」
「そうやねん。それともう一つ。うちらの一族が滅ぶような事が有ったら、生き残ってる一族はここに戻るはずやねん。どうやらみんな忘れてしまってるみたいやけど」
「いや、それに関してはそれに近い事が書いてあるぞ。『どうしても住んでいる場所を離れたくなった場合は、その心の趣くまま旅を始めろ。自由の契約のままに』。そうか、その事だったのか?」
「なんや、えらい詩人みたいな事を書いてるな。それやったら、単に放浪しろって事や」
悠子は久し振りに笑った。つられて笑った和哉は真顔になると尋ねた。
「今の話でかなりの事実が繋がった。ただ、どうしても分からない事が出来た」
「うん? 何?」
「どうして俺なんだ? 幹雄を最初から呼べば良かったのじゃ無いか?」
「ああ、その事な。簡単や。実は両親が行く前にこっそりと見に行ったんや。おばあ様の助言でな。当主になったら、旅行にも行かれへんような不自由な人生で一つだけ我侭を言うなら、結婚相手にしろってな。恥ずかしながら、俗に言う一目惚れや。はははは」
そう言って笑うと、悠子は歳相応の表情に戻った。和哉も歳相応の表情になると言った。
「似た者同士だよ。俺も一目惚れだから」
和哉はこの家に来てから初めて心の底から笑った。今度は悠子が和哉につられて笑った。
一週間後、みんなに見守られながら、昭和・平成と大阪を人知れず守って来た一上絹が静かに息を引き取った。そして、一年間の喪が明けてから土岐和哉は一上家に婿入りした。
和哉18歳、悠子16歳と若い夫婦の誕生だった。
エピローグ
一上土岐哉は両親が写った写真を見ていた。二人とも高校の制服を着ていた。この写真を撮った時には、もう自分が母親のおなかの中に居たと聞いても信じられなかった。
「どうしたの、土岐哉?」
「二人とも若いなって思って」
そう答えた土岐哉は真新しい中学校の制服を着ていた。中学校の入学式前日だった。妹の一上土岐子が土岐哉の背後から写真を覗いた。彼女はドレス姿だった。土岐哉と年子の彼女は来年、中学校入学だった。
「本当やわ。何度見ても、ただのボーイフレンドとガールフレンドにしか見えへんで」
「羨ましいやろ? まあ、うちらはこれ位の根性無いと生き残れんからな。さてと、記念写真も撮り終わったし、二人に見せたいものが有るねん」
そう言うと一上悠子は一通の封筒を出してきた。
「何? それ?」
「お父ちゃんからの手紙や。死ぬ三日前に書いてたんや。字が汚いのは勘弁したってや。なんせ、あの状態で字を書いた事自体が驚異的な事やからな」
一上和哉は2年間の結婚生活の後にこの世を去った。死因は彼の母親を襲った病魔だった。和哉と悠子の結婚で唯一の心配は、彼の祖父、母親と2代続いた土岐家特有のこの病魔だった。残念ながら未だに治療法は分かっていなかった。
最初に土岐哉から手紙を横取りした土岐子が手紙を読んで、大粒の涙を流し始めた。
次に読んだ土岐哉も同じだった。
そんな子供たちを抱締めながら、悠子は亡き夫の最後の言葉を思い出していた。
その言葉は悠子に結婚は間違っていなかったという自信を与えた。
自分の子供たちは和哉よりも遥かに長生きするだろう。
彼は二人目の妊娠を報告に来た愛妻に苦しい息の中で笑うと言った。
『おなかの二人目も君や土岐哉と同じだよ。君たちと同じく可愛くて元気な鬼の子だ』と。
その言葉は、一族を率いる悠子が苦しい時には魔法の言葉のように支えになった。
死んだ後まで悠子を支えてくれる最高の夫だった。そして、子供達の反応を見ると最高の父親でもあった。
如何でしたでしょうか?
mrtkも久し振りに読み返してみたのですが、ちょっと変わった感想を抱きました。
『「ほうれん草のおひたし」みたいな作品だなぁ(・_・)』
メインディッシュでは無いですよね。 前菜もしくは箸休め的な感じでしょうか?
まあ、エピローグに出て来た二人の子供を主人公にした続編の構想自体は有りますが、未執筆です(^^;)




