俺は楽しく生きたいんじゃない、楽に生きたいんだ
月見里月海は人造人間である。
渾名はまだない。
と言うのは冗談で、月見里月海は暦とした日本人である。
人造人間を人が生み出した人間と過大解釈すれば、母の胎内で誕生し生み落とされた俺は間違いなく人造人間ではあるのだが、人造人間とはそういうものではないだろう。
七号とか十五号とか番号が付いていたり、罠カードを使えなくさせたりするアレだ。仮面を被ったライダーは、改造人間だったな。
茹だる様な夏の暑さは度を越えて、度々ニュースの話題として取り上げられているが、結局在り来たりな"暑さ対策"を勧めるだけで有益な情報は得られなかった。
三十五度を越える猛暑日が一週間続き、暦がまた月曜日に戻って来ても下がる気配は見えなかった。
この暑さというものが非常に不味い。何が不味いかと言えば、それはもう暑いのだ。言葉で取り繕う必要も飾り立てる必要もないくらいに暑いのだ。
そして、暑いことは辛いのだ。
この"辛い"ということが俺が排除しなければならない最大の悪。そう、絶対悪だ。
言ってしまえば、俺は何を差し置いてでも"楽"に生きたい人間なのである。
そんな俺は高校では模範生として名が知れているらしい。らしいと言うのは自分が聞いたことなど一度もないからである。
楽に生きたい俺は何をするよりも先に自由を手放した。
昨今の人権主義に真っ向から対立する思想であるが、それは俺にとってこの上なく"楽"なやり方だった。
自分で規範や道徳を見つけるのではなく、それらを自分の外に求め、それを模倣することは本当に"楽"だった。
お蔭で決まりきった型に収まった優等生の出来上がりだ。俺が模範生と呼ばれるのはここ辺りが原因だろう。その方が"楽"で助かるから、そのイメージを崩す事はしない。
まあ、型に嵌り切った優等生らしくはあったが、融通が利かないということもなかった。元々"楽"を求めているだけの人間だ。風紀を乱す人間を捕まえてそれを正したり、不良を更正させようなどということもない。
名が態を表すとでも言うのか、月海はまるで海月のようにフワフワと生きていた。俺の生活を一言で表せば浮遊となるだろうことは想像に難くない。
海月が海を漂うように、俺は地上から数センチ浮いた所でまどろんでいたのだ。そう、数センチだ。
大空高く飛び上がって世界を鳥瞰しているわけでもなく、虫のように地べたを這っているわけでもない。
俺はただ浮いていただけだった。そんな状態では当然地面を踏みしめて助走を図ることも、舞い上がって揚力を受ける事も侭ならない。
その点では俺の浮遊というのは漂流の様でもあった。
しかし、俺はそのことをなんら問題視しない。人にとって流されるだけの人生は大層つまらなく、非常に楽しくないものだろう。だが、俺はそれで構わない。
"楽"であるのなら楽しくなくてもそれでいいのである。俺が求めるのは喜怒哀楽の楽ではない。
俺が求めるものは"ラク"だ。言ってしまえば、堕"ラク"であろう。俺にとって"楽"とは"落"であり、俺を構成する性質は正しく怠惰である。
『兄さんは何にだってなれるのに絶対何者にもならないんだよね。』
嘗て我が親愛なる妹君は俺を評してそう口にした。その通りだ。
彼女の言う通り俺は努力という辛苦を捧げれば何者にだってなれる才覚が備わっていた。これは自惚れでもなければただの事実でしかない。
神サマという奴は完全と謳われておりながら、酷くお茶目だ。
俺の持つ才覚を活かせる人間へ付与しておけば、それが世の為人の為に使われていただろうに。俺という器に収まってしまった以上、それは宝の持ち腐れに過ぎない。
猫に小判。
豚に真珠。
海月に潜水艦だ。いや、そんな言葉はないか。
何で神サマとやらは俺にこんな才を寄越したのだろうか。俺には甚だ理解できない。
理解できないことは苦痛だった。それは俺の求める"楽"とは逆のことであって、思考を止めるということが出来なかった。
俺の顔を見て妹が笑う。
『兄さんは難しく考えすぎなんだよ。兄さんは逆立ちしたって、国が変わったって、世界が変わったって兄さん以外にはなれないんだもん。
無駄だよ。無駄無駄。
生まれてきたのに理由なんかなくて、目的なんて後から付いてくるものだよ。それに兄さんは目的がなくても生きていける人でしょ。』
実に兄思いのいい妹である。
兄の悩みを瞬時に察して、それを打ち消す術は俺の家族の中でも妹が一番心得ていた。
妹の言葉が正しいのか否かは別問題であるが、その言葉は俺を"楽"にしてくれる魔法の言葉であったのは間違いない。
本当にいい妹である。
その妹が「兄さんおいしそう」と言って俺の腕に噛み付いてきたのは間違いだと信じたい。いいや、そうでなければならない。
俺は自分が"楽"になるためにそう信じ込むことにした。
どうせ事実が変わらないのなら、目を背ける事でそれを眺める自分の意識を変えるぐらいの我が侭は通るだろう。
目下の標的は我が親愛なる妹ではなく、ことある毎に俺を厄介ごとに招待する現生徒会長である。
この女は俺を楽しませたいらしく、何かとちょっかいをかけてくる。先輩風を吹かせて頼んでもいない相談ごとに乗ってきたり、態々俺の教室まで弁当を食べに来たり、体育祭で俺を総大将にしたりとやりたい放題だ。
そもそも生徒会長というのは名ばかりの名誉職で、権限なんてものは碌にないはずなのに、どうして彼女の横暴が通るのだろうか。
カリスマという奴なのか。
確かに彼女は美人で成績優秀であるが、オーラが出てるわけでもなければ、目からエロ光線が出るわけでもない。
まあ、弁舌は上手だからその辺りを駆使しているのかもしれない。
「貴方はもっと人生を楽しむべきよ。」
この言葉はもう耳にたこが出来るくらい聞いた言葉だ。
人がどう生きようと勝手だと思うのだが、どうもこの根が善人な彼女は自堕落に生きている俺が気になってしょうがないらしい。
彼女はことある毎に人間賛歌を説き、俺に人生の素晴らしさを伝えようと躍起になる。そして、俺の"楽"至上主義を潰しにかかっている。俺からしてみればアイデンティティを殺されかかっている為気が気でない。
彼女は俺という人間をこの世から消し去ってしまうつもりなのだ。
そうはさせるものか。
俺は"楽"をするためならどんな面倒も背負い込んでやる。矛盾した物言いになるが、"楽"をする為に面倒を許容するのだ。
苦痛を遠ざける為には迎え討つ方が"楽"なことが多々ある。
それを知らない者は逃げることが"楽"で悪いことだと教えられてしまった哀れな子羊なのである。生徒会長もこの可愛そうな羊さんの一人だ。まあ、会長の場合は可愛そうと言うより可愛いであるが。
逃げるという行為はゴールとルートさえ定まっていれば"楽"な手段だ。しかし、現実は逃げるという行為をそれ程単純化できるように作られていない。
故に逃げる者というのは、
何処へ行けばいいのか、
何処まで行けばいいのか、
何処に隠れればいいのか、
何時まで隠れればいいのか、
そのどれもが曖昧で、逃げるという行為はこれでもかと言うばかりに逃走者に圧し掛かるのだ。そもそも逃げられないという状況が多々ある以上、逃げるというのは辛い選択肢なのである。
だから俺は逃げることはしない。"楽"じゃないからである。
逃走者ではなく闘争者。
逃げ惑うよりも打ち倒すことに重きを置く。
それが人造人間月見里月海の行動理念。
故に立ち向かう。例え相手が万夫不当の生徒会長であってもだ。
「俺は楽しく生きたいんじゃなくて、楽に生きたいんだ。」
俺のこの返答も彼女にとっては聞き飽きた言葉だろう。
怒っているのを顔で表現しようとして頬を膨らませる彼女は実に愛らしかった。
それを見て俺は内心でほくそえんだ。
言葉遊びをもっと文章に盛り込んで生きたい。