第70回
「いやあ、大したこっちゃないんですけどね」
「そういや、ほんと、ご無沙汰だわぁ~」
今日はどこかママと話が噛み合わない。ママは手を女の素振りで口に添え、ホホホ…と、小さく笑った。手の甲を白く塗りたくった化粧を突き破り、数本の毛が突き出ていた。明らかに剃り残しである。顎髭の剃り残しは興ざめだったが、手の甲の剃り残しも、どんなものだろう…と思えた。
「沼澤さんが、そんなのは大したことじゃないと云われたことが、今云ったように事実、会社で起こったんですよ」
「あらまあ…、ほんとに?」
「ええ、本当ですよ。ママに嘘を云っても仕方ないじゃないですか」
「そりゃまあ、そうだけどさぁ~」
幸いにも、カウンターの陰に隠れて、手の甲の剃り残しは見えず、吹き出さずに話せたが、危ういのは危うかった。脱毛剤を使えば…などと思っていると、早希ちゃんが向こうのボックス席を立ち、カウンターへ近づいてきた。手にはアイスペールを持っていた。
「満ちゃん、いらっしゃい。ママ、氷、お願い」
「はい…」
ママは早希ちゃんからアイスペールを受け取るとトングを外した。そして、アイスピックで製氷機の氷をボールに入れて器用に割り始めた。更には、割った氷を蛇口の水で洗い、角を取るひと工夫を施した。