第44回
一人、機嫌がいいのはママである。それもその筈で、沼澤氏が支払った万札が予想外だったからだ。ママに訊いた訳ではないから、彼女(…まあ一応は彼女)の心中は分からないのだが、恐らくは、難儀な客だと思っていた沼澤氏が、案に相違して、割合と金離れのいい上客かも…と思えた節がある。
「まあ、いいことが起きれば寄るよ…」
その後、雑談をして私は店を出た。みかんをいつもより早く出たのは、沼澤氏の帰り際のよさを多少、意識していた向きもある。
それからひと月ばかりが経ったが、家でも会社でも、これといった異常な出来事もなく、淡々と暮らす平凡な日々が続いていた。それがひょんなことで変化し出した。その前兆ともいえる出来事が私の周りで発生したのは、晩秋にしては寒い日だった。こんな日の接待は嫌だなあ…と、私が刹那に思った直後のことであった。
「はい、塩山ならおりますが…。えっ?…、あのう…よろしいんですか? はい…、ええ…、なるほど、分かりました。では、そう申し伝えます。…はい、今後とも、よろしくお願い致します」
部下の児島君が、私の前方の係長席に座り、電話の応対をしていた。