第31回
「あらっ! 沼澤さんじゃないですか。今日も終わって来られたの?」
振り向くと、老齢の紳士がカウンターへ、つかつかと近づいてきた。ママの言葉で、この男が自称、霊術師の沼澤氏なんだ…と、私は思った。
「はい、そうなんですが…こちらは?」
「えっ? ああ、満君。いえ、塩山さんです。お得意様」
「そうですか…。私、沼澤と申します」
名刺を背広から出しながら、沼澤氏は椅子にも座らず挨拶をした。なんだか失礼に思えた私は、仕方なく椅子を下りて立ち、名刺を受取ると自分の名刺を渡した。
「塩山です…。ご兄弟のことは知人から伺っております」
「ああ、兄のことですか…」
立って話をする二人を見て、ママが笑った。
「二人とも、もう…。座ったら?」
ふと、間が抜けた自分の立ち姿に気づき、私はすぐにカウンター椅子に座り直した。沼澤氏も私に続いて、罰が悪そうに隣の席へ座った。早希ちゃんは水コップを盆に乗せて運ぶ。そういや、私が来店した時は、いつも水が出なかった。敢えて、水を…と、私が云わなかったのも悪いのだが、それが当然のように繰り返されてきた。沼澤氏に水コップを運ぶ早希ちゃんを見て、この時、初めてそのことに気づいたのだった。
「早希ちゃん、俺も水」
早希ちゃんが盆からカウンターへ水コップを置いた瞬間、私はそう云っていた。