第270回
人間とは悲しいかな、そうは食べられない。いつもの私なら、数日はいける料理の量だった。訳は、匿名で宿泊したものが、どういう訳か旅館側に情報が漏れていたのだ。塩山大臣がお泊りになる…とかで、旅館はやんやの騒ぎになっていた。仲居の老女は、そんな素振りも見せず消え失せたから、私は騒ぎになっていようとは知る由もなかった。今思えば、だからあんなに料理の量が多かったのか…と分かるが、その時は半分も食べられず、心が残った。しかし、これ以上は食べられんぞ…と観念して、呼び鈴のボタンを押した。すると、先ほどの仲居が可愛い若い仲居を一人連れ、もう一度、現れた。最初が若い仲居の方だったら…と、少し悔しい気がした。二人は当然のようにテキパキと片づけて、瞬く間に襖の奥へと去った。さて、そうなると、あとに残されたのはシーンと静まり返った佇まいと私である。少しアンニュイな気分に私が襲われそうになったとき、ふたたびお告げが舞い降りた。今度は、グッド・タイミングであった。
『もういいかな…と思えましたので、やって参りました。そろそろ、いかがでしょう?』
「これは…。いいところへ…。今度はクリーン・ヒットで、最高の頃合いですよ」
『そうでしたか、それはよかった!』
お告げは、ホッと安堵したようだった。