第262回
さてその後、お告げの方はどうなったのか? という疑問に敢えて答えるなら、私の多忙さに遠慮してか、影を潜めていた、と云わざるを得ない。それほど私は諸事に忙殺されていたのである。国外においては、提唱国の代表として、有識者である専門言語学者とともに創設された国連の地球語部会への度重なる出席、そして国内においては教育システムの構築という大きな課題に直面していた。教育システムの中では、歪んだ教員養成の有り方の是正にも力を注いだ。その一として、サラリーマン化した教員の有り方に新機軸を加えた。すなわち、教職課程単位に社会体験単位として八単位を新たに加え、さらに教育実習単位も従来の二倍とした。ただひとつ、頭脳化教員養成の根城とされた教育学部の一辺倒採用を他学部と対等に下げることへの反対と抵抗は強かった。しかしそれも、なんとか実現の運びへともっていき、教育基本法の改正案を国会で通過させた。こうして、すべてが順調に動き出し、ひとまず私がやれやれと胸を撫で下ろしているとき、お告げが不意に舞い降りた。そのとき私はバスルームを出て、ワインを傾けながらチーズサラミを齧っていた。
『お久しぶりです。ご活躍を遠くから眺めておりましたよ。それにしても、すごいお方です、塩山さんは…。さすが、大玉様が見込まれただけのことはあります』
お告げは、しみじみと云い切った。