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Ep.1 side:シンシャ 「またあした」


 明日が来ないで欲しい。

 そう思うのなら、今すぐここから飛び降りてしまえばいいのに。

 街に唯一高くそびえ立つ高層ビル。そのベランダでなびく黒色を耳にかけて、赤い瞳に街の灯りを映しながら思い耽る女がいる。名をシンシャといった。


 否、わざわざ自ら飛び降りる必要もない。

 どんな方法があるだろう。

 たとえば、後ろの部屋にいるあの男、ザクロ。彼の地雷を徹底的に踏む。——いつも以上にぐちゃぐちゃに殴られ蹴られ、気づけば彼の解剖台の上。よくてコンクリートに詰められた後か。わざわざあのひとが俺をコンクリに詰める姿を想像して、短く笑った。

 それから、部屋に引きこもる。——5日も経てば、引きずり出されて処分される。つまり死ぬ。……カイヤ辺りの、涙のひとつくらい見れたら嬉しい。無理か。

 あとは、俺を恨む組織か犯罪者のまえに、丸腰で出ていく。——これも色々なものがぐちゃぐちゃに踏みにじられて、ちょっと経てば命の抜け殻として路地裏に転がることが出来るだろう。


 そんなことをぐるぐる考えていたら、気付けば背後に大きな影があって、俺の頬には赤くネイルされたきれいな手が添えられていた。

 身体が強ばるが、それは刹那の間だけ。ああもうどうにでもしてくれ。

 赤い爪を持つ手は、俺の頬をひどく優しく撫でて、指先が唇を掠める。そのままラインをなぞるものだから、機嫌がいいのかと思って。

 だのにその手が首まで来たとおもえば、そのまま強く鷲掴まれ後ろに引かれた。


「ぁぐっ」

「何を、考えていた?」


 問いかけてくるザクロという男は、俺と同じ赤い瞳。でも、俺よりずっと細くて鋭いそれが、上から俺を串刺しにする。

 人差し指で無理矢理顎を持ち上げられて、ほかの指で首を締め上げられる。これじゃあ答えたくても答えられない。彼もそれに気づいたのだろう。子供が玩具でも眺めるみたいに頬を緩めてから、俺はその腕から解放された。

 ザクロは息を整える俺を、再び抱き寄せる。今度は肩から反対側の脇腹にかけて、荒く。

 未だ答えを待つ視線に泣きたくなる。


「……お酒が飲めないなと」

 嘘では無いんだ。死んだら酒が飲めないだろ。……だいすきなおとうとの作る酒が、飲めなくなる。それはひどく悲しかった。


「……そんな憂いた目で?」

「憂いていましたか」

「ああ。今にも夜の闇を射落とさんばかりだった」

「貴方がそんな口説き文句を言うなんて」

「……そのようなつもりはないが」


 ひとたび降りた沈黙をどうにかしたくて、戻ります、と告げる。彼の腕から逃れようと身じろいでも、叶わない。

「酒が飲みたいなら、言えばいいだろう。サービスなら頼める」

「……身体が痛いので」

「ふむ」


 スタスタと部屋に向かう彼に引きずられていく。俺の意思ではなく、彼自身の意思で動かなくては気が済まないのだろう。

 つくづく悲しいひとだ。


 今日の部屋は比較的きれいだと思う。しわくちゃのベットと、壁の血痕を除いて。

 その景色のせいで急に目眩と、身体中の鈍痛。それから左足の激痛を思い出す。

 あれは()()()()()()()()()ものだろう。今日は血を流していないし。


 ボスッという音と、回転した視界。それと身体に響く衝撃で、自分がベッドに放り投げられたのだと気づいた。パキッ、とも鳴ったような。……今ので左手を痛めた気がする。

 もう少し生き物扱いして欲しいし、血痕くらい掃除を頼んで欲しい。それに暑いからクーラーをつけて欲しい。少し臭うからもっと換気してほしいし、そもそも機嫌を損ねる度に俺を呼びつけて発散しないで欲しい。そんでフンフン鼻歌歌ってんじゃねえよ、しかも古い日本の歌を。俺が喜ぶとでも思ってんのか腹立つな。耳鳴りでよく聞こえない。もっと近くで歌えよ。動けねえんだよこっちは。もうぜんぶぜんぶ痛いし、暑いし、寒いし、気持ち悪い。前もよく見えない。


「まだ眠るなよ。今から君と食事をしようというのに」


 あ゛〜〜~っ巫山戯んなもう少しで永眠出来たのに!多分!

 こんな狂った世界のくせに丈夫な体が恨めしくて堪らない。

 渾身の力で、ぅあ゛ー、と唸って、身体を持ち上げたら床に転がった。なんだこのザマ。そういえばベランダにも、這い蹲るように出た気がする。


「随分と情けない。ベランダには出られただろう」

 こういう時に重要なのはモチベーションなんだよ。分かるか?あの時は何よりも涼しいのが欲しかったんだ。何が悲しくて酷い吐き気の中お前との強制ディナーコースの為に身体に鞭打たなきゃ行けないんだせめて鎮痛剤持ってこいばか。ばかだろ。お前を奇才と呼ぶ世間もばかだ。くそ、くそ。

 ため息ついてんじゃねえ。つきたいのはこっちだ。ほんとに注射器持ってきやがった。飲み薬か飴にしろばか。注射いってえ。まだ痛いって感じるのか。嫌だなあ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌……。


「起きろ。おい」

 起きなきゃ。起きなきゃもっと痛いのがくる。でもからだじゅうもういたくて、うごけない。うごき、たくな、

「いだっ!?」

 髪を引っ掴まれて、引っ張られる。そうすると、反射で身体がうごくんだ。……禿げたくないし。


 椅子まで連れてかれて、なんとか座る。腰も痛いのに。


「……何を泣いている」

 一生、きっと何生かけてもお前には分からないだろうな。誰も教えてくれないんだから。教えられないんだから。

「泣いてません」

「そうか」

 可哀想な奴。


 しばらくすれば、ザクロの部下達が食事を運んできた。見慣れない顔がいるな。

「ひっ」

 見なけりゃ良かった。思い出したが、彼は確か昇格したばかりの。怖がらせてしまったかな。

 謝罪の気持ちを込めて微笑むが、余計に縮みあがってしまった。ごめんね。

 

「そこのお前。酒は」

「失礼致しました。後ほどお持ちします」

「日本酒だぞ」

「かしこまりました」

 俺が日本出身って覚えてんなら、長年いる部下の名前くらい覚えてやれよ。だから孤独なんだお前は。あと俺は日本酒あんま好きじゃない。てか今は飲めない。ドヤ顔すんな。涼しい微笑みで返せる俺に感謝しろ。

 

 食事が用意されて、部下達が出て行って。油の匂いにえずくのを抑えて。

「食べないのか」

「食べますよ。ゆっくり」

「……お前が食べないとカイヤがうるさい」


 ……は?

 

「いつもやかましいが、増してうるさくなる。あれもお前に愛情を抱いているようだしな」


「な、にを、仰って」

「ん?カイヤが誰かは分かるな?自称善良な医者の、我らが同僚だが」

「もちろん、存じておりますが……。」

「では何を狼狽えている?まさかとは思うが、私に黙ってあの男と」

「あるわけないでしょう。そんなこと」


 声が、震える。

「あのひとは誰にでも優しいだけです。俺を特別好いたりなど、そんなこと」

「今、喜ぶ必要が、あるのか?」


 ひゅっ、と息が詰まって、でも笑顔は張り付いて、言葉はついて出た。

「喜んで見えましたか?それは失礼」

「……。

 私以外に、そんな微笑みを向けるな」

 無茶言うな。


「貴方が見たのがどんな微笑みなのか存じませんが、ご心配には及びませんよ。俺はとっくに、貴方のものでしょう」

「……口ではどうとでも言える」

「困りましたね。口でしか想いは伝えられないのに」

「お前が死ぬ度、カイヤは荒れ狂い、誰の診察もしなくなるのだぞ。再びお前の顔を見るまでな。それも『想い』ではないのか」


 なんだそれ

 アイツそんなことになってたのかよ。可愛いな。


「……その顔だ。」


 顔をあげると銃口があった。

 全身の産毛が逆立つのに身を任せ、床に伏せる。


 バンッ


 また向けられる。


 バンッ

 今度は二の腕を撃たれた。でも痛くない。鎮痛剤強いな。


 え、俺また殺される?


 テーブルを蹴り上げひっくり返して盾にする。また銃声が響く。


「——この国では、我々は死んでも死なない。

 次の日には蘇る。そうだろう?……だのに


 何故逃げ回る。何故拒む。」


 ……そうだな。俺たちはまるでゲームのキャラクターだ。ここはそういう場所だ。

 でも、お前も忘れちゃいないだろ。そのデメリットを。


「今日この日の記憶を、失うからか?失いたく、ないのか?」

「……ご名答」


 扉までそう距離はない。このテーブルをはね上げて、その隙にここから脱出して、

 ——それから、どうしよう。


「……巫山戯るなよ。許可しない」

 頭上に、怒声と、赤い目と、銃口。

 なにか叫んでる。殺される。

 それで、カイヤの話も忘れて、

 あの、胸の高まりも、無かったことに。


 バンッ


「……ふーっ、ふーっ、ふぅうう゛っ……」

 ドサリ、黒くて大きい身体が落ちる。

 ザクロの遺体は、間抜けな顔で転がっていた。

 顎から脳天を撃ち抜かれて。

 俺が、銃を奪って撃ったから。

 ざまあみろ。


「……やらかした……。」

 顔を右手で覆って、ぐしゃりと前髪を握った。

 出来ればこの男を殺したくは無かった。これが騒動になる……ことはあまり無いけど。だってこの男も俺を何度も殺してるし。でも、争いの火種にはしたくない。逆らわない方がいい。

 だって、この男はその気になれば街ひとつ潰せる権力と、技術を握る男で。その気になれば、ソウヤの、弟の住む地区も。店も。

 そして、ソウヤは蘇ることができない一般人。死んだらそれで、終わり。


 それは、それだけは、ほんとうに、許せない。

 ザクロの遺体が、黒い灰になって散っていく。勿体ないので、蹴りつけておいた。


 残ったザクロの服を念の為回収し、部屋を出ると、先程のザクロの部下(新入り)と目が合った。

「あ」「え」

 ……見張りがいたんだった。

 これダメかな。

 ダメだよね。

 えーん。


「大丈夫、ですか?」

「え?」

「ええと、カイヤ様のところ、行きましょうか、つれて、行きます。背負います。」

 脇を見ると、もう1人の部下——こちらは長年いる奴。たしか名前はルーカス——が、居眠りをして……訂正、寝たフリをしていた。

 マジかこいつら。

 無能だ。

 有能だ。

 やったー。


「……お願いします。できれば他言無用で。特に明日のザクロには。あとでお礼しますね。弾みますよ。」

「えと、はい。」

「ありがとうございます、2人とも」

 背後から、引きつったイビキが聞こえた。


 廊下には、朝日がさし始めていた。

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