宿の温もりーーEP8ーー
この宿は、山の上にぽつんと建っている。
温泉街のにぎわいもない。
土産物屋も並んでいない。
夜に提灯が揺れるような通りもない。
あるのは、山と空と静けさ。
連休だというのに、
玄関に靴はほとんど並んでいない。
廊下も静か。
人の気配が薄い。
それもそのはず。
近くに有名な観光スポットがあるわけでもない。
体験型の何かが用意されているわけでもない。
SNSに載せたくなる巨大オブジェもない。
ここは、
“何かをする場所”ではなく、
“何もしない場所”なのかもしれない。
山の上の一軒宿。
窓を開ければ風。
耳を澄ませば鳥。
夜になれば、きっと闇。
時間を消費する場所ではなく、
時間を置いておく場所。
三人にとっては、それで十分。
他愛もない話が続く。
どうでもいい例えで笑う。
意味のない議論を真面目にやる。
それが、この旅のアクティビティ。
言ってみれば、
居酒屋の最上級版。
時間制限なし。
閉店なし。
席も追い出されない。
騒ぐでもなく、
張り切るでもなく、
ただ過ごす。
もしかしたらこの旅で一番贅沢なのは、
この静けさなのかもしれない。
そう思った直後、遠くで雷が鳴った。
山の奥で、重たい戸が閉まるような音。
「それではお部屋に案内しますね」
女将の後ろを三人がついていく。
廊下は磨かれている。
足音がやわらかい。
誰も荷物を預けない。
自分の荷物は自分で持つ。
そういう男たち。
星兄はボストンバッグを肩に。
三沢は無駄に大きめのリュック。
ケンジはなぜか一番軽そう。
部屋の前で女将が立ち止まる。
「こちらになります」
襖が静かに開く。
広い。
想像より、ずっと広い。
畳がきれいに並び、
窓は大きく、
奥には小さな広縁。
ケンジ
「広くない?」
三沢
「値段、間違ってません?」
星兄
「いびき分散できるな」
ケンジ
「星兄が一番うるさい」
星兄
「根拠出せ」
三沢
「データありますよ」
笑いながら荷物を置く。
女将はその間に座卓へ。
急須から湯気が立つ。
日本茶の香りが部屋に広がる。
「お疲れでしょう。どうぞ」
三人、自然と正座気味になる。
こういうときの聞き手はケンジ。
「ありがとうございます」
女将が館内の説明を始める。
「お風呂は一階奥に。夜は23時まで、朝は6時からでございます」
ケンジ、うなずく。
「露天あります?」
「小さなものですが」
「いいですね」
横で三沢は真面目に聞いている。
「朝食は何時がよろしいですか」
ケンジがちらっと後ろを見る。
「星兄、何時?」
星兄
「任せる」
三沢
「7時半でどうですか」
ケンジ
「じゃあ7時半で」
連携が自然。
女将が続ける。
「売店はございませんので、必要なものは事前に」
三沢が小さくうなずく。
ちゃんと覚えている顔。
ケンジ
「Wi-Fiあります?」
三沢が横目で見る。
女将
「ございますよ」
ケンジ
「よかった」
星兄
「戦国武将調べる気か」
ケンジ
「続きあるから」
女将が微笑む。
説明が終わる。
「ごゆっくりお過ごしください」
襖が閉まる。
静かになる。
湯気の立つ湯のみ。
外はまた、雨。
三人、同時にお茶をすする。
「うま」
その一言で、部屋が完全に自分たちの空間になる。
広い畳。
雨音。
そして三人。
もう、十分だ。




