ーーEP34ーー
ロビーが凍る。
謝るのは、被害者のはずなのに。
男性が思わず顔を上げる。
「いえ……辞めたのは私の都合です」
女将は首を振る。
「母の代のこととはいえ、当時のことを何も知らずにいたのは、私の責任でもあります」
星兄は静かに見ている。
雨は、少しだけ弱まった。
罪は罪。
けれど人は、背景を持っている。
警察はまだ来ない。
電波もまだ戻らない。
この夜は、少しだけ長い。
「あの頃は仕方なかったんです。
先代の女将も、本当に頑張っていました」
男性客は、まっすぐ女将を見る。
「あの時辞めていった従業員は、みんなこの宿を大切に思っていました。
だからこそ……離れることにしたんです」
責める色はない。
ただ、過去をそっと置く声。
女将の曇りが、わずかにほどける。
そして女将は、星兄の方を向いた。
「みなさん……今回のこと、水に流していただくことは出来ますでしょうか?」
その言葉に、ロビーが小さくざわつく。
盗みは盗み。
けれど、もう刀は戻る。
星兄は静かに応える。
「僕らは警察でも探偵でもありません。ただの宿泊客です」
それは責任放棄ではなく、線引き。
その空気を、ケンジがぱっと破る。
「いやあ、ミステリーでサスペンスな余興!
謎解きまであるなんて最高の夜でしたよね!
ね、相沢さん!」
「そ、その通りです!いやー、良かった良かった!」
立ち上がり、やや大きめの拍手。
女性客たちも顔を見合わせ、ふっと笑う。
張りつめていた糸が、ゆるむ。
三沢が肩をすくめる。
「刀も無事。怪我人もなし。それで十分でしょう」
誰も“通報”という言葉を口にしない。
外では雨が細くなっている。
男性客は、深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
女将も、もう一度だけ頭を下げた。
シャンデリアの灯りは変わらない。
けれど、その下に立つ人たちは、少しだけ違う顔をしている。
今夜、この宿は刀よりも大事なものを守ったのかもしれない。
山道の通行止めが解除される頃、
それぞれはまた、それぞれの場所へ戻る。
けれどこの夜は、
きっと忘れない。




