ーーEP2ーー
マスターがカウンター越しに声をかけてくる。
手はグラスを拭きながら、目はこっち。
「星くん、今日もありがとねー。連休は毎日出てくる気?」
星兄は枝豆をつまむ。
考えている顔をしているが、たぶん何も考えていない。
ケンジが先に口を出す。
「マスター、俺たち明日から旅行なんすよ」
言い方だけは多忙。
実態は勢い。
マスターがビールをあおる。
喉が鳴る音が妙に平和。
「お、どこ行くの?」
沈黙。
三人、同時に止まる。
星兄
「……決めてない」
ケンジ
「山!」
三沢
「たぶん北」
マスターが笑う。
「ざっくりしすぎだろ」
ケンジ
「ノリっすよ、ノリ。大人の衝動旅行」
マスター
「衝動に“大人”つけるな」
三沢はスマホをいじる。
真顔。
「空いてる宿、ありますね。山のほう」
ケンジ
「ほらもう決まりじゃん」
星兄
「お前ら怖いわ」
マスターが頷く。
「若いなあ」
星兄
「若くはないです」
「いや、そうやって急に動けるのが若いんだよ」
三人とも一瞬だけ黙る。
若い、という言葉は便利だ。
褒め言葉にも、諦めにも使える。
ケンジが唐揚げをつまむ。
「じゃ、明日からしばらく来ないんで」
マスター
「土産話、期待してるよ」
星兄
「大したこと起きませんよ」
三沢
「起きないといいですね」
ケンジ
「何その前振り」
マスターが笑う。
店内は賑やか。
外は穏やか。
グラスは空になる。
まだ、何も起きていない。
ーそれからしばらく飲んだ。
大した話はしていない。
仕事の愚痴が三割。
どうでもいい昔話が四割。
残りは記憶に残らない。
ケンジがジョッキを空ける。
底をテーブルに置く音が軽い。
「マスター、お会計で」
星兄は無言で一万円札を出す。
折り目がきれい。
こういうところは妙に几帳面。
マスターが計算する。
暗算が早い。
「足りない分、三千二百」
三沢とケンジが同時に財布を出す。
端数で少し揉めるが、揉めているふりだけ。
靴を履く。
紐を結ぶ。
立ち上がると少しだけ酔いが浮く。
マスターがおつりを持ってくる。
「今日も若い子たちがハメ外してっから気をつけてよ」
そう言いながら、広げた三沢の手のひらに小銭を落とす。
乾いた音。
星兄が笑う。
「大丈夫ですよ。今日はボディーガード付きなんで」
三沢の肩を軽く叩く。
三沢
「ウっす」
低い声。
冗談のトーン。でも少しだけ本気。
マスターが眉を上げる。
「お前らが一番怖いわ。勘弁してよ。明日の旅行が留置所とか」
ケンジが吹き出す。
「それはスケジュールにないっす」
星兄
「観光地が変わるだけです」
三沢
「面会時間、何時までですかね」
三人とも笑う。
マスターも笑う。
でも一瞬だけ、
店の空気が静まった気がした。
昔の話は誰も具体的にしない。
しないけど、消えてもいない。
ドアを開ける。
夜風が少し冷たい。
羽織が正解の気温。
外はあちこちではしゃぎ声が聞こえ始める。
連休前の街は、これから騒ぐ準備をしている。
星兄が空を見上げる。
「明日、8時な」
ケンジ
「遅れんなよ」
三沢
「星兄が一番怪しいです」
星兄
「遅れねえよ」
言い切る。
この時はまだ、
本当にただの旅行だった。




