第03話 柔らかいボール
ソフトテニス部に入ったとはいえ、理久に話した通り今の部活は惰性でしかない。
元々ソフトテニスに興味があった訳じゃなく小学校からの友達が入ると言ったから入っただけだし、当時は硬式と軟式の違いすらロクに知らなかった。
まずボールは当然違う。テレビで稀に流れていたプロの試合で使われている黄色いボールとは違って、ソフトテニスはゴムボールが使われる。単に柔らかいだけじゃなく回転の掛かり具合も全然違って雨の日には不規則な変化をすることが多い。
ゴムボールだからって当たっても痛くない訳でもない。顔面に直撃すればそれなりに痛いし腫れることもある。パンチじゃなくビンタを食らうような感じだ。
他にも色んな違いがあるけど、特に重要なのがシングルスとダブルスの差。硬式はシングルスが主流だけどソフトテニスはダブルスが主流だ。実際、中学時代はシングルスの練習すら殆どしなかった。
ダブルスは前衛と後衛に分かれ、後衛は一番後ろのベースライン付近で、前衛はネット際で主にプレイする。俺は今も昔も後衛専門だ。
後衛の役割は主にラリー。相手の後衛との打ち合いだ。
勿論、ただ来たボールを打ち返すだけじゃ芸がない。相手が打ち返し難いコースを狙ったり、強弱を付けて揺さぶったり、前衛の外側を抜いてポイントを奪いにいったり、局面局面で様々な仕掛けを行う必要がある。
そして後衛は相手前衛との読み合いも必須。ラリーの最中、前衛はセンター側に飛び出してコースに入りボレーでポイントを奪いにいくタイミングを常に窺っている。そのボレーを如何に防ぐかが後衛の腕と頭の見せ所だ。
中学時代のソフトテニス部は、経験者が顧問だったこともあって結構緻密な練習をしていた。それが最後の夏に実って団体戦で快進撃を繰り広げられた。
でも、この蒼月高校の男子ソフトテニス部は――――
「じゃ乱打からね」
まず顧問がコートに来ることがない。公式の試合で引率するくらいだそうな。
だから練習メニューは全て先輩、大抵はキャプテンが決める。この練習がひたすらヌルい。
乱打ってのはコートの対角線上にいる相手とラリーする練習。それ以外の決まり事は特にない。強打でもロブ(放物線を描くようにフンワリ打ち上げる打球)でも何でも良い。
次にボレーとスマッシュの練習。できるだけ前衛が打ちやすい所にボールを打って、それを前衛がボレーやスマッシュで打ち返す練習だ。
次にサーブレシーブ。対角線上にいる相手にサーブを打ち、それを打ち返す練習。サーブは前衛も後衛も行う。
これが終わったら試合形式の練習。実際の試合は五ゲームまたは七ゲームマッチだけど、練習では三ゲームマッチが多い。四ポイント先取で一ゲーム、先に二ゲーム取った方が勝ちだ。
それが終わったらコート整備をして解散。ランニングや振り回しといったキツい練習は一切しないし、夕食前には帰れる。
気楽と言えば気楽だ。程良く汗掻いて終わりだし。でもこれじゃ強くはなれない。万年二回戦止まりも納得だ。
でも今の俺に、この状況を覆したいなんて気持ちは全くない。もう中学時代の仲間もいないし、正直この部には馴染めていない。
人数だけは割と多い。三年生八名、二年生六名、一年生七名。二〇人以上の部員を抱えるソフトテニス部はそう多くはない。
ただ、全員が揃うことはまずない。出席を取るようなことはしないし、サボったからって誰も怒りはしない。今日も練習に来ているのは半分くらいだ。
そして、学年間の壁が想像以上に厚い。
中学時代も先輩とはそんなに打ち解けられなかったけど、天和の助力もあって後輩とは結構良い関係を作れた。
けどこの部、俺たち一年生だけじゃなく二年生も三年生とほとんど話さない。みんな同学年とばかりつるんでいる。
部活動としては閉塞感が漂っている状況だ。
最近、中学時代のことばかり思い出す。
あの頃は良かった。別にストイックだった訳じゃないけど、チーム内で負けたくないって気持ちを共有していたから辛い練習も率先してやっていたし、上手くなっていく実感もあった。
今はそういうのは全然ない。俺一人がやる気を出したところで、この空気を変えられるとは到底思えない。
というより、変えちゃダメな気がしている。この学校のソフトテニス部はこういうユルい所なんだから、それを一年如きが壊しちゃいけない。
……潮時かもな。
俺は別にこの競技が心から好きなんじゃない。あの中学の時の仲間たちと一緒に練習するのが楽しかった。試合で一喜一憂するマネージャーと笑顔で喜び合うのが嬉しかった。
もう続ける意味は多分ない。後は俺がいつ決断するか、そういう段階だ。
「あ、いっけないんだー。練習サボってんじゃーん」
コートの外でラケットを回していると、聞き慣れた声が届く。
姫廻小遥。
無邪気で人懐っこいその笑顔は、高校生になっても一切変わらない。
変わったのは俺の認識。こいつが誰かに片想いしていると知った途端、二段階くらい大人の階段を上ったように見えてしまう。
来会と違って、姫廻の周囲には常に男子もいた。性別問わず、誰にでも同じように接していたからな。俺以外にも男友達は沢山いるんだろう。
でも、だからこそ本命がいるようには見えなかった。バカ話している裏でしっかり恋愛してたんだなと思うと、自分が酷くガキに思えて仕方ない。
「別にサボってねーよ。コート埋まってるから順番待ち」
「壁打ちとか他にやれること幾らでもあるっしょ?」
「……そうだな」
姫廻は転校前、ソフトテニス部に在籍していたらしい。姫廻の性格なら途中入部でも溶け込むことは難しくなかっただろうけど、最初から続ける気はなかったみたいだ。
転校してきてからは帰宅部のまま卒業し、今も部活には入っていない。スポーツ万能って話は本人からよく聞くけど、実際どれくらい運動神経が良いのかは未知数だ。
どうして辞めたのか、なんて聞けなかったし、これからも聞くつもりはない。
「もしかして、辞めたいとか思ってる?」
そっちは聞くのか。いや別にいいけどさ。
「……どうだろうな。自分でもよくわからないんだけど」
「惰性で続けても良いことないよー? 辞めるにしろ続けるにしろ、自分がどうしたいのかちゃんと考えた方が良いんじゃない?」
助言なのか説教なのか――――どっちにしてもズシリと来る。
本当にその通りだ。
けど、正直そう容易く受け止めきれない。
「そんな簡単に言うなよ。俺だって中学の三年間、自分なりに頑張ってきたんだから」
それなりの実績も作ってきた。良い思い出も沢山ある。
ここで辞めるってことは、その全てを自分の人生から切り離すってことだ。
簡単に手放せないんだ。
「私はちゃんと考えたよ。考えて考えて、このままじゃダメだと思って……昨日、頑張って踏み出したのに簡単に断ってくれちゃってさー」
それが昨日のあの相談を指しているのは明白だった。
そっか。こいつも軽い気持ちで言った訳じゃないんだな。
昨日は正直脳の処理が追い付いていなかったけど、今にして思えば姫廻の突然の相談は不自然だった。そもそも俺に恋愛相談って時点で不自然だ。
「ああいう相談って同性の友達にするもんだろ、普通」
「……だよね。でも男子の気持ちって男子にしかわかんないとこあるじゃん?」
「だから俺、ってのもどうかと思うけどな。恋人いる奴適当に捕まえて聞けば良かったんじゃねーの?」
「バーカ。私が気になってる人に恋人はいないから恋人いる男子に聞いても気持ちはわかんないの」
いや、今恋人がいる奴も最初からいた訳じゃないだろ。どう考えても俺より恋愛経験豊富な奴の方が適任だろ?
「とにかく! 私は真剣に自分のこと考えて行動したんだから、篠原もちゃんとする! いい?」
「どういう理屈だよ」
「そっちが悩んでたらいつまで経っても私の相談に乗ってくれないでしょ?」
小悪魔が微笑む。そっちの都合かよ。
でも、確かに今が決断の時かもしれない。このまま惰性で続けても、貴重な時間を無駄にするだけだ。
「わかったよ。気にかけてくれてありがとな」
「……ホント、お礼言う時だけ真っ直ぐだよね。篠原」
呆れられたのか、顔を背けて姫廻は去って行く。
感謝を伝えるのは何も恥ずかしいことじゃない。言い過ぎて安っぽくなるのは避けた方がいいけど。
ちゃんとする――――か。この場合、退部届の提出ってことになるんだろうな。
未練がない訳じゃない。でも、ここにいても中学時代のように熱くはなれない。それはもうどうしたって動かせない現実だ。
けど、放課後まるまる自由時間になったところで、何をすれば有効活用できるのかなんて想像もつかない。
勉強? それとも新しい趣味を見つける? なんかピンと来ないよなあ。
俺も来会や姫廻みたいに誰かを好きになれれば、時間なんて幾らあっても足りないんだろうけどな……
「篠原! 話あるからちょっと来い!」
不意に、キャプテンの怒鳴り声が聞こえてきた。
こんな剣幕で呼ばれたことなんて今まで一度もない。仮にさっきの姫廻との会話を聞かれていたとしても、怒るような熱を持っている先輩は一人もいない。
一体何が……
「お前、女子とペア組め。混合ダブルスな」
その理由は、鼻息荒いキャプテンのその言葉で判明した。




