第13話 悪あがきの心得
ベースライン上で構える月坂先輩の表情は未だに冴えない。
前衛だから乱打が苦手、ってだけじゃなそうだ。
ま、ある程度打ってみないことには先輩が自称するほどの下手さなのかどうかもわからない。全てはそれからだ。
乱打は野球でいうところのキャッチボール。コートの最奥、ベースライン付近から交互に打ち合うだけの準備運動。基礎中の基礎だからこそ、ここにあらゆる技術が詰まっている。
バックに苦手意識があるやつは自然と乱打でも回り込んでフォアで打ちたがる。意識の高い奴は打点を毎回変えたりフォームを逐一チェックしたりしながら打つ。
性格もここに結構出る。アグレッシブな奴は早い段階で速くて低いボールを打ってくる。強打に対して強打で返す奴は負けず嫌いが多い。ロブしか打たない奴は大抵変わり者だ。
「じゃ、いきまーっす!」
できるだけ圧を与えないよう、ちょっと道化じみた口調で叫びながら打つ。
緩やかな放物線を描いたボールはネットの遥か上を通過し、やがて向こうのコートで大きく跳ねた。
月坂先輩は――――
「てーっ」
……え。
今『てーっ』って言った?
あんな可愛い掛け声で打つテニスプレーヤーいる?
成程。こりゃ部内で思いっきり浮く訳だ。あの容姿でこの掛け声……周りからあざといと思われてるのが容易に想像できる。
俺は可愛けりゃなんでもいい派だ。ひたすら鳴き続けるだけの子猫の動画とか最高じゃん。一生見てられるよね。
それはともかくとして、技術的にはそれほど問題があるようには見えない。もっとぎこちないフォームを予想していたんだけど、割とスムーズに打てている。
露骨に下手な奴はテイクバック――――ラケットを後ろに引く時点で手首が曲がりすぎてたりスタンスが異様に狭かったり、何かしら重大な欠陥がある。力が入りすぎて強張ってるケースが多い。
けどここから見る限り、先輩のフォームにこれっていう欠陥は見当たらない。打球の精度も問題ない。
だとしたら、問題は……
「それじゃ次、ちょっと強く打ちますね!」
あんまりないことだけど、打球の種類を予告して打つ。結構プレッシャーだ。
後衛のショットはとにかく深さが大事。どれだけ相手のベースラインの近くに打ち込めるかが試合では重要になってくる。
後衛は基本、ベースライン付近で待つ。足下を狙われるのが一番打ち返し辛い。対応の精度を保つにはベースラインから下がってのストロークを強いられる。そうなると自然と相手から遠い所から打つことになり、攻撃力は一気に下がる。
けど先輩は前衛。前衛の選手は普段、ネット付近で陣取るからそんな深いボールを打ち返す機会はない。そんな相手にムキになって深いショットを打つのはマナー違反だ。
サービスライン付近でバウンドするようなボールなら、多少強くても打ち返すのは難しくない筈……
「……っ」
そう思って撃った俺のショットを、月坂先輩は思いっきり空振りした。
あ、ラケットで顔隠してる。でも当然、ガットの隙間から恥ずかしそうな顔が覗いている。
ちょっと待ってくれよ可愛すぎだろ……
「バレたよね」
はい、もうバレバレです。
月坂先輩、容姿だけじゃなく仕草も超絶可愛いと判明!
あ、それともう一つ。
今の俺のショット、実はそんなに強くは打っていない。ネットギリギリって訳でもなく、ある程度高さを保ってちょっと速い打球を打っただけ。
その打球に月坂先輩は露骨に怯えていた。フォームが強張って、明らかに動作が遅れていた。
「私、スピードのあるボールを上手く対処できなくて」
それは――――テニスプレーヤーにとって致命的な弱点だ。
どんなプレイヤーにでも得手不得手はある。俺だってトスが苦手でサーブが安定しなかったり、ロブの高さを上手く調整できなかったり……挙げていたらキリがないくらい弱点は多い。
ただ、スピードボールに対する苦手意識は比較にならないほど厳しい。試合では当然、かなりの頻度で強いショットを打たれる訳で。特に前衛はそれを前方で対応しなきゃならないのに、強打される度に縮こまってミスしてたら試合にならない。ずっと狙われ続けることになる。
スピードボールに対してのボレーが苦手だと言う前衛は珍しくない。でもそれはあくまで『自信がない』くらいのニュアンス。でも今の月坂先輩は、距離のある後衛のポジションで、それも先に強打を返すと宣言された上でまともに打ち返せなかった。あれじゃ前衛のポジションだと全く反応できないんじゃないか?
正直、初心者の段階ですら今後続けていくのが厳しいと判断されるレベルの致命的弱点。今まで何も言われなかった筈がない。
重い足取りでネットの傍まで来た月坂先輩の髪が既に乱れている。もうかなり汗を搔いているらしい。
「……色んな人に、辞めた方が良いって」
やっぱり言われてたか。
俺だってもし中学時代、先輩と同じようなプレーヤーが同じ部にいたら心の中で『なんでテニスやってるんだろ』くらいは思っていたかもしれない。
向いてないよ。無理だよ。
続けても辛い思いするだけなのに。
そんな心ない言葉を、仲間との雑談の中で声に出したかもしれない。
「どうして辞めなかったんですか?」
でも今は、俺の周りに仲間はいない。ずっとそのことを悲観的に思っていたけど、今日だけは違った。
「……」
責めているように聞こえたんだろうか。返答せず項垂れたままの月坂先輩は何処までも痛々しい。
そう受け取られても仕方がない。
でも俺は、先輩を非難するつもりは一切ない。今の俺にはそんな資格もないしな。
「俺は、辞めようと思ってました」
先輩の顔が上がる。泣きそうだけど涙が浮かぶような気配は全くない、でもウソ泣きとも全然違う不思議な顔。
それはきっと、現実を受け入れている諦観の顔。
もしかしたら俺も、高校に入ってからずっとこんな表情をしていたのかもしれない。
そう思った。




