第38話 化学準備室の主はひとり微笑む
放課後の化学準備室。
ここには、古い実験器具の匂いと、私の淹れたコーヒーの香りが混じり合っている。
私は愛用のマグカップを片手に、窓の外を眺めていた。
茜色に染まる校庭を、生徒たちが三々五々と帰っていく。
その中に、一際目立つ二人組の姿があった。
柏木湊と、如月ことね。
手を繋ぎ、何やら楽しげに笑い合いながら歩いている。その周りだけ、まるでピンク色のフィルターがかかっているかのようだ。
「……まったく。学校はデートスポットじゃないんだがな」
私は呆れたように呟きつつ、口元の緩みを隠すためにコーヒーを啜った。
数ヶ月前。
柏木は「勉強しか取り柄がない」と振られ、死んだ魚のような目をしていた。
如月は「見掛け倒し」と笑われるのを恐れ、自分の殻に閉じこもっていた。
二つの不安定な元素。
混ぜ合わせれば、劇薬になるか、それとも――。
私が柏木にプリントを託したのは、そんな教師としての好奇心と、少しばかりのお節介だった。
結果はどうだ。
劇薬どころか、互いに欠けた電子を補い合い、とてつもなく強固で安定した「共有結合」を結んでしまったらしい。
不登校だった少女は学年2位の秀才となり、ガリ勉と揶揄された少年は彼女を支える頼もしい男になった。
「人間同士の化学反応ってやつは、計算通りにいかないから面白い」
私は視線を少しずらした。
二人の後ろを、別の二人組が歩いている。
黒髪のボブカットになった愛川リナと、眼鏡の橘結衣だ。
愛川の変化もまた、予想外の反応だった。
一度は澱のように底に沈殿した彼女が、自らの熱で再結晶し、輝きを取り戻すとは。
268位から48位へのジャンプアップ。
あの時、私がかけた「悲劇にしかならんぞ」という言葉への、彼女なりの痛快な回答だ。
「……優秀な生徒を持つと、教師は退屈する暇がないな」
私は白衣のポケットから、いつもの棒付きキャンディを取り出した。
包装紙を剥き、口に放り込む。
甘い味が広がる。
彼らの青春は、まだ実験途中だ。
これから先、また爆発したり、白濁したり、分離したりすることもあるだろう。
だが、今の彼らなら大丈夫だ。
失敗しても、また試薬を足して、新しい答えを見つけ出せる強さを持っている。
「さて、と」
私は空になったマグカップを置き、伸びをした。
明日もまた、騒がしい一日が始まる。
あのバカップルがいちゃつくのを適度に注意し、元ギャルの更生を見守り、悩み多き若者たちの触媒となってやるのが、私の仕事だ。
「精々悩んで、苦しんで、幸せになりなさい。……私の可愛い生徒たち」
私は夕陽に向かって、誰にも聞こえない声で小さく呟いた。
化学準備室の魔女は、今日もビーカーの底で、静かに微笑んでいる。
これにて完結です!
ここまで読んで下さり、そして応援して下さりありがとうございました!!
他の作品にてお会いできることを楽しみにしております!
もし宜しければ作者の連載中の作品『ネトゲの親友に性癖をぶちまけてたら、オフ会に来たのがクラスの美少女だった』もご覧ください!




