第27話 射的
祭りの熱気は最高潮に達していた。
ソースの焦げる匂い、甘い綿菓子の香り、人々の笑い声。
俺と如月は、指を固く絡ませたまま、屋台の並ぶ通りを歩いていた。
「ん……おいしい」
如月の片手には、真っ赤なりんご飴。
彼女が小さな舌を出して、赤い飴をペロリと舐める。
その仕草が、艶やかな浴衣姿と相まって、妙に艶めかしく見えた。飴の赤と、彼女の唇の赤が重なる。
「……先生も食べる?」
「い、いや俺はいい」
「間接キス、気にするの?」
「気にするに決まってるだろ。俺はあくまで引率だ」
俺が顔を背けると、如月は「残念」とクスクス笑った。
完全に遊ばれている。
だが、彼女が心から楽しそうなのが伝わってきて、俺の頬も自然と緩んでしまう。
「あ、先生! あれ見て!」
不意に、如月が足を止めた。
彼女の視線の先には、射的の屋台があった。
コルク銃で景品を倒す、昔ながらの遊戯だ。
「あれ……あの猫のぬいぐるみ、すごく可愛い」
彼女が指差したのは、棚の一番上にある、少し大きめの黒猫のぬいぐるみだった。
彼女のLIMEアイコンにも似ている。
「欲しいのか?」
「うん。……でも、難しそう」
「よし、任せろ。生徒の願いを叶えるのも教師の役目だ」
俺はここぞとばかりに腕まくりをした。
正直、こういう場所でカッコいいところを見せたいという欲求がなかったと言えば嘘になる。
俺は屋台のおじさんに五百円を渡し、コルク銃を受け取った。
弾を込める。狙うは黒猫。
だが、ただ闇雲に撃っても当たらない。屋台の銃は癖があるし、コルク弾は軽い。
(……距離はおよそ二メートル。銃口のズレとコルクの質量を考慮すると……)
俺の脳内で、瞬時に計算式が組み上がる。
放物線を描く弾道。重力の影響。空気抵抗。
かつてリナに「理屈っぽい」「キモい」と言われた俺の思考回路が、今は武器になる。
「狙うのは重心のやや下。……ここだ」
パンッ!
乾いた音が響く。
コルク弾は美しい放物線を描き、黒猫の足元に吸い込まれた。
グラリ、とぬいぐるみが揺れ――そのまま後ろへと倒れ落ちた。
「お見事! 兄ちゃん、上手いねぇ!」
店のおじさんが鐘をカランカランと鳴らす。
周囲の客からも「おーっ」と歓声が上がった。
「すごい……! 先生、すごい!」
如月がぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。
俺は受け取ったぬいぐるみを、彼女に手渡した。
「ほらよ。……ま、物理の基本通りに撃っただけだ」
「ありがとう! 嬉しい……!」
彼女はぬいぐるみを胸に抱きしめ、それからキラキラした瞳で俺を見上げた。
「やっぱり先生はすごいね。勉強だけじゃなくて、射的まで計算しちゃうなんて」
「……普通は『理屈っぽくてつまらない』って言われるところだぞ」
「ううん。カッコいいよ。……私、先生のそういう賢いところ、大好き」
ドキン、と心臓が跳ねた。
彼女の言葉には、一点の曇りもなかった。
俺のコンプレックスだった部分を、彼女は「大好き」と全肯定してくれる。
射的で狙い撃ちしたのは俺のはずなのに、逆に俺の心臓が撃ち抜かれた気分だ。
「……そろそろ花火の時間だ。移動するぞ」
俺は照れ隠しに早足で歩き出した。
如月は「待ってよぉ」と笑いながら、ぬいぐるみを抱えたまま、俺の空いた手を再びギュッと握りしめてきた。
俺たちは人混みを抜け、事前に調べておいた穴場スポット――河川敷へと向かった。
周囲の喧騒が少しずつ遠ざかり、草の匂いと川のせせらぎが聞こえてくる。
――だが。
俺たちは気づいていなかった。
その背後を、どす黒い影が追跡していることに。
「……なによ、あれ」
屋台の陰。
愛川リナは、ギリギリと歯ぎしりをしていた。
彼女の視線の先には、黒猫のぬいぐるみを幸せそうに抱える如月と、それを優しく見守る柏木の姿があった。
今の彼女には、二人の幸せそうな姿が、自分への当てつけにしか見えなかった。
「許さない……絶対に邪魔してやる」
リナは乱れた浴衣の襟を直し、化粧崩れした顔に無理やり笑みを貼り付けた。
花火が上がる前の静寂な河川敷。
そこが、彼女にとっての最後の戦場となる。




