第26話 祭りの夜、恋人繋ぎ
夏祭り当日。
待ち合わせ場所の時計塔広場は、色とりどりの浴衣に身を包んだ人々で溢れかえっていた。
特に目につくのは、やはりカップルだ。
互いの手を繋ぎ、幸せそうに歩く男女。その光景を見ていると、これから自分もその一部になるのだという事実が、遅まきながら実感を伴って押し寄せてくる。
(……落ち着け、柏木湊。これはデートじゃない。あくまで生徒の課外活動の引率だ)
俺は心の中で呪文のように唱えながら、時計を確認した。
約束の時間の五分前。
普段なら十分前行動が基本の彼女にしては、珍しくまだ来ていない。着付けに手間取っているのだろうか。
「……あ」
不意に、周囲の喧騒が一瞬だけ遠のいた気がした。
カラン、コロン。
風情ある下駄の音が、雑踏を切り裂いて響く。
人波が割れ、その向こうから一人の少女が歩いてくるのが見えた。
「――っ」
俺は息をするのも忘れ、その姿に釘付けになった。
「……お待たせ、先生!」
如月ことねだった。
だが、俺の知っている制服姿とも、先日のワンピース姿とも、まるで雰囲気が違っていた。
身に纏っているのは、深い紺碧の生地に、艶やかな白百合があしらわれた浴衣。
落ち着いた色合いが、彼女の透き通るような白い肌を、闇夜に浮かぶ月のように際立たせている。
帯は鮮やかな赤色で、きゅっと引き締まったウエストを強調していた。
そして何より、髪型だ。
いつもは下ろしている艶やかな黒髪が、今日はふわりとアップにまとめられている。
露わになった白く華奢なうなじ。
そこから鎖骨にかけてのラインが、健康的でありながら、どうしようもないほどの色気を放っていた。
可愛い、なんて言葉じゃ足りない。
妖艶で、儚くて、圧倒的に美しい。
すれ違う男たちが皆、彼女を目で追っているのがわかる。
「……先生? そんなに見つめられると、恥ずかしいよ」
如月が頬をほんのり朱く染め、袖口で口元を隠した。
その仕草一つで、俺の心臓が早鐘を打つ。
「あ、いや……すまん。あまりにも雰囲気が違ったから」
「ふふ、頑張ってみたの。……先生が『青が好き』って言ってたから、先生色にしてみたんだけど。……どうかな?」
彼女はその場でくるりと一回転してみせた。
袖が優雅に舞い、甘い香りがふわりと漂う。
「……似合ってる。正直、直視できないくらい綺麗だ」
「ほんと!? ……えへへ、先生のためだけに可愛くした甲斐があったなぁ」
俺の素直な感想に、如月は心底嬉しそうに破顔した。
その笑顔の破壊力たるや、花火が上がる前に俺の理性が爆発四散しそうだ。
「さて、行こうか。もう屋台も始まってる時間だ」
「うん!」
俺たちは祭りのメインストリートへと足を踏み出した。
だが、数歩進んだだけで、想像以上の人混みに阻まれた。
前後左右から人が押し寄せ、油断するとすぐに離れ離れになりそうだ。
「……如月」
「あ、先生……!」
人波に揉まれそうになった如月が、不安げに俺の方へ手を伸ばした。
俺は迷わず、その手を掴んだ。
「はぐれるなよ。こっちは迷子の呼び出しなんてしたくないからな」
「うん……!」
最初は手首あたりを掴んでいたのだが、人混みの圧力は容赦がない。
これでは心許ない。
俺が握り直そうとした瞬間、如月の方から、俺の指の間に自分の指を滑り込ませてきた。
ギュッ、と。
指と指が絡み合う、いわゆる「恋人繋ぎ」。
「……これなら、絶対にはぐれないでしょ?」
如月が上目遣いで、悪戯っぽく囁く。
掌から伝わる彼女の体温と、柔らかい感触。
そして何より、この繋ぎ方が持つ「特別感」に、俺の顔が一気に熱くなる。
「……まあ、人混みだからな。仕方ない」
「ふふ、言い訳してる。先生の耳、真っ赤だよ?」
図星を突かれ、俺は咳払いをして前を向いた。
否定できない。
生徒の引率だの、保護者だの言っていたが、今の俺たちは誰がどう見ても「祭りに来たカップル」そのものだ。
「行くぞ。たこ焼き食いたいんだろ」
「うん! 先生と半分こしたい!」
俺たちは指を絡ませ合ったまま、熱気渦巻く祭りの中心へと歩き出した。
周囲の喧騒など気にならないほど、繋いだ手のひらの熱だけが、鮮明に意識されていた。
――そして。
そんな俺たちの背中を、遠くからじっと睨みつける視線があることに、俺たちはまだ気づいていなかった。
「……見つけた」
人混みの陰。
派手なピンク色の浴衣を着た愛川リナが、ギリリと奥歯を噛み締めていた。
「手なんか繋いじゃって……調子に乗るのもそこまでよ」
彼女は化粧崩れを直すことも忘れ、獲物を狙う狩人のような目で、俺たちの後を追尾し始めた。




