第22話 元カノからのSOS
時間を少し巻き戻そう。
台風が猛威を振るっていた、昨夜のことだ。
愛川リナは、自室のベッドの上で震えていた。
窓の外では雷が鳴り響いている。本来なら、こんな夜は彼氏と長電話をして、「怖いよぉ」と甘えて、慰めてもらうはずだった。
「……なんで出ないのよ」
スマホの画面には『発信中:長谷川くん』の文字。
もう五回もかけているのに、一向に繋がらない。
既読スルーどころか、未読のままだ。
ピカッ、ドーン!
雷鳴が轟く。
「きゃっ……!」
リナは布団を被り、半泣きになりながらもう一度コールした。
出てよ。私は彼女なんだから。優先されて当たり前でしょ?
六回目のコールで、ようやく通話が繋がった。
『……あー、もしもし? なんだよリナ、うっせーな』
聞こえてきたのは、不機嫌極まりない長谷川の声と、後ろで響くゲームの電子音だった。
「やっと出た……! ねえ長谷川くん、雷すごくて怖いんだけど……」
『は? そんなことでいちいち電話してくんじゃねーよ。今、連れとオンゲーやってて忙しいんだわ』
「な、何よそれ! 彼女とゲームどっちが大事なの!?」
『ゲームに決まってんだろ』
即答だった。
あまりの扱いに、リナは言葉を失う。
『つーかさ、お前最近ウザいんだよ』
「え……」
『成績落ちて補習ばっか確定だし、俺に「勉強教えろ」とか言ってくるし。俺、頭悪い女とか、重い女とか無理なんだわ』
長谷川の声は冷酷だった。
『前の彼氏――柏木だっけ? あいつはお前の面倒見てくれたかもしんねーけど、俺はそういうの求めてねーから』
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私、長谷川くんのために可愛くしてるじゃん! クラスでも一番目立ってるし!」
リナは必死に食い下がった。
自分の価値をアピールするしかなかった。
『あー、それな。……ぶっちゃけ、今のリナより、あの不登校だった如月ちゃん? あの子の方が断然レベル高いべ』
「――っ!?」
『見た? あの清楚なワンピース姿。俺、あっちに乗り換えたいんだよねー。ま、ガード固そうだけど』
頭が真っ白になった。
長谷川は、私ではなく、私が一番憎んでいる女を見ていた。
私という存在が、如月ことねの下位互換扱いされた瞬間だった。
『ま、そういうわけで。俺ら、潮時ってことで。じゃーな』
プツッ。
ツーツーツー……。
無機質な切断音が響く。
終わった。
あっけなく、ゴミのように捨てられた。
「……うそ、でしょ」
スマホを握りしめたまま、リナは呆然とした。
カースト上位の地位も、彼氏も、成績も。
全てを失った。残ったのは、補習の山と、惨めなプライドの残骸だけ。
孤独と恐怖が押し寄せてくる。
誰か。誰か私を肯定して。私を「価値がある」と言って。
その時、脳裏に浮かんだのは、かつて私に尽くしてくれた男の顔だった。
「……柏木」
あいつなら。
私が「怖い」と言えば、すぐに飛んできてくれた。
私が「わからない」と言えば、朝まで付き合って教えてくれた。
あいつだけは、私を裏切らなかった。
「そうよ……柏木なら……」
リナは震える指で、連絡先リストから『柏木湊』の名前を探し出した。
ブロックを解除する。向こうからはされていないはずだ。
発信ボタンを押す。
コール音が鳴る。
出ない。
「出てよ……お願い、出てよ……!」
二回、三回、五回、十回。
何度かけても繋がらない。
その時、柏木が別の「誰か」と温かい夜を過ごしていることなど想像もできず、リナはただひたすらに、救いを求める子供のようにスマホにしがみついていた。
***
――そして、現在。
台風一過の朝。如月家の客間。
俺はスマホの画面に並ぶ『愛川リナ(12件)』という通知を見て、溜息をついた。
「……何やってんだ、あいつ」
普通じゃない。
別れた元カレに、深夜に十回以上も電話をかけてくるなんて、何かの事件か、あるいは精神的に参っているかだ。
「……んぅ……先生?」
俺の腕の中で、如月が身じろぎした。
彼女が目をこすりながら、とろんとした瞳で俺を見上げる。
「誰から……? そんな怖い顔して」
「あ、いや……なんでもない。間違い電話だ」
俺はとっさにスマホの画面を伏せた。
せっかくの幸せな朝だ。彼女に余計な心配をかけたくない。
だが。
ブブブブッ……!
伏せたスマホが、再び震え出した。
着信だ。また、リナからだ。
「…………」
如月の視線が、俺のスマホに釘付けになる。
彼女の勘は鋭い。女の勘というやつか、それとも「先生センサー」が反応しているのか。
「……出る?」
「いや、出ない」
俺は拒否ボタンを押そうとした。
しかし、如月の手が、俺の手首をそっと掴んだ。
「出て、先生」
「え?」
「しつこいみたいだし……ちゃんと話して、終わらせてきて?」
如月は微笑んでいたが、その目は笑っていなかった。
『私の前で、他の女からの通知が鳴り続けるのは不愉快です』
そう言っているようだった。
俺は観念して、通話ボタンをスライドさせた。
「……もしもし」
『あ、柏木!? やっと出た……!』
スピーカー越しに聞こえてきたのは、涙声のリナの声だった。
隣にいる如月の耳にも、その声はハッキリと届いていた。
『ねえ柏木、助けて……私、もう無理……!』
朝の静寂に、元カノの悲痛なSOSが響き渡った。




