第11話 波乱の登校
「せ、先生……?」
静寂を破ったのは、クラスの誰かの素っ頓狂な声だった。
それを合図に、教室内が一気にどよめきの渦に飲み込まれる。
「おい、あれマジで如月さんか? 雰囲気変わりすぎだろ!」
「超可愛いんだけど……ってか、なんで柏木と手繋いでんの!?」
「先生って何? 柏木のこと? どういうプレイ?」
好奇心、困惑、そして男子生徒からの嫉妬の視線。
無数の感情が俺たちに向けられる。
如月の肩がビクリと震え、俺の手を握る力が強くなった。骨が軋むほどだ。
やはり、まだ大勢の視線は怖いのだろう。
「大丈夫だ。座ろう」
俺は彼女を庇うようにして、窓際の席――自分の席へと誘導した。
如月は俺の影に隠れるようにして歩き、俺の隣の席(ずっと空席だった彼女の席)に座った。
だが、手は離さない。
机の下で、俺の制服の裾をギュッと掴んでいる。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
二人の世界に入ろうとしたその時、金切り声が響いた。
愛川リナだ。
顔を真っ赤にして、俺の机の前に仁王立ちしている。
「何なのこれ! 意味わかんないんだけど!」
「……おはよう、愛川。朝から元気だな」
「挨拶してる場合じゃないでしょ! なんであんたが如月さんと手繋いで登校してくんのよ! それに『先生』って何!?」
リナの剣幕に、周囲のざわめきが少し引く。
俺は冷静に答えた。
「見ての通りだ。俺は今、如月の家庭教師をしている」
「はあ? 家庭教師?」
「ああ。担任の冴島先生からの依頼でな。勉強を教えてるんだ」
「だ、だからって……手繋ぐ必要ないじゃん! 学校だよここ!?」
リナの指摘はもっともだ。
だが、ここで「彼女が怖がってるから」と言えば、またリナは「甘えてる」と攻撃してくるだろう。
俺が口を開こうとした瞬間、隣から凛とした声が響いた。
「……必要、です」
如月だった。
彼女は俺の袖を掴んだまま、キッとリナを睨み上げていた。
その瞳には、かつて噂されていたような弱々しさは微塵もない。あるのは、自分のテリトリーを侵そうとする外敵への敵意だけだ。
「先生の体温がないと、私、落ち着いて授業受けられないので」
「は、はあ!? 何それ、あんたバカにしてんの!?」
「事実です。……それより、邪魔しないでくれませんか? 先生と予習の確認をしたいので」
如月はリナから視線を外し、俺に向き直った瞬間、とろけるような甘い笑顔になった。
「ね、先生。ここの英単語、発音チェックして?」
――無視。
リナの存在など、教室の壁のシミ程度にしか思っていないような徹底的なスルー。
リナは「ぐぬぬ……」と言葉を詰まらせ、拳を震わせている。
「お、おいリナちゃん、席戻ろうぜ……ホームルーム始まるし」
空気を読んだ長谷川が、気まずそうにリナの腕を引いて連れて行った。
去り際、リナが俺を睨みつけてきたが、俺はもう教科書を開いていたので気づかなかったことにしておいた。
***
ガラッ、と扉が開き、冴島先生が入ってくる。
「席につけー。……お、如月。来てるな」
教壇に立った冴島先生は、如月を見てニヤリと口角を上げた。
そして俺と目が合うと、小さくサムズアップをしてきた。
『よくやった』という合図だ。
「えー、見ての通り、今日から如月が復帰する。しばらく休んでたから勘が鈍ってるかもしれんが、まあ、隣に『優秀な専属教師』がついてるから問題ないだろう」
先生の言葉に、クラス中が俺を見る。
公認かよ、というどよめきが走る。
これで、俺たちが一緒にいることの正当性が証明されたわけだ。
***
休み時間。
予想通り、俺の席の周りには人垣ができていた。
といっても、遠巻きに様子を伺っているだけだが。
「柏木、お前すげーな……あんな美少女隠してたのかよ」
「家庭教師ってマジ? 俺も頼みてーんだけど」
男子生徒たちが冷やかし半分、羨望半分で声をかけてくる。
俺が適当に返事をしていると、前の席の椅子がクルリと回転した。
「よう、色男。朝から派手なショーを見せてくれるじゃねえか」
悪友の藤堂だ。
ニヤニヤと楽しそうに俺と如月を交互に見ている。
「うるさいぞ藤堂。別にショーのつもりはない」
「いやいや、傑作だったぜ? 元カノが顔真っ赤にして地団駄踏んでる横で、美少女とイチャイチャ勉強会とはな。性格悪いなお前」
「誤解だ。これは教育的指導だ」
俺は心外だと溜息をついた。
すると、如月が教科書から顔を上げ、藤堂をジッと見つめた。
「……先生の、お友達?」
「おう。一年の時からこの堅物の世話をしてる藤堂だ。よろしくな、如月ちゃん」
「……如月です。先生の友達なら、私の友達」
如月はペコリと頭を下げた。
藤堂は「おーおー、忠犬かよ」と笑った。
「で? リナの反応はどうだった?」
藤堂が小声で聞いてくる。
俺は視線だけで教室の後方を指した。
そこでは、リナが取り巻きの女子たちに囲まれ、ヒステリックに何かを喚いているのが見えた。
「『あんなの絶対すぐボロが出るわよ!』『柏木くんも騙されてるだけ!』……って感じだな」
藤堂がまたアテレコをする。
リナの手元には、白紙に近い課題プリント。
一方、俺の隣では、如月が俺の書いた解説を見ながら、猛スピードで問題を解いている。
「……格差社会だな」
藤堂がボソリと呟いた。
「『便利な道具』を捨てた女と、『最高の教師』を手に入れた女。……勝負は見えたな」
キーンコーンカーンコーン。
予鈴が鳴る。
「先生、今のところ合ってた?」
「ああ、完璧だ。次のページに進んでいいぞ」
「わーい! 頭撫でて?」
「……学校では自重しろ、如月」
如月が甘えて頭を差し出してくるのを、俺が軽くかわす。
その様子を、リナがハンカチを噛み締めんばかりの形相で睨んでいることに、俺は気づかないフリをして、二時間目の準備を始めた。
この「二人だけの世界」は、期末テストに向けてさらに加速していく。
リナの焦燥が爆発するまで、あと数日――。




