野暮用
朝食が終わり、お父様に抱っこをされると転移魔法で魔導研究所の管理長室に飛んだ。お父様が息をするように使う転移魔法は、魔法の難易度に表すとSS級の難しさを誇る。伊達に長生きはしておらず、魔法の研究を行う施設の責任者はしていないと本人は語っていた。
室内は整然としており、机の上も書類一枚もない綺麗さ。大きな椅子に腰かけたお父様の膝の上に乗せられる。
「マルティーナ」
黒眼鏡を外して私の顔を覗き込まれる。うう……血の繋がりはあると言えばあるから、血縁上私の父と名乗っても変じゃない。ただ、私の中身が女子高生なせいで超絶美貌の顔を接近させられると恥ずかしい。
額にキスが一つ落とされた。お返しとお父様の頬にキスをしたら青い瞳が優し気に細められた。
「どこで覚えた? こんなこと」
「どこでもないけど……。強いて言うなら私からお父様への愛情のお返し」
「お返しねえ。悪くない」
また額にキスをされ、両頬にも何度かされた。擽ったくて恥ずかしさは消え嬉しさが上回った。『転移者』と聞かされ、家族と二度と会えないと知った悲しみや寂しさはずっと消えないだろうが、子育てをしてみたいという理由でも私に惜しみない愛情を注ぐお父様がいてくれるから大丈夫。
「ねえ、お父様が子育てをしたくなったのはどうして?」
「うん? 大した理由じゃない。おれ以外の職員は既婚者で子持ちが多い。そいつらが子供を育てているところを見たら、おれも一人育ててみたくなったのさ」
「家族が欲しくなったって訳じゃないの?」
「どうだろうな。似たようなものかもな」
子供を作るには当然パートナーがいる。お父様……ルチアーノの子供を産みたいという女性は大勢いる。
「一度抱けば自分を正妻にしろと迫って来るのが目に見えていたんだ、無暗に手を出してたまるか」
嫌々社交界に顔を出したら、媚薬や催淫剤入の飲み物を渡されたり、逆に相手が発情した状態でお父様に関係を迫ったりして散々な目に遭うとか。
「お父様の子供を作る目的で実験に協力しても正妻にしろって迫りそうなのにね」
「おれの子供を作るとは明言していない。魔法で子供が作れるか実験をする為の卵子提供を呼び掛けたんだ。無論、口止め料で多額の報酬金は渡してる」
「それでも口を滑らせる感あるね」
「安心しろ。契約魔法を交わしてある。もしも契約違反を犯せば、五百年間石化する呪いをかけた」
「わあ……」
解呪方法は無いに等しく、石化した身体が砕ければ死を迎える。報酬金を目当てにするということは、協力者は平民が多いということ。中には貧乏貴族の女性もいたとか。
私の容姿はお父様に似て卵子提供者たる母親に似ている部分が殆どない。性別が同じなくらいだとお父様は言う。
お父様と部屋で戯れて早三十分以上。一人も来ない。
「誰も来ないね」
「おれが来るとは誰にも言ってねえもんでな。どうせ、野暮用だし」
「その野暮用を済ませなくていいの?」
「ああ」
因みに野暮用がどの様なものか教えてもらえない。代わりにギュッと抱き締められ、お返しと私も強く抱き着いた。
着痩せするタイプなのか、外見じゃ分かりにくいけど意外と筋肉がしっかりついてて固い。お風呂に何度か入れられているお陰で上半身裸を見て卒倒しかけたこと何回か。あの時程自分が赤ちゃんで良かったと感謝した。
頭を撫でるお父様の手の温もりにうとうとしていたら、控え目に扉がノックされた後ゆっくりと開かれた。かと思いきや、急に勢いよく開かれた。どっちなの。
「あ、ああー!? 管理長いたんですか!?」
「うるせえ」
ぼさぼさの茶髪に草臥れた白い研究服を身に纏った男性は、入室するなりお父様の姿を見て驚愕。左胸に職員の証たるバッジが着いている事から関係者なのは明白。私は魔導研究所の人とは一度も会ったことがない。こうやって管理長室に連れて来られてもお父様と過ごして終わりだったのだ。初めて会ったなあ、と眺めていたら男性の目が私に向いた。
「え、も、もしかして管理長のお子さん……?」
「見たら分かるだろう」
「う、うわあ。ぼく、管理長の研究を手伝っていたけど最後に見たのは赤ちゃんだから、大きくなった姿って初めて見た」
男性が感慨深そうに何度も頷いているとお父様が不機嫌な声で話し掛けた。
「何しに来た」
「何しに来たってそんな怒らなくても。管理長、今日は来るって言ってなかったじゃないですか」
「ちょっとした野暮用で来ただけだ」
「その野暮用は終わったんですか?」
「まだだ。所詮野暮用だからな、終わらなくてもいい」
ただ私と二人きりになって構いたかっただけとお父様に抱き締められ、やれやれと抱き付いた。基本私を構いたがって仕事を放棄するこの癖は、そろそろ直さないとならない。後々職員の方々に迷惑が掛かる……というか既に掛かってるか。
「管理長ってばその子が大事なんですね」
「大事にするつもりで創ったんだ。当たり前だろう」
「いや。管理長のことだから、すぐに飽きて執事や使用人に押し付ける気満々だろうって皆で賭けてたんすよ」
賭けるな。
職員からの信頼があるのかないのか。
「お前等おれをなんだと思ってる」
「すごい人だって知ってても、自分勝手ですぐに飽きる人」
「はいはい。間違っちゃいねえ」
私の両脇に手を差し込み、姿勢を正したお父様と目が合う。黒眼鏡の奥に隠された瞳は、今どんな気持ちで私を見つめているのだろう。
「そうだ管理長。ご息女の名前はなんて言うんです?」
「教えねえ」
「えー!?」
「此処に連れて来たってお前等に関わらせる気は更々ねえんだよ。今日は偶々お前が来ただけで」
「そんなあ! 研究を手伝っていたんですから、名前くらい教えてくださいよ! 僕も子供は好きだし、仲良くしたいです」
「いらねえ」
拒否の姿勢を貫くお父様に粘る職員さん。段々涙目になってきてる。若干可哀想になってきて私の方からマルティーナと名乗った。名乗った途端、目を輝かせる職員さんとは反対にお父様は呆れていた。
「教えなくていいものを」
「可哀想なんだもん」
「管理長に似ず優しい子に育っています……痛っ!?」
余計な言葉を言いそうになった職員さん——スレイさんを魔力の球で後方へ突き飛ばしたお父様。咄嗟の出来事で受け身は取れず、壁に激突して痛いだろうにスレイさんは何でもないような様子で戻って来た。
「酷いですよ管理長!」
「近付くな。おれの娘が汚れる」
「女性に一度も困ったことのない局長にだけは言われたくない……!」
「女遊びはしてないって言ってんだろう」
「マルティーナちゃんが生まれる前はでしょう」
「研究を始める前からもしてねえ。極稀に娼館行って発散はしてたが」
子供の前で大人の性的事情を話すなー!
抗議の意を込めてお父様の胸元を拳で叩いてもビクともしない。叩いた私の手が痛い。
「マルティーナが怒ってる。この話は終わりだ」
「子供の前でする話じゃなかったですね。管理長、言い忘れてましたがマルティーナちゃんが生まれてから何度も王家から打診が来てますよ」
「……」
王家の打診とは第二王子殿下と私を婚約させろというもの。
「ねえねえお父様」
「どうした」
「お父様は魔導研究所の偉い人でしょう? 貴族位はもらってるの?」
「いいや。辞退した」
魔導研究所の管理長で王都に大きな屋敷を構え、何十人もの使用人達に仕えられているお父様だが貴族位は賜ってはいない。
「母が父の求婚を受け入れた時もそうだった。魔法オタクだった母は魔導研究所の責任者に任命されるだけで十分だと当時の国王に突っ撥ねていた。父も母の好きにしたらいいと言って身分に拘りを持たなかった」
「お祖父様はエルフだから、人間世界で貴族になっても意味がないと思ったの?」
「それもあるな」
祖母が亡くなった後、祖父は祖母の遺骨を抱えて何処かへと旅立ってしまった。お父様は時折連絡を取り合っているらしく、居場所もその都度教えられるらしいが一度も会いに行ってないのだとか。
お父様は亡くなった祖母に似ていて、種族が違えど祖母を深く愛していた祖父はお父様を見るといつも悲しそうな目を浮かべてしまう為、会おうとしないらしい。
「お祖父様に一度会ってみたい」
「お前のことは知らせてある。気が向いたら会いに来ると言っていた」
その気が向くのは一体いつになるのやら。
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