ルチアーノの懸念
腕の中に抱くマルティーナは規則正しい寝息を立てて眠っていて、暫くは起きないと判断したルチアーノはラナルドを連れて庭へ移った。
「五年前、西の洞窟に棲み付いた魔物を覚えてるか」
「ええ。編制した部隊があっさりと全滅させられましたね」
「クロウリーに言って魔物を使役する指名手配犯を調べさせていた。当時は該当する奴はいなかったんだが」
ルチアーノの口振りから察するに五年経った今魔物が異常成長した種類ではなく、人為的に誕生した魔物だと判断したラナルドがある旨を訊ねた。
「態々、マルティーナ様を眠らせ人気のない場所へ移ったのは——あの集団の生き残りだったから、ですか」
「あくまで可能性の話だ」
幼少期のラナルドを攫い、黒魔法の生贄にしようとした集団は偶々訪れたルチアーノの手によって壊滅させられた。あの時、あの場にいた信者が全員とはルチアーノや当時の騎士団にも分からず、二十年以上経過した現在でも詳細な人数は把握されていない。
魔物は黒魔法によって生み出された生物であるというのがルチアーノが下した決断。たった一人生き残ったラナルドは集団への憤りも憎しみも感じさせない……貼り付けた微笑を変わらず浮かべている。
「黒魔法の集団の捜査となると高い実力を持つ密偵を選ぶ必要があります。陛下と相談の後、第七と第一、第二の部隊長を集め密偵を選出します」
「お前は何とも思わないのか? 連中に」
「何も……。ぼくは彼等に手を出される前に貴方に助けられた。強いて言うなら、もう少し早く来てくれればぼくの前に殺されたあの子供は生きていられたでしょう」
「……」
血で描かれた魔法陣の真ん中に座らされたラナルドの目は虚ろに染まり、視線が向いていた方には腹部を刃物で抉られた少女の遺体が横たわっていた。実験は失敗した、この子供は強い魔力を持っている、この子なら成功する。狂気に支配された信者達は口を揃えて言い続けていた。
神を降臨させる、我等が母を今こそ解放する、と。
「ルチアーノ様は、彼等が何を召喚したかったか分かりますか?」
「……大体の見当はついてる。召喚したところでそいつに食い殺される未来しかねえってのに。頭に花畑がある奴等は、皆馬鹿ばっかりだ」
「差し詰め……悪魔といったところですね」
「悪魔なんて可愛い代物じゃない。連中が召喚したかったのは——」
嘗て黒魔法を崇拝した集団の狙いをラナルドに語った後、腕の中にいるマルティーナが身動ぎした為ルチアーノは一旦我が子を自身の寝室に運んだ。大人二人が寝ても十分なスペースがある寝台で五年経った現在もマルティーナと眠っている。もうそろそろ一人で寝るようテノールやヘレンに口酸っぱく注意を受けるが大人になっても娘と眠りたいルチアーノは却下しか出さない。
寝室から庭にすぐに戻るとラナルドはまだいた。
「ヴィクター殿下とサンタピエラ伯爵令嬢は何処へ?」
「あ? ああ、ラウゼスのところに二人揃って飛ばした」
「ラウゼスは王族相手にも容赦しません。今頃、二人揃って叱られている最中ですね」
「だろうな。おれには知ったことじゃない。まあ、面白そうだから見てみるか」
濃い青の瞳に線が走り、複雑な魔術式が刻まれるとルチアーノは噴き出した。
「自分の弟子が女の子だろうと伯爵令嬢だろうとあいつには関係ないみたいだな」
この言葉だけでミエールがしっかり叱られている様が目に浮かぶ。
「第二王子の方も迎えが来てクロウリーが大層お怒りだって言われて震えてる。はあ、面倒な奴等だ」
「マルティーナ様は、ルチアーノ様が彼等を許す条件に殿下とサンタピエラ伯爵令嬢の婚約を付けていました。どちらもルチアーノ様とマルティーナ様のご機嫌取りに動くのは必須かと」
「面倒だな。サンタピエラ伯爵家、それに大聖堂、クロウリーは……後でいいか。取り敢えず、前者の二つには魔導研究所の援助を一切断ち切るって送っとくか」
治療薬や回復薬、儀式に必要な触媒や道具を大聖堂には定期的に納品をしており、サンタピエラ伯爵家においてもルチアーノが開発した特許技術で作った農具を貸し出しているがそれらを全て禁止する方向で動く。条件にヴィクターとミエールの婚約を付けられれば二つとも大慌てすること間違いなし。
「奴等が慌てふためく様を見るのが愉しみだな」
「やれやれ」
性格の良し悪しで圧倒的に後者に傾くルチアーノ。愛娘の前では最低限にしか見せないとは言え、悪巧みを考える今の顔がルチアーノの本性と言っていい。
後もう一つラナルドに伝えることがあるとルチアーノが切り出した直後、走ってやって来たテノールが今外にラウゼスが来ていると伝えた。内心早いと驚きつつ、すっかりと話し込んでいたのだと自覚した。面倒くさげに屋敷の外に出れば、顔を片手で覆っているラウゼスが立っていた。
「どうしたよ、お忙しい神官長殿」
「……ルチアーノ卿……ミエールが第二王子殿下と揃ってマルティーナ嬢に失礼を働いたと聞いて詫びに来たんだ」
「要らねえよ。強いて言うなら、おれも見たかったな」
「お前……」
屋敷にルチアーノがおらず、マルティーナしかいないと聞き付けヴィクターはミエールを連れて強行突入をかました。
「ご令嬢は置いて来たのですか?」
「無論だ。しっかりと反省させる為、一カ月礼拝堂の掃除を一人でさせることにした」
「それはまた厳しい。貴族の娘に掃除ですか」
「貴族だろうと王族だろうと、神官になったからには私の指示に従ってもらう。それが嫌なら即退職だ」
「彼女は貴方を慕っているようですから、きっと乗り越えて見せるでしょう」
「?」
揶揄う口調でミエールの片想いを暴露したラナルドだが、弟子が師匠を慕うのは当たり前という認識のラウゼスには通じず怪訝に思われる。恋慕っていると付け足すと瞬きを繰り返し、不可解な面で「何故私を? 歳が離れているというのに」と呟いた。歳が離れていようと恋をする時はする。将来聖女と有望視されているミエールにいつも熱い眼差しを貰うのは、師である自分を慕っているものだとばかり思っていたラウゼスにとっては衝撃的な話である。
「深く考えてやるな。お前を慕っているのは事実なんだ。そうでないとお前の厳しい態度についていけるか」
「う、うむ……」
まだ妙に納得のいかない表情をしつつ、ハッとなったラウゼスは一つ咳払いをした後話を戻した。
「ルチアーノ卿、ミエールには後日誠心誠意謝罪させる。魔導研究所との取引も停止していい」
「その代わり、第二王子と弟子の婚約だけは止めてくれって?」
「……そうだ」
「お前等に都合が良いだけだろう」
「何を言う。魔導研究所が作る治療薬や回復薬は、お前の神聖力を使っているお陰でどこの商会にも出回らない程の品質を誇っているんだ。儀式に使う触媒や魔道具にしてもそう」
痛手を負う代わりに一つは見逃せと言うのがラウゼスの主張。鼻で嗤ったルチアーノは「抑々な」と前置きし、クロウリーを筆頭に王家には散々迷惑を掛けられている上に大聖堂まで加わると面倒極まりないと吐き出した。
「お前の弟子は王子妃になるつもりはないのか? 今の時代、神官の結婚は禁じられてないだろ」
「一定の条件はあるが結婚を禁じる規則はない。貴族や王族が相手でもな」
但し、肝心のミエールに王子妃になる心算は更々なく、ヴィクターを異性として一度も見たことがないとラウゼスとヴィクターの前で言い切った。どうしてマルティーナが二人の婚約を条件に出したか、理由を知っているラウゼスは倒れそうになったヴィクターを同情こそすれど可哀想には見なかった。
「どうせ、後日クロウリーが関係者を集める。この続きは一旦終わりだ」
「その口振りだと別の話があると見えるが?」
「ああ。ラウゼス、ここ最近黒魔法に関連した事件は起きてないか?」
黒魔法と聞いて目の色が変わったラウゼスの表情は神官長のそれに変わった。
「私の知る限りでは起きていない」
ちらっとラナルドを気にしつつ、黒魔法という言葉が出るのは二十年以上前の集団が再び表舞台に出て来た以外理由が見当たらず、ルチアーノに問えば明確には発言出来ないと若干否定された。
「五年前、西の洞窟に棲み付いた魔物を覚えてるか。あれは黒魔法によって生み出された生物だと漸く判明した」
「随分時間が掛かったな」
「黒魔法特有の魔法式が魔物の脳に隠されていた。切って開いても巧妙に隠されていたせいで中々見つけられなかった」
「生物について深い知識を持っている者が連中の中にいるとなると今後も黒魔法で生物を創り出す危険性があるのか……」
「クロウリーが誰を集めるにしろ、この件については話す」
「是非そうしてくれ。……ラナルド」
黙って二人の話を聞いているラナルドは黒魔法の言葉が出ても感情を露にしない。実際のところどう思っているのかラウゼスが聞けば、なんとも? と肩を竦めた。
「ぼくにどう思ってほしいのです」
「少しは気にならないのか」
「あまり。ぼくは魔力が強かった分、生贄にされる順番は最後にされました。扱いも恐らく他の子供達よりマシな方だった。生贄にされる前にルチアーノ様に助けて頂いたお陰で恐怖というものをあまり感じなかったのですよ」
「……」
元々感情の一部が欠落している男に感想を求めたのが間違いだった。
先代公爵夫妻を事故で亡くした時もそう。貼り付けた微笑を浮かべているだけで涙は一滴も零していなかった。
ラナルドに手を貸したルチアーノが公爵夫妻を始末したと噂されるだけはある。
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