王子様に興味ない
——時間が過ぎ去るのは早い。あっという間に六歳を迎えた。
「お父様ー!」
「マルティーナ」
朝起きてすぐ庭に駆け出し、花壇の前でしゃがんでいたお父様の背に飛びついた。服の上からじゃ分かりにくい鍛えられた肉体に私が飛びついても一切揺れない。顔だけ向いたお父様にこっちと手招きをされて前に回り込むと土に掘られた穴の中から一匹のミミズが顔を出していた。
「大きいねえ」
「土が肥えている証拠だ。このサイズのミミズはまだまだいる」
初めて見た時は前世と変わらないグロテスクな見た目に悲鳴を上げたが二度、三度見ていると慣れ始め、今は見ているだけなら平気になった。触れと言われたら断固拒否する。見るだけと実際に触れるのとでは話が違ってくるのだ。
「寝間着のままじゃないか。起きてすぐ来たのか?」
「窓を開けたら、お父様が庭に出ているのを見つけて走って来ちゃった」
「朝の支度をしてこい。朝食を食べるぞ」
「うん!」
「お嬢様ー!」
両手を伸ばしたらそれが抱っこを強請っていると把握しているお父様に抱き上げてもらうと、後ろの方向から泣きそうな声で私を呼ぶ女性の声が届いた。お父様と一緒に後ろを向けば、私の侍女マリンが涙目で到着した。
「も、もう、お嬢様ってば、起こしに行ったらお部屋にいなくてどこに行ったのかと探しましたよ!」
「ごめん。起きてすぐに窓を開けたらお父様を見つけちゃってつい」
ずっと私に構い倒すお父様を見兼ねたテノールがそろそろ私に専属の世話係を付けるべきと進言したのが一年前。私には本来いるべき乳母がいない。理由は普通の人間と身体の構造が違う為、母乳を必ずしも与える必要がなく母乳の代わりとしてお父様の魔力を与えられた。
将来的に私の世話役を兼ねてテノールは乳母を付けたがったがお父様が拒否したのだ。
魔導研究所の管理長の仕事はちゃんとしていると本人は言うが仕事をしている場面を六年目撃した事がない。テノールの様子を見るに多分真面目にはしていなさそうだ。
「さあお嬢様、お部屋に戻って支度をしましょう」
「はーい」
マリン——本名アクアマリン。魔導研究所に所属する研究員の娘で私より年齢が九つ上だ。テノールの親戚でもあり、彼の紹介があって私の専属の世話係に任命された。当初は私の世話は全部自分がするとお父様が断っていたが……
『あのですねルチアーノ様。これからお嬢様は成長するにつれ、立派な淑女になられることでしょう。お嬢様の為にも専属の侍女が必要です。旦那様だけでは手が回らない部分が必ず出てきます』
『社交界に出す気は更々ねえってば』
『それは恐らく無理だとお嬢様が生まれてからずっとお話ししてきたではありませんか……』
二百年前の王女を母に持つお父様は王家の一人であり、祖父母の意向で王族籍に入れてないとはいえルチアーノに私という娘が出来てしまった以上、政略結婚をさせようと目論む輩が出るわけで。国王もその一人だとか。
現在は私がまだ幼いという理由で婚約の打診を全て跳ね除けられている。
マリンと共に部屋に戻った私は早速鏡台の前に座った。
「今日はジョゼフィーヌ先生が来る日だっけ?」
世話係同様で私を立派な淑女に育てたいのならお父様一人では絶対に無理ですとテノールの説得が実り、テノールの親戚筋に当たるジョゼフィーヌ夫人が私の教育係に選ばれた。
「いえ。夫人の御父上が亡くなられたとの事ですのでしばらくはお休みです」
「そっか……」
身内の死というものは何時かは訪れる避けられない悲しい出来事。私のように突然訪れたものでないのなら、覚悟を決める時間も作られるだろうが……。
「しばらくは旦那様がお嬢様の勉強を見るとのことです」
「お父様と勉強かー。久しぶりかも」
因みにジョゼフィーヌ先生に習い始めたのは一年前。マリンが世話係に任命されたのも一年前だから、色々と決まった年でもあるわね。
大陸共通語は前世の世界で言うと英語に近い。お父様が普段読んでいる古代書の文字はロシア語に似てたな。中学の同級生にロシア人の男の子がいたけど元気かなー。
丁寧に綺麗に、でも手早く朝の支度を終えた後はマリンに選んでもらった普段着に着替えるのみ。今日はジョゼフィーヌ先生の授業がないので青い長袖のワンピースを選んだ。ドレスでも良いけど動きやすさを選ぶとこっちがいい。
マリンを連れて食事の場に足を踏み込めばお父様が私を待っていた。
「来たか。おいでマルティーナ」
「うん!」
席はお父様の前。
マリンが引いた椅子に座ると続々と朝食が運ばれた。今朝は私の大好物の一つオムレツがある!
他にはサラダ、クロワッサン、スープ、デザートのアイスクリーム。トッピングはイチゴ。やった。
「今日はお前の好物ばかりか」
「やったー。嬉しい」
「食べ終わったら魔導研究所に行くぞ」
普段は私に付きっ切りでテノールや職員の人に引っ張られて行く職場に自分から行くのは珍しい。顔に出ていたのか、面倒くさそうに野暮用だと言われた。はっきりと言わないのは私には聞かせたくないのだろう。深くは聞かず、私は分かったとだけ返した。お父様が魔導研究所の管理長を務めている以外、詳細な仕事内容は知らない。私が成長してもきっとお父様は仕事について関わらせない気がする。あくまで私の勘。
気持ちを切り替えてオムレツをフォークで切る。中はひき肉や野菜が沢山。前世じゃお母さんが作るオムレツはよくもやしが入ってたな。具沢山も嬉しいけど、もやしも好きだった。後もやしの味噌汁も。こっちじゃもやしはないし、自分で作ろうにもどの豆を使えばいいのかさっぱり分からない。
「なあマルティーナ。お前、王子様って興味あるか?」
「ない」
「そうか」
最近ちょくちょく王子様っていう単語がお父様の口から出て来る。王国には現在二人の王子がいる。
第一王子殿下は私より十歳上で王太子の地位にいる。幼少期の婚約者の公爵令嬢とは相思相愛だと有名な話。
第二王子殿下は私と同い年と聞いているけど実際に会った事はなく、顔も知らないし為人も知らない。
「お父様が最近王子様って単語を出すのはどうして?」
「上の連中が第二王子の婚約者にお前をとうるさくてな」
「お父様が婚約しろって言うなら私は従うよ?」
「いい。お前に婚約者を作る気はねえよ」
エルフの祖父と二百年前の王女を祖母、そして二人の血の良い所を沢山受け継いだお父様の娘の私を息子の婚約者にしたい貴族は大勢いる。国王も然り。
「研究所に行くのは、国王陛下が第二王子殿下と私との婚約に拘っているせい?」
「そんなところだな。あンの野郎、おれは嫌だってつってんのにしつこいったらありゃしねえ」
「旦那様、お口が悪いですよ」
お父様の言葉遣いが悪いのは生まれた瞬間から知っている。テノールが諫めるもお父様は右から左へ聞き流す。暫くお父様の愚痴を聞きながら朝食を全て食べ終えたのだった。
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