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ジョーリィの落胆

 

 


 腕の中で眠るマルティーナの額にキスを落としたルチアーノは小さな身体を慎重にベッドに寝かせた。長身のルチアーノに合わせて作られた寝台は子供のマルティーナにはとても大きく、コロコロ転がっても余程寝相が悪くない限り落ちはしない。眠るマルティーナを眺めていると思い出す。赤ん坊はベビーベッドに寝かせるべきと子育て経験者のヘレンや職員に言われるも、子供と触れ合いたいルチアーノは絶対に落とさないからといつも隣に寝かせていた。七歳になった今は時折一緒に寝ているが、ふと抱いた疑問を出入口付近で見守っているテノールに投げかけた。



「子供が親と寝るのは何歳までなんだ」

「明確な年齢制限はありませんが今のお嬢様くらいだと、大体は一人で眠っているかと」

「そうか」



 家に寝台を複数置く余裕がなかったり、親が過保護な場合は子供がある程度大きくなるまでは一緒に寝ているパターンもあると聞く。ルチアーノも過保護の部類に入る。マルティーナの我儘ならどんなことでも叶えてやりたい。



「お前から見てマルティーナは成長しているか?」

「ええ。とても。お嬢様は毎日すくすく成長していっております」



 自分の目からでは分からないことは他人に聞くこと、とは亡き母エレメンディールの言葉。



「テノール。ちょっと野暮用で出掛けて来る。マルティーナは……」



 チラリと熟睡している娘を見下ろし、起きはしないかとテノールに何でもないと遮り、転移魔法で移動した。ルチアーノがやって来たのはモーティマー家の正門前。突然現れたルチアーノに驚いた門番だが、すぐに姿勢を正した。



「これはルチアーノ卿!」

「ラナルドはいるか?」

「はい!」



 すぐに呼んで参りますと屋敷へ走ろうとした門番を止め、屋敷から出て来たラナルドの姿を認めてルチアーノは奥へ進んだ。



「おれが来たと解っていたのか」

「丁度見えたものですから。用事があるなら、ぼくが足を運びますのに」

「大した……ああー……」

「?」



 大した用事ではないと言い掛けて止めたルチアーノは怪訝な眼を向けるラナルドに外で話すかと外壁に凭れ掛かった。早速切り出したのは今朝ジョーリィがマルティーナに送った招待状について。一月後、ジョーリィの誕生日を祝ってやりたい気持ちはマルティーナにあれど、出席者にヴィクターがいるのであれば出席をを見送りと申し出た。ラナルドはマルティーナとヴィクターの関係をよく知っている。出席するのかと問われると頷かれた。



「ジョーリィはヴィクター殿下の友人と陛下やご本人に認められています。誕生日パーティーに招待しない理由はありません」

「だろうな」

「マルティーナ様に招待状を送っていたとは知りませんでした」

「そうなのか?」

「ええ。出席者に関しては、妻に一任していましたので。マルティーナ様は出席できないとぼくがジョーリィに話しておきましょう」

「ああ」



 返事を楽しみに待っているであろうジョーリィを思うと不憫だが、社交界に出すつもりは更々なく、ヴィクターとの婚約も機会を狙って破棄か解消をする気でいる為、なるべく他貴族とも関わりを持たせたくない。



「招待客にはサンタピエラ伯爵令嬢もいます」

「ジョーリィは第二王子がサンタピエラ伯爵令嬢を好いていると知っているのか?」

「どうでしょう」



 傍から見れば未来の神官長の座に就くであろう令嬢を気に掛けている、となる。茶会の場でヴィクターとミエールが出会う場面を見るジョーリィはそう見えているのだ。実際は片想いしている少女と話せて舞い上がっているだけなのだが。



「大聖堂側はヴィクター殿下がサンタピエラ伯爵令嬢に近付くのを快く思っていないでしょうな」

「おれと大聖堂も基本政治には関わらない。向こうは更に独自の法律が存在する」

「大昔と違って大聖堂に属する神官は婚姻を禁じられておりません。もしも、サンタピエラ伯爵令嬢がヴィクター殿下を気に入るとそれはそれで大聖堂にとっては……ね」

「はあ」



 愉しんでいるのか、茶化しているのか。否、そのどちらでもない声色で淡々と語るラナルドの言葉の真意をルチアーノは気付いていた。神官が継承権を持たない王族と婚姻を結んだ事例は何度かあり、王族と婚姻ができないわけじゃない。しかし、ヴィクターとなると話がややこしくなるのだ。

 ハイターよりもヴィクターはクロウリーに似ており、そんな彼をジュディーヌが溺愛しているとは有名。ヴィクターが選んだ相手であろうとジュディーヌのこと、様々な難癖をつけてくるのは目に見えている。マルティーナがいようといなかろうとヴィクターの婚約者に自分の娘を、と差し出したい貴族は少なかった。



「マルティーナ様とヴィクター殿下の関係に変化は?」

「あるか、そんなもの」

「ふふ」



 分かってて聞いているのだ、この男は。地味に苛ついた眼を黒眼鏡越しで向けられていると知るラナルドは口だけの謝罪を述べ、別の話題を出した。



「未だに社交界では、マルティーナ様の母親が誰かと持ち上がることがあります」

「暇人め」

「暇ですよ。特に貴族の女性は」

「お前、今王国中の女を敵に回したぜ」

「ぼくは事実を述べたまでですよ」



 否定しない、とルチアーノは薄く笑う。夫に変わって屋敷を切り盛りする女主人の楽しみの一つには、必ず噂話がある。濃厚な蜜には特に群がり、多数であることないことを囁き合っては己の退屈や劣等感を癒すのだ。ルチアーノが社交界に出たくないのは、そんな女性達の陰湿な面を知っているからこそ。



「男も女も陰湿なのは嫌いだが、女は特にしつけえし湿っぽい」

「男女の差、というものですか」

「知らねえ」



 自分で言っておいて興味を失くし、話を終わらせたルチアーノは「ジョーリィによろしく言っておいてくれ」と言い残し転移魔法で姿を消した。

 ラナルドはその足で邸内に戻った。玄関ホールには息子のジョーリィと妻リディーティアがラナルドの戻りを待っていた。



「ち、父上」

「どうした」



 駆け寄ったジョーリィを見下ろすとどこかそわそわしていて視線を彷徨わせていた。



「ジョーリィ、ちゃんと言葉にしなさい」

「は、はい、母上」



 母に促されたジョーリィは意を決してラナルドに先程来ていたルチアーノについて訊ねられた。



「ルチアーノ卿はどんなご用で父上を?」

「お前がマルティーナ様に送った招待状についてだ」

「!」



 ジョーリィにとって期待していた言葉だったらしく、良い返事だと信じるジョーリィの輝きに満ちた満面はすぐにラナルドの欠席という言葉に曇った。動揺を隠せないリディーティアが何故と零す。マルティーナなら必ず出席してくれると信じていたジョーリィもショックを隠せない。



「ジョーリィ。ルチアーノ様が社交界にマルティーナ様を出すつもりはないというのは知っているか?」

「マルティーナ様に聞きました……」

「お前はモーティーマ公爵家の後継者だ。最近では他家の子供達と交流を重ねたお陰で人見知りもマシになってきた」



 ただし。



「マルティーナ様は、近い年齢の子供だとお前以外接したことがない。極力、魔導研究所と関係のない貴族家と関わらせたくないルチアーノ様の意向で」

「でしたら、来月のジョーリィの誕生日パーティーを良い機会だと捉え出席するべきでは」



 後ろに控え黙っていたリディーティアが初めて口を挟んだ。

 温度のない薄紫の瞳に見つめられると身体の奥底が急激に冷めていき、次の言葉を発したいのに何も出て来なくなる。



「決めるのはルチアーノ様であってぼくや君じゃない」

「も……申し訳ありません……出過ぎた真似を致しましたっ」



 震える手でドレスの裾をギュッと掴み、ギリギリで搾り出せた声が詫びればラナルドは気にした風もなく、いつもと同じ様子のまま。

 怒っている訳でも、蔑んでいる訳でもない。

 ただただ、淡々とした……感情の読めない仮面を貼り付けているだけだ。



「ジョーリィ」

「はっ、はい」



 突然ラナルドに呼ばれたジョーリィは身を固くして返事をした。



「誕生日パーティーに出席しなくても、マルティーナ様の性格を考えれば、別の形でお前の誕生日を祝ってくれる。少し待っていなさい」

「はい……」



 励ましたつもりでもジョーリィは尚も落ち込んだ様子を止めない。首を傾げそうになるラナルドだが、自分と同じ髪を一度撫でると玄関ホールを後にした。

 残ったジョーリィが立ち尽くしていると優しい香りと同時に肩に手が乗った。


 母の手だった。



「母上……」

「ジョーリィ……ごめんなさい。私が事前に旦那様に相談をしていれば、こんなことには……」

「母上のせいではありません。僕がきちんとマルティーナ様やルチアーノ卿の事情を考慮していたら……」



 父の言う通り、マルティーナの性格からしてジョーリィの誕生日をパーティーに出席する以外で祝ってくれるのは違いない。

 俯く息子の寂しげな旋毛を見てしまい、慰める言葉しか掛けられない自分にリディーティアは落胆と失望を同時に味わった。

 たった一人の息子を労わらない夫に怒りを見せても意味がないと十年の結婚生活を経てリディーティアはよく知っている。夫の関心を引けるのはルチアーノだけだった。それが今ではルチアーノの娘マルティーナも加わった。


 リディーティアにとって意外でないのはジョーリィ。

 ラナルドに似ている息子もまたルチアーノとルチアーノの血を引くマルティーナが気になって仕方ない。血は争えないとは、誰の言葉だったか。



 


 


読んでいただきありがとうございます。



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