折れた
魔導研究所の外に設置されている温室に入った私は、手を繋いでいる公爵にとある場所を指指された。禍々しい紫色の霧が噴出している一角があり、そこはお父様を含めた極少数の研究員しか立ち入りを禁じられている場所だと警告を受けた。一歩でも足を踏み入れれば何があっても自己責任にされると聞きゴクリと唾を飲み込んだ。
「すごく怖そう……」
「実際怖いですよ。一度息を吸うだけで精神異常を起こします。あの霧には、多量の麻薬成分が含まれています。近付くのもいけませんよ?」
「は、はいっ」
麻薬と聞いただけで背筋が凍った。
気を取り直して紫色の霧の一角を視界から消し、他の方へ目をやった。
「此処で育てられている中には、絶滅危惧種の植物も存在します。種の存続を図る為の研究も此処では行われています」
「他大陸の植物もありますか?」
「勿論」
先ずは綺麗な花が咲いているエリアに行きましょう、と公爵の案内で奥へ進む。植物の一つ一つに名前や説明が書かれた看板が立てられていてどんなものなのか非常に解りやすい。
「公爵はよく此処に来るのですか?」
「時折。何度か来ているとルチアーノ様に許可は不要だと言われてしまいました」
禁止区域にさえ足を踏み入れなければいいとお父様は判断した。多分、公爵と話すのが面倒くさくなったんだね……。
私は不意に視界に映った金色に輝く花を見つけた。気になって足を止めると「ああ、それは」と公爵が騎士団やギルドに卸す回復薬の材料となる花だと説明した。回復薬の中でも高価な部類に入るが効果が絶大な為人気商品の一つなんだって。
「薬も作ってるんだ」
「薬学の知識が豊富な研究員も多数在籍しています。薬屋を通さず自分達の手で作ることで無駄な手間が省けるというものです」
「騎士団にも卸していると公爵は言いましたけど、それってお父様達が問題視している第三部隊にも?」
「ええ。ただ、第三部隊が前線に出ることはほぼありません。他の部隊より量は少なめです」
「ですよね……」
「プライドだけはどの部隊よりも、抜きん出て高い為物資の補給についてはかなりうるさいという難点もあります」
話を聞いていくと良い所が何一つ見つけられない。貴族の寄付を今後受けるには、厄介払いの第三部隊は今後も必要になるのだと思うと無関係の私も溜め息が出てしまう。
金色の花の名前は何だろうと看板に目をやった時だ、スレイさんを連れて出掛けて行ったお父様が突然目の前に現れた。吃驚していると私の頭にお父様の手が置かれた。
「ただいま」
「お帰りなさいお父様。スレイさんは?」
「帰りは別にした」
公爵と繋いでいた手を離され、お父様に抱っこをされ、背中をポンポンと撫でられる。抱っこをされると必ず最初にこうされるんだよね。お父様なりの触れ合いなんだろうな。
「ラナルド、お前の倅はどうした」
「ジュリエットと共に帰しました」
「ジュリエット? ああ、公爵夫人の妹の」
「ええ。少々問題を起こしたようなので、ジョーリィ共々帰すことにしました」
人との交流に慣れていないジョーリィ様に集まった託児所の子供達を追い払い、暴力まで振るおうとしたのを重く見たツヴァイさんに出禁を求められた公爵の対応は正しい。なんだけど、ジュリエット様だけを帰すって方法もあったのに。連帯責任とは公爵の言葉。
「自分の倅まで帰すことはなかっただろう」
「ジョーリィを残したところで自分は帰らないと駄々を捏ねるのは目に見えています。ジュリエット一人の為に割く時間は勿体ない。手っ取り早く帰すなら、ジョーリィ諸共帰すのが一番早かった。それだけのことです」
淡々とした口調と声を聞いたのは今日で何度目? 声や言葉の端々を感じても自身の子への愛情が見つからない。人を愛することが出来ない公爵が関心を向けるのはお父様や私。その関心をジョーリィ様や家族に向けられたらいいのに。
「ルチアーノ様の方こそ、サブレ男爵の件は片付いたので?」
「ああ。クロウリーと王妃、それと宰相を集めさせ王妃がやってくれたことを話した」
「ロビンソン侯爵はどうしました?」
「連れ出した。うるさい口を塞ぐ為に少し脳味噌を弄った」
脳味噌を弄った……?
「四回キメれば廃人一歩手前くらいになるだろうと踏んだんだがな。二回キメさせたら呆気なく理性が飛んだ」
「マルティーナ様のいる前で話す内容ではないですよ」
苦笑交じりの苦言を呈した公爵に感謝しつつ、私は脳味噌を弄っているお父様の姿を想像してすぐに遮断した。どう想像しても十八禁グロテスク映画しか浮かばない。……そういえば、十八禁じゃないけど自分で脳味噌の一部を取り出していた映画があったな。何だっけ。
「ロビンソン侯爵は神官長に治療させて屋敷に戻した。神官長には文句を言われたがな。理性が飛んだ侯爵を見ただけでサンタピエラ伯爵令嬢に泣かれた」
「トラウマにならないことを祈ります」
私でも見たらトラウマなる……! 目撃してしまったサンタピエラ伯爵令嬢には同情しかない。
「陛下や王妃殿下は如何でした?」
「王妃には今後一切手を出すなと釘を刺した。クロウリーも同意だ。……が……第二王子とマルティーナの件については諦める気はないとよ」
「でしょうね。マルティーナ様を逃せば、王家は貴方に取り入る機会をまた長く失ってしまう。エルフの里と交流を持つ国は何処にもありません。初めて交流を持てる国にしたいのですよ」
「迷惑なんだよ。どうにか諦める方法はないもんか」
仮の婚約者を作るのは? と提案してみるも、並の貴族家だと王命をチラつかせられれば即アウト。仮にお父様の知り合いに頼もうにも、私と歳の近い男の子がいない。詰んでるじゃん。
「一旦折れてしまって、そこからヴィクター殿下を理由に婚約解消をしてみては?」
公爵の提案にお父様は黙ってしまう。結局、どこかで折れないと陛下は何時までも執着し続ける。黒眼鏡を外し、私を見下ろすお父様の目にはありありと心配の色が浮かんでいた。あの一件があったせいで私の中の王子殿下の評価と信頼は地に堕ちている。私が殿下を好きになることはない。殿下もサンタピエラ伯爵令嬢を想っているので私を好きになることはない。
「私はいいよ。これ以上、お父様の負担になりたくない」
「負担なんてない。お前に負担が掛かるのは避けたい」
「あの王子殿下の婚約者になったら、私は具体的に何をしたらいいの?」
王太子妃と王子妃は違うとぼんやり分かる程度の認識しかない私の疑問を公爵が答えた。
「王太子妃教育とはまた別に王子妃教育があります。王家主催の行事には王子殿下と同伴。王家に嫁ぐ女性としての自覚や責任感を覚えなければなりません」
聞いてるだけで嫌になっちゃう。
「まあ、婚約解消を前提とするなら、畏まって従う必要はないでしょうね」
「そうだとしてもマルティーナにケチがつく」
貴族社会において、一度婚約解消や婚約破棄となった女性は次の縁談が困難となる。男性側に難があれど、こういう時損をするのは主に女性。お父様は私にケチがつくのを嫌がっているが何時までも嫌々言ってられない。
「気にしないよ。周りにどう思われようとお父様が守ってくれるもん」
「マルティーナ」
「今回みたいに他の人に迷惑が掛かるのだけは絶対に嫌。私が王子殿下と婚約するだけで起こらなくなるならそれがいい」
「本当にいいのか?」
「うん。何かあったらその都度お父様に言うね」
「分かった」
遂に折れたお父様はかなり、相当、渋々に王子殿下と私の婚約を受け入れる方向に気持ちを新たにしてくれた。私を強く抱き締めるお父様に応えたくて、私もお父様を強く抱き締めた。
——後日、お父様了承の下私とヴィクター殿下の婚約は成立した。
但し。
「王子妃教育はなし。公式の場には王子の同伴はしない。お茶会も逢引もなし。名ばかり婚約者であることが条件だ」
噴火寸前の王妃様や唖然とする王子殿下を後目に国王陛下はお父様の条件を受け入れた。これを逃したら次がないって分かっているからだ。内心私がヴィクター殿下に心を許すと期待している節がありそう。
私も殿下もお互いを好きになることは決してないのなら、名ばかりが丁度いい。
お父様と寝室でまったりしていたら、マリンが一通の手紙を持って来た。
差し出し人は——。
「ジョーリィ様?」
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