ジョーリィの羨望と父のマジギレ
——父上があんな風に人に接しているのを初めて見た……。
魔導研究所の施設内にある託児所にて、他人との接し方が下手で集まって来た子供達に固まってしまったジョーリィを助けるべく、性別問わず追い払ったジュリエットの行為が些か度が過ぎていた為、託児所の責任者がラナルドに告げ二人共に帰るよう言われてしまった。連帯責任というやつか。ジョーリィが自分の為とジュリエットを庇おうと感情の読めない父には届かない。魔導研究所の最高責任者たるルチアーノの娘マルティーナを連れて温室へと行ってしまった。
父に手を差し出され、手を繋いで行ってしまった。
生まれて八年。一度も父と手を繋いだことがない。抑々、ああやって触れられたことすらジョーリィにはない。生まれつきの病気が治った二年前からは、時折頭を撫でてくれるようになった。病気を持って生まれた自分のせいだと落ち込んだ回数は数知れず。その度に母に慰められた。
母はよくジョーリィにこう話した。
『ジョーリィ。深く落ち込んでは駄目。お父様は誰かを愛したことは勿論、誰かを愛することもない人なの。……わたくしのこともね』
『母上も……?』
『きっと……あの方の関心を引けるのは……』
母は以降の言葉を言わなかった。
幼馴染である国王に対しては忠誠心が強いように見えて、そうではない風にも見える。
常に淡々とした口調と貼り付けた笑み、飄々とした様しか知らなかった父が柔らかく笑みを見せ誰かに触れているのを見ただけで強い衝撃と共に激しいショックを受けた。トボトボと歩き出したジョーリィは慌てた声で呼び止めるジュリエットに構わず施設内を歩いた。
マルティーナが羨ましい。きっとルチアーノの娘だから、特別な態度で父は接しているのだ。
羨ましいと同時に芽生えるのは嫉妬。……だが、ジョーリィは空よりも濃く海よりも深い青の瞳に魅入られ、自己紹介をしたマルティーナが頭に焼き付いて離れなくなってしまった。
「マルティーナ……お嬢様……」
「ねえ! ジョーリィ!」
今日はジュリエットの責任を取らされる形で早々に帰されてしまった。夜、父に頼んだら、またマルティーナに会わせてもらえるだろうか。
頭の中がどうやってマルティーナに会えるかと埋め尽くされたジョーリィの耳に、追い掛けて来るジュリエットの声は届かなかった。
——一方で。帝都の空をどす黒く染め、激しい雷雨を降り注ぐ雲を引き寄せた張本人たるルチアーノは深海に閉じ込められた圧迫感を場所全体に漂わせていた。
何処で? ——王城にある会議の間で。
「あっ……ああっ……」
全身を震わせ、顔を真っ青に染め上げた王妃ジュディーヌは魔王の如く目の前に立つルチアーノの殺気を当てられ、今にも意識が飛び掛かっていた。保てているのはルチアーノが態とジュディーヌが気絶しないよう魔法を掛けている為。遠い目でルチアーノのガチギレ姿を眺めているスレイは、人知れず溜め息を吐いた。溜め息を吐かないとやっていられない。
予め、国王クロウリーに王妃が実家の力を使ってしでかした件とこのことを詰問する為にルチアーノがロビンソン侯爵と被害を受けたサブレ男爵を連れて来ると伝えた。王妃のしでかしを知らなかったクロウリーは報せを受けた際、即信じたのは異常な天候の荒れ具合を見てこんな芸当ができるのはルチアーノだけと知っているせい。
会議室にクロウリーとジュディーヌ、宰相のアサルトを集めルチアーノの訪れを待たせていたら——こんな登場を果たした。
泡を吹き出して気絶しているロビンソン侯爵に痺れを流し込んで強制的に目覚めさせ、現在の状況を分からせると悲鳴を上げた。
「ジュディ!」
自身の娘を一目見ただけで悲鳴に近い絶叫を上げたロビンソン侯爵は、首根っこを掴むルチアーノの手から逃れようと暴れるも「死にたいか」との一言で大人しくなった。
「スレイ殿……ワシは何をしたら……」
「何もしなくてもいいと思いますよ……ああなった管理長は簡単には落ち着きませんし」
「ルチアーノ様がここまでキレるのは、二十年以上振りですな……。十年以上前にキレられた時はまだマシでしたが」
「それって国王陛下が王太子時代に提案した、騎士団の第三部隊の隊員を魔導研究所で受け入れてくれって話ですか?」
「はい。二十年以上前と今と比べると全然マシでした」
十年以上前は天候が荒れる程にキレておらず、精々城の一部が破壊された程度。破壊された建物は後日研究員が多額の依頼料をふんだくって修復した。
「エレメンディール王女殿下の時代より、我がサブレ家は魔導研究所に上質な水を提供し続けて参りました。ルチアーノ様の代になってからは、移動時間の大幅な削減や効率の良い運搬法が編み出されより多く迅速に提供が可能となりました」
「サブレ男爵の領地で採れる水は、魔導研究所で扱う水で一番質が良い。管理長じゃなくても職員としてはキレますって」
首根っこを離し、瞬時に頭を掴むと目に見える紫電を脳に流し込んでゴミを投げる感覚でロビンソン侯爵を床に抛ったルチアーノは、片手で顔を覆うクロウリーの側に寄る。
「どう落とし前をつける」
「ジュディーヌ……っ、ルチアーノ卿を怒らせてはならないとあれ程言ったのに……」
「嫁の手綱さえ握れないてめえにも問題があるだろうがよ」
口調の荒々しさもまたキレている証である。
「ルチアーノ卿、一先ず落ち着いてほしい」
席を立ったクロウリーは抛られ、床に尻をつけたままのロビンソン侯爵と遂に椅子からずり落ちてしまったジュディーヌに近付くと一層剣を濃くした。
「ロビンソン侯爵。早急にサブレ男爵家の制裁を止めていただく。私の言葉に従えないなら、自分でルチアーノ卿のご機嫌取りをしてくれ」
「は、はひっ、りょうかいひまひたあ」
「……」
恐怖のあまり人格が変わってしまったらしく、呂律も碌に回っていない。自身の父を恐ろしい怪物を見る目で収め、怯えるジュディーヌは両手で顔を覆い泣き出した。
クロウリーが何をしたのかとルチアーノに振り向くとスレイが説明役を買って出た。
「サブレ男爵を迎えに行った次にロビンソン侯爵を迎えに行った時、管理長に罵詈雑言浴びせてサブレ男爵に脅しをかけるんで管理長が脳をちょっと弄りました」
「脳を弄った……?」
「脳イキさせて理性を壊したんですよ。騎士団の諜報部隊が使ってる尋問方法の一つにあります。一旦話が出来るようにって元に戻したのに、さっき管理長が電流を流したせいで元に戻ってしまったんですよ」
考案し、実用に持ち込んだのはルチアーノ本人。ロビンソン侯爵の理性を壊したと言えど、後程大聖堂に連れて行って大神官に治療されれば治る。神聖力を持つルチアーノでも治療可能だが、無駄な相手に無駄な力を使う理由はないと一蹴。腰を抜かしたまま泣き続けるジュディーヌ、呂律の回らない言葉で一人笑うロビンソン侯爵、遠い目をして眺めるサブレ男爵とスレイ。この場を収めるにはどうすればいいのか……アサルトに目をやっても遠い目をしていた。彼は二百年前の王妃の実家出身でエレメンディールが親しくしていたことから、ルチアーノとも面識がある。ルチアーノが一度キレると手が付けられないとよく知っている。
「ジュディーヌ。今後一切、ルチアーノ卿、並びにマルティーナ嬢への手出しは禁ずる。良いな?」
「ですがっ、ヴィクターの為を思って……!」
「ヴィクターが手を出さなければ、ルチアーノ卿が報復をする必要もなかった。あれの未熟さが招いた結果に過ぎない」
尚も縋るジュディーヌを置き、ルチアーノに向いたクロウリーはロビンソン侯爵が治療され次第厳重注意をすると述べた。処罰をしようものなら、ルチアーノが暴挙に出た理由がヴィクターのせいだと知れ渡ってしまう。まだ幼い王子の醜聞だけはどうしても避けたいのだ。
「クロウリー。抑々の話、お前が第二王子の婚約者にと娘に拘ったせいだ」
「ルチアーノ卿。これについて私は諦めるつもりはない」
嘘だろ、とはスレイの台詞。ジュディーヌが暴走してしまったのは我が子可愛さの故。クロウリーが語るのは、マルティーナとヴィクターが婚約することで生じる利益。魔導研究所の管理長ルチアーノの後ろ盾を得られ、あわよくばエルフの里との交流を成せるという企みがあった。
必ずヴィクターを更生させ、マルティーナと良好な関係が築けるよう努めさせると力強く説得されるルチアーノは言葉を遮る深い溜め息を吐いた。
「おれは政に一切関わらないって何度言えば分かるんだよ。大体、マルティーナがおれの娘っていう時点で普通の人間とでは寿命の壁があると分からねえのか」
「ハーフの貴方はそうかもしれないが、クオーターのマルティーナ嬢はより人間に近い。寿命とてルチアーノ卿と比べれば短い筈」
「おれと同等の時間をあの子も生きる」
「母親もエルフの血を引くということか?」
「好きに妄想しろ。話すつもりはない」
二百年生きる男に突然子育てをしてみたいという欲求が生まれる等誰が想像しようか。少なくともスレイは最初聞かされた時は冗談かと思った。寄って来る女性と一夜すら共にせず、欲求解消には貴族御用達の娼館を利用する。曰く、手を出したら妻にしろと迫るのが見え見えなんだと言われた。それはそうだろうとしか言えなかった。恵まれた容姿に地位、能力。ルチアーノと肩を並べられる男はそうはいない。
マルティーナが実験の末に誕生した人造人間と知るのは、ルチアーノとルチアーノの研究を手伝ったスレイを含めた少数のみ。皆口の固さに関しては国一番と自信を持つ。
「仮にマルティーナと第二王子が婚約し、結婚するとしよう。第二王子は人間の寿命で死ぬがマルティーナは歳を取らない。無論外見も若いままだ。そうなった場合、マルティーナをどうする」
通常なら未亡人となって婚姻関係の継続か終了を取る。若いままで歳を取らないマルティーナの場合だと別の若い王族と再婚をする羽目になる予想が高く、指摘を受けたクロウリーは押し黙ってしまう。
「万が一にもマルティーナが第二王子の婚約者になりたいって宣言は出ない。あの失態を周囲が知らない内に、さっさとサンタピエラ伯爵令嬢なり他の令嬢なりを婚約者にしな」
ルチアーノにとっての話はこれで終わりとなり、抛られて以降床に倒れたままのロビンソン侯爵の首根っこを掴むと転移魔法で消え去った。
「普通に置いて行かれた……!?」
一声も掛けられず転移魔法で消えたルチアーノに文句を飛ばすスレイ。頭を抱えるがサブレ男爵の方は冷静で「いつものことですぞ、スレイ殿」と慰められた。
「サブレ男爵、スレイ殿。迎えの者を呼びましょうか」
「はい……お願いします」
気を利かせたアサルトの計らいにより、程なくしてスレイとサブレ男爵は会議室を出て行った。
残ったのはクロウリー、ジュディーヌ、アサルトの三人のみ。
「僭越ながら陛下。ルチアーノ様がああでは、どれだけ陛下が説得しても聞く耳を持ちませんよ。ヴィクター殿下の婚約者はサンタピエラ伯爵令嬢か他の……」
「駄目だ。どうしてもマルティーナ嬢をヴィクターの婚約者にしたい。叶えられれば、王国に齎される利益は大きい」
王妃のような愚策を犯さない者に策を講じさせねばならないと考えると妥当な人間が数人浮かぶ。まずは自身の右腕たるラナルドに相談しよう。ルチアーノに面倒臭がられているがラナルド自身は信頼されている筈。
読んでいただきありがとうございます。