興味がない
ぼうっと見つめてくるモーティマー公爵のご子息の視線を受けていると後ろから現れた女の子が前に出た。人の顔を穴が開くくらい凝視してくるので居心地の悪さを感じ顔を背けると「ジュリエット」と公爵が彼女を咎めた。
「不躾な真似は止めなさい。ジョーリィ、此方はマルティーナお嬢様。以前話したルチアーノ様のご息女だ」
「あ……は、はい。初めましてジョーリィ=モーティマーです」
ハッとなった彼――ジョーリィ様が慌てて自己紹介をされた。私も続かないと、と公爵に手を離してもらい挨拶を披露しようとしたら、急に大雨が降り出した。窓を叩き付ける大粒の雨に驚く。大雨が降るような雲じゃなかったのに一体どうして。
「……どうやら、ルチアーノ様がかなりキレ散らかしているようです」
「お父様が?」
これお父様の仕業なの? 自然の魔力を自在に操れるエルフは、高位の者だと天候さえ自由に操れる。お祖父様は特別なエルフの為、その力は息子であるお父様にも引き継がれており、こうして人外級の技を披露することが可能なのだ。
感心しながら窓へ近付く。背が小さいせいでよく見えず、背伸びをしたら公爵に後ろから抱っこをされた。
「これならよく見えるでしょう」
「ありがとうございます。わあ……私にも出来るようになりますか」
「どうでしょう。それについては、ルチアーノ様がご存知かと」
日々の訓練を怠らなければ難しい魔法も使えるようになるとはお父様の言葉。私はジョーリィ様やジュリエット様の存在をすっかりと忘れてしまい、低く唸る曇天が次の瞬間大きな雷を落としつい魅入ってしまった。公爵曰く、お父様が天気を荒れさせる程キレたのは随分久しぶりだとか。どのくらい久しぶりなのかを訊ねると二十年近く前だと話された。
「何があったのですか?」
「確か――」
「ち、父上」
顔だけ後ろを向いた際、視界の端にジョーリィ様が前に出て来るのが見えた。私を抱っこしたまま顔だけ後ろへやった公爵の瞳の冷たさにゾッとした。表情は変わらないのに瞳だけが冷たさを宿していた。
「人が話している時に、会話に入るのはマナー違反だと家庭教師に習わなかったか?」
「い……いえ……っ、……ごめんなさい」
淡々とした口調と声は身体の奥底に秘める恐怖を引き出す得体の知れない力がある。公爵に窘められたジョーリィ様は俯きながらも、震える声で私の名前を出した。
……あ!
公爵に下ろしてもらい、私は慌ててしていなかった自己紹介をした。大きな雷が落ちたけれど今度は意識を逸らさなかった。
「此方の方は?」
人のことを睨んでは時折ジョーリィ様を心配するジュリエット様について訊ねるとジョーリィ様が顔を上げられた。
「あ……この子は」
「ジュリエット=ベネデッティですわ!」
ジョーリィ様が紹介をする前に自分で名乗ったジュリエット様は少々キツい印象を受けそうな整った顔立ちをしており、真っ赤な髪と瞳がより引き立てている。貴族事情に滅法疎い私はベネデッティと聞いてもピンと来ず、困ったようにモーティマー公爵を見上げた。
「ジュリエットは妻の妹夫婦の子で、訳あって我が家で預かっています」
成る程、親戚の子だったんだ。
「ち……父上……」
控え目な声で公爵を呼ぶジョーリィ様。先程窘められた時と違って顔色は戻っているものの、ショックを隠し切れていない表情に心当たりがあった。
公爵は一度も我が子に触れたことがないと言った。……げっ、ジョーリィ様がショックを受けている理由って私のせいじゃん!
「ジョーリィ。言いたいことがあるならハッキリと言いなさい」
「あ……は……はい。……マルティーナお嬢様と遊んでも……構いませんか?」
絶対違う。言いたい台詞は絶対違うと思う。だって明らかジョーリィ様落ち込んでてジュリエット様私を睨んでくるもん。
「如何致しましょう?」とモーティマー公爵の瞳が語り掛けている。断っても了承しても私にとっては荷が重そう……。ここは後者を取りましょうか。
「私の遊び相手になって下さるのですか? 是非、お願いします。魔導研究所の託児所へは、お父様が私を他者と交流をさせる為に連れて来て下さったのが理由なんです」
なるべく警戒されない人当たりの好い笑顔を心掛けて了承。ジョーリィ様はまだ暗い表情をされているが微かに安堵の色が浮かんだ。対してジュリエット様の方は眉間に皺を寄せている。子供の内から皺を寄せたら癖になっちゃうよ。
「マルティーナ様。託児所へもぼくがご同行しましょう」
「中には職員の方がいらっしゃるんじゃ」
「ルチアーノ様が戻られた時、どうなったかの結果を知りたいのですよ」
成る程。それなら私の側にいるのが一番ね。断る理由がない。
モーティマー公爵はジョーリィ様の頭を数度撫でた後、私に手を差し出した。これって取った方がいいよね……? ジョーリィ様の前で公爵と手を繋ぐのはすごくいたたまれない……。無言の圧力というものを食らい、オロオロと公爵の手を取るとそのまま託児所へ向かって歩き始めた。
「……公爵はジョーリィ様に触れたことが一度もないと仰っていましたが、今頭を撫でていましたよね?」
「あれは触れているということにカウントされますか? だったら、ぼくがジョーリィに触れたのは二年前からになりますね」
二年前というとジョーリィ様の病気が治ったと聞いた時期と同じだ。
「どうしてジョーリィ様に触れようとなさらないのですか。ジョーリィ様は……多分……私が公爵と手を繋いでいるところを見てショックを受けていましたよ」
息子の自分は触れてもらえないのに、他人の子供は触れてもらえる。もしも自分が同じ立場だったら、大きなショックを受けてしまう。公爵を見上げても彼は変わらない笑みを貼り付けていた。
「ぼくは妻も息子も愛おしいと感じたことも思ったこともありません」
「え」
「公爵家の当主になるなら、跡継ぎが必須。先代が決めた婚約者と子を儲けることも当主の仕事。子がジョーリィしかいないのは、何人生まれようと愛情を持てないぼくを父に持つのは可哀想だと妻に言われました」
「……」
口調も声も淡々としていて抑揚がなく、なんというか……公爵ってお父様とは違った意味で人外っぽい感じがする。
「でも、ジョーリィがショックを受けた気持ちなら、少しは分かるかと」
「公爵もお父様に触れられたことがなかったとか?」
「いいえ。子供の頃、ルチアーノ様に構われている託児所にいた子供全員が羨ましかった」
お父様? お父様に構ってほしかったの?
吃驚した気持ちでいると「着きましたよ」といつの間にか託児所に設定されている部屋の前に到着。扉は開いているが静かだ。子供ばかりが集められた場所って大体騒がしいのがお決まりなのに。丁度出て来た職員の人が私達に気付くと駆け寄ってきた。
「モーティマー公爵……! 此方の少女は……もしかして」
「ルチアーノ様のご息女マルティーナ様だ」
「やはり……! 管理長に瓜二つですぐに分かりました!」
公爵に手を離してもらい、職員の人に挨拶を披露した。
「マルティーナ=デイヴィスです。お父様にお願いして託児所の見学に参りました」
「ようこそお越しくださいました。託児所の責任者を任されているツヴァイと申します」
「ツヴァイさんも研究員ですか?」
「いえ。私は子供達の世話を見る専門の職員として在籍しています。他にも専門の職員が数名在籍していますよ」
前世の世界でいう保育士さんのようなものか。
「モーティマー公爵。ジョーリィ様とジュリエット様を見掛けませんでしたか? ジョーリィ様は、モーティマー公爵に会いに行くと言って出て行かれたのですが……」
「途中で会いましたよ。その内来るでしょう」
二人が話をしている間、私は託児所の中を覗いた。静かなのは子供達は皆お昼寝をしていた為だった。一人一人にブランケットが掛けられ、皆スヤスヤと眠っている。ツヴァイさん以外の職員の方が子供達の様子を順番に見ていて、こうして眺めていると保育士さんにしか見えなくなる。
「大変お伝えし辛いのですが……モーティマー公爵、ジュリエット様を連れて来るのは今後ご遠慮いただけないでしょうか?」
不意に聞こえた台詞に私が反応し、ツヴァイさんを見上げた。台詞通りかなり言い辛そうにしているが公爵は全く気にせず理由を訊ねた。ツヴァイさんによるとジュリエット様はジョーリィ様に群がる女の子達や遊びに誘う男の子達を次々に追い払っては二人きりで遊ぼうとした。手を上げそうになる場面も数度あり、職員の方が注意しようにも公爵の名前を出されてハッキリとした注意が出来なかった。公爵夫人の妹夫妻の子であってジュリエット様自身モーティマー公爵家の子供じゃないのに、上からな態度でいられるのが不思議だ。
「分かりました。ジュリエットは出禁にしましょう」
「ありがとうございます」
「いえ。その話だと、マルティーナ様にも危害を加えかねません。マルティーナ様に危害を加えれば、女であろうとルチアーノ様は容赦しない」
……どこぞの王子殿下の二の舞になる確率が非常に高いってことでOK?
「子供達皆お昼寝の時間なら、此処で遊ぶと起こしちゃいますね。私が行ってもいい場所ってありませんか?」
「それなら、スレイ殿を呼んできましょう。管理長の補佐のスレイ殿なら案内ができます」
「彼はルチアーノ様と同行して現在は不在ですよ」
私が言う前にモーティマー公爵が説明。スレイさんって実は偉い立場の人だったんだ。若いのにすごい。逆に立場がスレイさんを忙しくして婚期を遅らせているなら何とも言えない。
「マルティーナ様。温室に行きませんか?」
「温室?」
「ええ。お屋敷の温室よりも専門的な植物が育てられておりますし、更に場所が広くルチアーノ様を待つ間の時間潰しには丁度良いかと」
「行きたいです!」
お父様の許可を貰っているモーティマー公爵の同行なら私も入って良いらしく、屋敷の温室を気に入っている私としては魔導研究所所有の温室も是非見たい。ただ、屋敷と違って危険な植物も育てられており公爵の側は決して離れないことを約束させられた。
ツヴァイさんにお別れを言って託児所を出て来た道を戻って行くと……ジョーリィ様とジュリエット様がいた。そういえば付いて来てなかったね……。
「あ、モーティマー公爵様」
「父上……」
先に気付いたのはジュリエット様。俯いていたジョーリィ様が顔を上げた。
「ジュリエット。託児所の責任者に君への苦情を入れられた。ジョーリィに近付いた子供達に暴力を振るおうとしたんだね」
「っ……そ、それは……」
「言い訳は結構。今後、ジュリエットの出入りは禁ずる。ジョーリィと二人で帰りなさい」
ジョーリィ様も!?
てっきり、ジュリエット様一人を帰すのかと予想していたら、まさかのジョーリィ様まで帰れ発言。吃驚しているのは私だけじゃない、二人も然り。
「父上、ジュリエットは吃驚して動けなかった僕に気を遣って」
「同じことを二度言わせるな。遣いの者を寄越す。二人とも先に帰りなさい」
「……父上は……どうなさるのですか」
「ぼくはマルティーナ様を温室に案内する」
泣きそうな目がモーティマー公爵から私に移り、気まずさから逸らした。お気になさらず、と発したモーティマー公爵の一言で二人は道を開け、私は公爵に手を繋がれている為立ち止まれず進んだ。
……この人本当に自分の子に興味がないんだ。
気まずいマルティーナ……