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第四話:僕らの誓い、復讐の誓い

もし、少しでも面白い、続きが見たいと思っていただけましたら、星で応援してくださると嬉しいです! 執筆の大きな励みになります!

 絶望には、色も音もない。

 ただ、鉛のように重い沈黙が、宿屋「木漏れ亭」の一室を支配していた。


 ケインは、自らのステータスが映し出された手の甲を、ただ呆然と見つめていた。


——状態:魔法付与(経験値獲得量低下:1/1000)


 その無機質な文字列が、彼の人生そのものに死刑宣告を下していた。


 努力の才能。


 生まれつき病弱で、剣の才にも恵まれなかった自分が、唯一誇れるもの。血反吐を吐くような鍛錬を重ね、一歩ずつ、本当に蟻のように遅い歩みで積み上げてきたレベルと経験値。それが、ケインという人間の、揺るぎない矜持だった。

 

 それを、あの男は、まるで戯れのように、指先一つで無価値なものに変えてしまった。


 ベッドの上では、セレスが毛布にくるまり、か細い呻き声を上げ続けている。あらゆる刺激から彼女を守るには、こうして布で包むしかなかったが、その布の感触すら彼女にとっては拷問なのだろう。時折「ひっ」と引き攣るような呼吸をするたびに、ケインの心はナイフで抉られるように痛んだ。


 部屋の隅では、リリアが膝を抱え、虚空を見つめている。彼女の魂の源泉だった魔力は、もうない。師匠の形見だった杖は折られ、その杖を扱うための力も奪われた。彼女の瞳から、誇り高い魔術師としての光は、完全に消え失せていた。


 仲間を守れない。

 自分も、もう強くはなれない。

 どうすればいい。これから、どうやって生きていけばいい。


 ケインは、泣きそうになるのを必死で堪えた。リーダーである自分が、ここで折れるわけにはいかない。だが、その思考とは裏腹に、膝ががくりと笑い、床に手をつきそうになる。


 その、時だった。


 ギシ、……ギシ……。


 古い木製の階段を、誰かがゆっくりと登ってくる音がした。

 今、この宿の二階に部屋を取っているのは、自分たちのパーティだけのはずだ。宿の主人が、こんな時間に上がってくる理由もない。


 つまり、この足音の主は―――。


 ケインは咄嗟に部屋の中を見渡した。

 呪いをかけられ、心を折られ、必死の思いでこの部屋に逃げ帰ってきた。

 そんな極限状態の自分たちが、見落としていたものが、一つ。


 部屋の隅に、ぽつんと置かれた、見慣れた革の鞄。


 アインの、荷物だ。


 いつの間にか泣き止んでいたリリアも、同じことに気づいたらしい。彼女の顔から、さっと血の気が引いていくのが分かった。


 ケインの身体を、絶望とは質の違う、熱いものが駆け巡った。怒りだ。

 仲間にこれほどの仕打ちをしておいて、まだ戻ってくるというのか。忘れ物を取りに? それとも、自分たちの無様な姿を嘲笑いに来たのか?


 いや、もしかしたら。万に一つ、億に一つ。

 自分のしたことの恐ろしさに気づき、改心して、謝罪に来たのかもしれない。出来心だったのだと、泣いて許しを乞いに来たのかもしれない。


 だが、そうだとしても、これは決して許されることではない。


「……っ!」

 ケインは、床に転がっていた剣の鞘を手に取り、立ち上がった。アインの鞄を、ベッドの下に咄嗟に隠そうとする。彼奴の目的が何であれ、これ以上、この部屋を好きにはさせない。


 だが、もう遅い。足音は、もう部屋の扉のすぐ外で止まっていた。


 その時だった。

 今まで人形のように動かなかったリリアが、弾かれたように立ち上がった。彼女はケインを押し退けるようにしてアインの鞄に駆け寄ると、中に手を突っ込み、何かを探り始める。


 やがて、彼女が引きずり出したのは、一冊の分厚い手帳―――アインが、いつも何かを書き込んでいた研究ノートだった。


 リリアは、鬼気迫る表情でノートをめくり始めた。そのページには、理解不能な数式や図形と並んで、自分たちの名前が、まるで実験動物の個体名のように、無機質に記されていた。


『ケインの筋力上昇率と経験値効率の相関データ:被験体ケイン』。

『リリアの魔力循環パターン分析:被験体リリア』。


そして、リリアの指が、あるページの上でぴたりと止まる。


『聖性係数の定量化に関する考察:被験体セレス』。


 リリアは、そのページと、それに続く数枚を、躊躇なく、びりびりと破り取った。そして、震える手で、それを必死に自らのローブのポケットに詰め込む。


 その瞳からは、再び大粒の涙が、ぼろぼろとこぼれ落ちていた。それは、悲しみの涙ではなかった。自分たちの二年間が、ただの観測データとして消費されていたことへの、屈辱と怒りの涙だった。


 それを見たケインは、覚悟を決めた。

 リリアの行動の意味は分からない。だが、彼女は諦めていない。戦おうとしている。ならば、リーダーである自分が、彼女の前に立たなければ。


 ケインは、そっと立ち上がり、自らの剣の柄を握りしめると、部屋の扉をゆっくりと開けた。


 予想通り、そこには、びしょ濡れのアインが立っていた。


 その顔には、罪悪感の色など、微塵も浮かんでいなかった。


「やあ、忘れ物をしちゃってね」

 そう言って笑う表情も、態度も、考えも、何もかも。二年間の「仲間だった」時と、何一つ変わっていなかった。まるで、数分前に自分たちが繰り広げた、あの地獄のようなやり取りが、存在しなかったかのように。


 その、あまりにも常軌を逸した無邪気さが、ケインの中に残っていた、最後の理性の楔を、粉々に打ち砕いた。


「―――アインッ!!」


 地を這うような唸り声と共に、ケインは鞘から剣を引き抜き、アインに向かって突進した。ただ、目の前の悪意を、その根源を、この世から排除するためだけに、怒りに任せた、獣のような突きを繰り出す。


 アインは、常人離れした反射神経でそれを避け、ひらりと身を翻すと、開いたままの部屋の中へと逃げ込んだ。


 ケインも、すぐさま後を追って部屋に飛び込み、背後で扉を蹴り閉める。

 狭い室内に、二人の荒い息遣いと、ベッドから聞こえるセレスの苦悶の声だけが響く。


「な、何をするんだい、ケイン。そんなに僕の贈り物が嬉しかったのかい? 感謝の表現にしては、少し乱暴すぎるんじゃないか?」

 戯けたことを言うアインの喉元に、ケインは剣の切っ先を突きつけた。ひやり、とした感触が、剣を握る手にまで伝わってくる。


「……元に、戻せ」

 ケインは、歯の隙間から絞り出すように言った。


「セレスを、リリアを……俺を、元に戻せ……! 今すぐだ!」


「元に戻せ? 何を言っているんだい」

 アインは、心底不思議そうに首を傾げた。その瞳は、あまりにも純粋で、だからこそ冒涜的だった。


「僕は、君たちに『救済』を与えたんだ。君たちが自分たちの罪と向き合い、正しい役割に戻るための、最高の贈り物だろう? 努力という非効率な概念の虚しさ、才能という不確かなものへの依存、そして鈍感な五感。それら全てから、僕は君たちを解放してあげたんだ。なぜ、それを手放そうとするんだい。理解できないな」


 その、あまりにも純粋な狂気を宿した瞳に、ケインの怒りは頂点に達した。こいつは、自分が何をしたのか、全く理解していない。違う。理解することを、最初から放棄しているのだ。


 ケインの腕に、力がこもる。このまま、この喉を貫いて―――。


「ひっ……ひっ……ぁ……っ、う……」


 ベッドの上から、ひときわ大きく、苦痛に満ちたセレスの呻き声が聞こえた。

 その声に、ケインの殺意が、ほんの一瞬、揺らいだ。憎しみよりも、仲間への憐れみが、一瞬だけ、上回ってしまった。目の前の元凶を殺すことよりも、苦しむ仲間を安心させてやりたいという、リーダーとしての本能が、彼の剣を鈍らせた。


 その隙を、アインは見逃さなかった。

 ケインの揺らいだ剣を、左手で思い切り横に払い除ける。

 ケインが体勢を崩したその一瞬で、アインは床に落ちていた自分の鞄をひったくると、一瞬の躊躇もなく部屋を飛び出していく。


「ケイン! 君も、早く本当の自分に気づけるといいね!」


 捨て台詞を残し、アインの足音が遠ざかっていく。

 部屋に残されたのは、再び、どうしようもない沈黙と、絶望。


「……ああ……ああああ……っ」

 ケインは、その場に崩れ落ちた。

 怒りで震え、悔しさに奥歯を噛み締める。あと一歩だった。あと一歩で、この悪夢を終わらせられたかもしれないのに。自分の、一瞬の甘さが、全てを台無しにした。


 その、震える肩を、そっと叩く手があった。

 リリアだった。

 彼女は、ケインのそばに膝をつくと、静かに、しかし、燃えるような瞳で彼を見つめていた。その表情は、もはやただの絶望ではない。怒り。憎しみ。そして、その全てを飲み込んだ、鋼のような覚悟の色。


 彼女は言った。その声は、もう震えていなかった。


「あいつに、復讐しましょう」


 ベッドの上で、セレスは、泣いていた。

 その涙を止めるためなら、悪魔にだって、魂を売ってやると。

 ケインは、リリアの瞳を見つめ返し、強く、強く、頷いた。


 

 

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