三
かくして、職長の助言はある意味的を射ていた。
てっきり、理不尽なあの官僚と二者面談をするのかと思っていたのに、通されたのはなんと謁見の間だった。そう、王様である。
しかも丁度後ろには例の官僚が額づいている。こんな三者面談は望んでいない。王様に顔をあげるよう直接指示されて、ニケは体を突き破らんばかりの心の臓の舞と、泣き叫びたい気持ちを必死に抑え込んだ。
謁見の間は、それは見事な一室であった。高い天井には漆喰細工の夜空のような装飾、壁は幾何学の彫が施されており、室内は仄かな甘い香が漂っている。天窓から指す光は王座を照らし、両脇に護衛を従える王様を神々しく仕立てていた。
少し王様の顔が見えにくい仕様になっていて、ニケはほっとした。それもそうか。
「そんな畏まらなくていい。この所の判補官の変貌がそりゃあ傑作でなぁ…!
ぜひ会ってみたいと無理を言ったんだ」
背後よりわざとらしい咳払いが聞こえてくる。
そう言えば、今代の王様は歴代中最も寛容である、という噂があったような気がする。
「最近の染め物は面白いのだなぁ。毎日毎日、あんな…コロコロと」
とうとう堪えきれなかったのか、王様は爆笑を響かせた。しばらく笑ったのち、王様は後光の中でニケを指さした。
「そこでだ、汝に儀式の染め物を頼みたい。まぁ、言うて、二十四番目の倅の成人の儀だがな。正直誰に頼もうか迷っていたところだったんだ。頼まれてくれるか?」
「光栄です。」
勅令を断る馬鹿はこの世にはいない。間髪入れず、ニケは頭を垂れた。
一見無茶振りに見えそうな話にも訳がある。何を隠そう「儀式の染め物」は、染め物屋の起源なのだ。遥か昔、霊神が青年の全身に染めを施した。これが初代王の王位就任であり、誰もが知る建国神話なのだ。決められた顔料を、決められた体の部位に、決められた形で描く。染め物屋はこの「儀式の染め物」を初めに教えられ、寝てでも、死んでも描けるように教え込まれる。
ニケは幼き頃に思いを馳せた。後にも先にもあそこまで厳しかった祖父は見たことがなかっただろう。
「かの天才奇人と言われた職人の弟子よ、期待しているぞ」
快活に、王はそうニケを呼称した。
謁見の間から御暇し、呆然と宙を眺めていると、何かに衝突した。
「随分と腑抜けているようですが、そんな調子で儀式が務まります? わたしは猛反対したのですがね。今からでも遅くはないでしょうか」
判補官だ。今日の髪色は目が眩みそうなほどの深紅である。あともう少しで黒髪になる頃合いだろうか。
「その視線。大変失礼ではないですか? このようになるという説明をわたしはあなたから一度として聞いていない。曲がりになりにもあなたはわたしを悩ませた。」
「それは君が僕の言葉を遮ったからだ」
と言わない方が賢明なのは流石のニケでも理解ができた。それに相手を悩ませる染めをしてしまった自分も悪い。
「ごめんなさい」
「カッ!『ありがとう』と『ごめんなさい』を言って許される世の中だったら大陸全土は美しい一面の花畑だったでしょうね」
よく回る口だ。
ニケの心の声が聞こえたのか、それ以降、判補官は口を閉じ、じっとニケを睨み始めた。それから数秒間、お互いを見つめ合うだけの沈黙が発生する。気まずいだけなのに何がしたいのだろうか。
しばらくすると、呆れたため息が降ってきた。
「わたしは説明をしろと言っているのです。この髪はこの後どうなるんですか? まさか永遠におぞましい色へ変容するわけじゃないでしょう」
「あっ…えっと、もうそろそろで黒髪になってそれで終わりだよ」
「戻してください」
「えっ?」
「わたしの純白の髪を元に戻してください。染め物とは元来、人々の渇望と希求を満たし、最低限度で自身を清め、神と大国への礼儀を示すものです。こんな派手な色、ただ自分を着飾るばかりではないですか。
わたしは自堕落な者が敬意を抱き、改心するような気品さを求めたのです!」
判補官は大きく咳払いをした。
「しかしながら…、この技法は確かに目新しい。大量の顔料が必要だったでしょう。とんだ闇職人と思って報酬を払っていなかったのですが、食い逃げ犯と同格に成り下がってしまいましたね」
そう言ってニケの片手をひっつかむと、麻袋を捩じ込む。見た目にしてはかなり重たい。
「えっ、き、金、金貨??」
「わたしの髪を純白に戻す分も込みです」
ニケはすぐさま麻袋を判補官に押し戻した。
「こ、これは貰えないよ」
「なぜです? 相場価格ですよ」
「できないんだ!」
ニケは若干、判補官の目から視線をそらしながら、今度こそはっきりと説明した。
「今、白亜を…白の顔料を切らしてるんだ。海岸にあるから、贔屓にしてた荷運び人の伝手で隣国から入手してるんだけど…どうにも今は難しいらしくて」
「………なるほど」
てっきり理不尽な叱責が飛んでくるかと思いきや、判補官はどこか考え深げに腕を組んで押し黙った。それでも真っ直ぐにこちらを眺めている。
ニケは首を傾げた。