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隣人が神  作者: 樫亭まゆ
2/9

事の発端は、兄弟子に闘技場へ連れ出されたことからだ。隣国で人気になっているものらしく、二人の決闘者どちらかに賭けるのが最近の流行りだという。


「僕は道端の牛比(うしくら)べの方がいいんだけど…」


どうせ(ろく)なことがない提案に、半ば不機嫌にそう言ったのが、記憶に新しい。

しかし兄弟子は聞く耳を持たない頑固者だ。

無理やり連れ出したくせに、ニケを置いていくかのようにすたすたと旧市街への道を歩いて行くものだから、人混み嫌いの職人は背の高い彼をひたすら追うしかない。

赤土の屋根の向こうで、乱雑な柵で覆われた円形劇場の一角が見え隠れする。旧市街は閑散としているのに、会場周辺が賑やかなのはどこか背徳感がある。徐々にニケは気味が悪くなってきた。


「ねぇ。そういえば闘技場の観戦って王様から認められてるんだよね?」


なんともないように問うてみると、兄弟子の口髭が珍しく動いた。


「……認められんのも時間の問題だろ」


ニケは頭の中でおーーい、と叫んだ。それは認められていないという事ではないか。急ぎ方向転換しようとすると、襟首を掴まれる。


「僕を共犯者にするなよ!兄さんが変なことばっかするからいつも()()()()()()から笑い者にされるんじゃないか!」


自分にしては声を荒げて抵抗すると、兄弟子はぐっと腰を屈めて視線を合わせてきた。


「…勘違いするな。闘技場に()()のは問題じゃねぇ」

「いやそれ屁理屈…」

「なんとでも言え」


それでもかわいい弟弟子を犯罪者にはさせたくないのか、結局は闘技場前で待たされることになったのだ。


人混みは嫌いだが、一人の空間が確立されている場所ならまだマシだ。堂々と一人でいれば、大抵の輩は話しかけてこない。ニケは乱雑に詰め込まれていた画材達を鞄から取り出した。近くの石を拾って、葦ペンで突く。荒い赭土(しゃど)の石板は適当な落書きに丁度良い。

やはり闘技場周辺は随分と騒がしかった。特に旧市街は色々な人が暮らしいているから、沢山の顔ぶれがあった。顔立ちも、服装も、香る匂いも、どうやら身分も様々だ。隠しきれない気品と質の良い装束の者はお忍びなのだろうか。唯一の共通点と言えば、照りつける太陽か、はたまた観戦の熱気にか、誰もが腕捲りをしていることである。

していないのは、今日の競技内容を高らかに宣伝する彼くらいである。怪しげな仮面と派手な衣装で頭から指先まで覆っており、見ているだけで暑苦しそうだ。

ニケも噂に聞いたことがある。ああいった者達が闘技を実況する雄弁士(ゆうべんし)であり、近頃の若者の憧れの的らしい。その手腕は確かなようで、飛び跳ねるように人混みを移動しては、群衆を闘技場内へと導いて行く。誘導と競技実況を兼ねているなんて大分重労働に違いないのに、そう感じさせない軽々しさは嫉妬心すら抱いてしまいそうだ。


石板を腕に抱えて傍観していると、ついその雄弁士と視線が合ってしまった。


「あらららら。そこの長髪の若者よ! 地面にお尻を落っことして何をしているんだい?」 


あっという間にニケの側にやって来ると飄々とした態度で話しかけてくる。ニケはわざと苦笑いを返してやった。


「好きで地面にいるわけではないよ」

「えぇ? じゃあ何のためにあんたはここにいるんだ? それも、これから競技が始まるって時に? まさか観戦しないってわけじゃないだろう?」


まさかではなく、そのつもりなのだが!


「…いいや。そんなことはないよ」


思いとは裏腹。口調の勢いに押されて、ニケは渋々立ち上がった。こんな人混みの中にいても邪魔ではある。頃合いを見て、静かなところへ抜けようか。

しかし、ガッチリと両肩を掴まれ入口の方へと誘導される。


「決まっているでしょう! さぁ、進んで進んで足を止めるな!」

「あっ…いや、ち…ちょっと…」


流石にニケは焦り始め、小さな声で抵抗する。


「待って。あ…っと…そっちはもしかしたら僕には早い…」

「観戦に早いも遅いもないよーー!!」


明るい口調でニケの言葉に対応しながら、周囲の群衆も誘導する。どうやら、ニケを場内に入れるまで手を離してくれないらしい。


「…えっと、あ、ほら…円形劇場って高いだろ? 僕高い所は苦手なんだ。地面の方が安心というか…より低ければ低いほどいいというか…」

自分でもどうかと思うほどの言い訳をぶつぶつ呟く。


しかしながら雄弁士の耳には届いたようだ。怪しげな仮面がニケの顔を覗き込む。


「低い方? ……あんた低い方がいいのか?」


仮面は近くで見ると意外と剥げており、手入れがされてなさそうだ。ニケは無言で頷いた。

すると雄弁士はニケを人混みから引っ張り出し、人気のない茂みへと案内した。自然と一体化した闘技場の壁が撫でられると、亀裂が走る。

いや、扉だ。錆びついた扉が、雑草と蔦に隠されていたのだ。

扉の向こうは真っ暗闇だ。

低音と高音の風が吹き抜ける。


「あんた、見た目によらず豪胆(ごうたん)だね。そうなら早くそう言ってよ」


見上げれば、仮面の奥の瞳が三日月のように細められる。油断した隙に、背中を押し出された。


「そんじゃ、血湧き肉躍る時間を! お楽しみあれ!!」


背後で重い扉が不気味な音を立てて閉じられる。





あれよあれよという間に真っ暗な世界に放り出されてしまった。振り返れば、辛うじて凸凹の赤銅が見える。


「えっ…? どうしよう」


湿気った空気にニケの困惑の声が転がり落ちた。

外にいた時には真っ暗に見えていたが、地面に蝋を灯してくれていたらしい。目下には階段があった。微かな騒ぎ声がこの地下から聞こえて来る。

とんでもない勘違いをされて、何処ぞと知らぬ場所に案内されたのは確かなようだ。扉を開けて戻るのが最適か。

ニケは片耳にぶら下がる羽飾りを指で弄った。元々は純白の綺麗な耳飾りであったが、積年の染料の飛沫(しぶき)跡により薄汚れ、固く枯れきっている。 


「でも、彼がまだいたら…」


もし扉から出たのを目撃されたら、何のためにここに来たのか詰問されるに違いない。勘違いと言えど、わざわざ持ち場を離れてまでここに案内してくれたのだ。

それに、兄弟子が観戦を終えるのもまだ時間がかかるだろう。



「あぶなくなればすぐに引き返したら良い、よね……うん」







階段の先には入口と同様に扉があった。開くと、いきなり橙の怪光が目に飛び込んでくる。そこは大広間だった。

蟻の巣の如く入り組んだ岩壁は、仕切りこそないものの、いくつかのプライベートゾーンを作り出している。各小部屋には机が置かれており、多くの人々が囲って雄叫びを上げたり、歌ったり、騒いでいる。

歩くには狭いが、空間は遠くまで広がっているようで、首を伸ばしても蝋燭の燈と蠢く人集りばかりだ。左手奥には立ち飲み場(バル)も見える。

閉鎖的な空間は闘技場周辺以上にうるさく、空気は籠り、どんよりとしている。絶妙な匂いが漂っていた。


ニケは相当に場違いな雰囲気を感じながらも、肩をすくめて歩き出した。薄闇の中でも足元には木屑や汚れた銀貨、誰かが溢した水たまりがあるのは見える。足の踏み場がないのは自室の汚部屋と同様だが、ここまでの有様ではないなとニケは内心呟いた。

机上のゲームに参加する気は毛頭なかったが、周囲は各々の試合に夢中なようで、紛れ込んだ小柄な工芸人には気づいていないらしく、ニケにとってはかなり冒険した暇つぶし場所にはなるだろう。少なくともこの場に飽きることはなさそうだ。

ニケはそそくさと立ち飲み場に行き、腰を落ち着けた。隣では鷲鼻が特徴的な男がカウンターにもたれ掛かっていて、騒ぐ人集りを忌々しそうに睨みつけていた。甘い香りが漂う。ジュースか何かを飲んでいるようだ。



こういう場所ではどういった飲み物があるのだろうか。郷に入っては郷に従え。オーナーを呼ぼうとすると、隣の男が声を降らす。


柘榴(ざくろ)ジュースはやめた方がいい」


ぶっきらぼうな言い方だ。こちらに視線のみを渡して唐突な食レポをしてくれる。


「癖が強い。どうも隣国から取り入れた品のようです。

やはり我が国の方が新鮮だ」


いい香りがしているのに味はイマイチなのか。残念である。素直にニケは助言に従い、オルチャタを注文した。


熱く渇いた土に眠る地下茎のエキスは随分と甘ったるい。また気分になったら飲もう。ニケは両手でオルチャタを抱えると、お節介な隣人に小さくありがとうと呟いた。男の頭の上には、汚れひとつない白髪がある。やつれたような表情は老け顔に見えるが、老人と判断するには若すぎる気もする。若白髪だろうか。


「フン。連れがわたしを放ってどちらかに行ってしまいましてね。時間を潰している所ですよ。」

「…んふふ。僕も同じだ」


初対面の愛想でつい笑いをこぼすと、彼は真顔でこちらを見つめてきた。瞳が鋭くこちらを貫く。まるで純白の半月の上で収まりどころの悪い黒い球体がゴロゴロ動いているかのようだ。

不機嫌そうな黒点は「一体何が面白いのだ」と問いかけてきている。


どうも相性が悪そうだ。


「うん。あー。君はゲームには参加しないのかい?」

「カッ! わたくしは、こんな野蛮なことに殊更興味がありませんので。」

「や……」

野蛮、と言う時に少し声を落としたとしても場所が場所だ。不審に思われない程度に周囲を見回す。どうやら誰も彼の声は聞こえてないようで、胸を撫で下ろした。


「君は随分と豪胆なんだね」

主張の強そうな太眉が吊り上がったのを見て慌てて付け加える。


「今日、僕は驚きまくりだよ」

「この地下の賭け場には初めてで?」


突然会話を切り返された。


「うーん。僕、そもそも闘技場も初めてで。君と同じく、無理やり連れてこられての放置さ! …それに」

声を窄めて、ひそひそと続ける。

「王様の許可が降りてないのも知らなかったんだ! もちろん、もともと闘技場にも入るつもりもなくて、なんか……わからないままここに来ちゃったんだ」

「それはあなたの世間知らずが招いたことでしょう? まぁ、ここに来ている時点で、目くそ鼻くそを笑うですね。」


流石にこの言種には悲しくなり、頭に来た。


「君も、僕と似たもの同士だね。連れに放り出された同士。連れの趣味が悪いもの同士」


にやりと笑って言ってやると、相手は深く頷いた。


「確かに。こんなものが隣国で流行っているなど、にわかには信じられないですな」

「うん。僕も新しいものが嫌いって訳じゃないけど、前の方が好きだな。道端の牛比べとか」


二頭の牛が睨み合い、その角と毛並みを競い合う。不定期に開催される路地は狭く、当時幼かったニケの背丈では一方の牛の尻しか見えなかった。両頭を眺めるためよく祖父に肩車をしてもらって見た光景を思い出す。


「まさに!!!」


大声を張り上げて彼は相槌を返した。


「ああいうものこそ、我が国を象徴するものですよ! 大賢者の像が見下ろす広場で人々は話に花を咲かせ、食い、飲み、踊る!」


先ほどとは打って変わり、熱を持って語ってくれる。ニケは今度こそ自然な笑顔を溢した。


「先に『抜け駆け通り』があるやつかい? あそこの道はよく学生の楽団が演奏してて好きだったなぁ」

「カッ! わかります!」

「今もやってるのかな?」

「そりゃそりゃやっておりますとも! というかあなた、今日こちらに来る時そこを通らなかったんですか?」

「いや、東の高地から降りてきたんだ。西の方に仕事に出向いててその帰り。いつもなら都の西側の森の道を選ぶんだけど今回は運悪く荷運び人が捕まらなくって…」

「ほう」


一連の会話で気を良くしたのか、白髪の彼はニケの話に聞き入るように姿勢を傾ける。


「遠回りせざるおえなかったって訳さ!」

「…西側…梟木(きょうぼく)の森か。あなた仕事はもしや?」


聞かれてニケはにんまりと口の端を上げさせた。


「んふふ。君のお察しの通り、染め物屋さ!」






どうも懐古趣味(かいこしゅみ)のありそうな隣人は、伝統工芸人という役職に弱かったようだ。ニケが初めに感じた違和感はどこへやら、二人の会話はここに書き留めることができないほどの早さで進み、弾んだ。


「素晴らしい! ならば!! 是非ともわたくしの髪を染めていただきたい!!」


…後から考えれば、それはニケ自身すら止められず、制御できない、会話の波だったのかもしれない。乗れていると思っていても、乗れておらず、後から自分が疲労していたことと、失態を犯したことに気付くのだ。


「最近の若者たちは随分とわたしをコケにしているようでしてね?

それはもう周囲が目を見張り、振り返り、敬意を抱く、美しい染め模様をお願いしますよ」


冷静に考えれば、伝統工芸人–––染め物屋の真の役目が人々の渇望と希求を満たす事だといえ、無理難題な依頼である。しかしながら、その時のニケにとっては不安なく叶えられる要望だったし、楽しい瞬間であったことは確かな事実だった。





染め物をする事を嫌いになったことはない。それは日用品みたいな行為だ。



さてさてどうしよう (しゅ)色に青色 (みどり)

彩色の世界に没頭し 沈める体 思い出すのは溶けた岩石

散らばった(くず)に 花の涙


いいぞ いいぞ こうやろう

黄金(こがね)葡萄(ぶどう) (くれない)に 浅葱(あさぎ) 石竹(せきちく) 薄墨(うすずみ)

見つけた! 依頼人の想いと浮き立つ心

冷静に 道を振り返るのも忘れずに




…そんな鼻歌のようにごく当たり前の行為だが、一時の歪みが生じることはある。



「…これはなんですか?」



懐古趣味の隣人–––依頼人に静かに問いかけられ、ニケは笑顔で受け応えた。


「君のご要望の通りさ! もう『周囲が目を見張り、振り返り、敬意を抱く、美しい染め…』」


彼は首を振り、立ち上がった。そこでニケは相手の調子がすっかり変わってしまった事に気づいた。

彼は事前に渡した手鏡をニケに押し戻すと、無の声色で続けた。





「わたくしの純白の髪が真っ黒になったのですが?」




「えっ、いや。黒じゃないよ。黄金、葡萄、紅、浅葱、えと、石竹、薄墨の混合色で…」


懸命に伝える内に、ニケは何故だか自分が最低な言い訳をしているような気分になった。相手が大きな山のように見えて、登ろうにも登り方が分からない。手も足も出ないのだ。


「それを黒色と言うのですよ!!」

大きなため息がとどめとなり、ニケはもう何も言えなくなってしまった。


「タリク!!!! タリク!! 帰りますよ!!」


突然、依頼人は大声で広間の奥の方に向かって叫んだ。

「…全く、どいつもこいつも…!!!」

既にニケの存在は眼中に無いようで、勢いに任せてジュースの入れ物を机に打ち付けると、紅の液体が派手に飛び散る。


「ンガーーーーーー!」


まるで血塗れの風貌である。大声も相まってなかなかの迫力だ。そこにやって来たのは、顔を赤くさせ(こっちは本当に真っ赤だ)興奮したような大柄の男と、頭頂部に仮面をずらした腰の低い小男だ。


「丁度良いところでしたのに! もう帰るのですか、()()()()()


大男は地下の熱狂者達とは違った身形をしていた。手入れされた顎髭と汚れた半長靴。人の目の行く所のみ、清潔感を保っているようだ。しかし、よれきったサラグエルズボンを締めるベルトだけは、袖なしチュニックに一部隠されながらも、見事な藍に発色している。きっと丹念に染められた大事なものなのだろう。


「まさか! 騎士様お帰りになられるのですか。まだ勝負はこれからでしょうに」

側についていた小男が悲鳴を上げた。なかなかわざとらしく媚を売る。しかしタリクという大男は小男に見向きもせず、自分を呼び出した彼をじっと見つめた。


「ハンポカンなんか血に染まってません?」

「んな訳ありますか!!!」問われて彼–––ハンポカンは甲高く叫んだ。「柘榴ジュースを溢しましてね!!」

「溢……」

「えぇ、溢したんですよ、ポロッと、少し、ね!!!!」

「少し…?」


どう見ても「溢れた」程度の量ではない。タリクは相手の様子をまじまじと眺めだした。近視なのだろうか。いや、兵士の目が悪いはずない。ニケでも失礼だと思うほどの「まじまじ」である。

無論、気難しそうな元依頼人は言うまでもなく、怒りで目に力が入りすぎて充血しているように見える。すっかり蚊帳の外にされた小男は、着替えを持ってくるなどといった気を利かせる余裕もなさそうだ。

そんな空気を物ともせず、兵士の視線は足元から、顔、そしてついに頭の先まで登っていく。

「ん?」そう兵士が発して、ニケは脳内で金切り声を上げた。やめてくれ!

その瞬間、兵士本人と目があったような気がした…が、やはり気のせいだったようでニケが目を閉じて開いた後には、彼の指先は既に例の頭髪を示していた。


「その髪…真っ」


パチン、と音を立てて手が叩き落とされる。ハンポカンだ。


「柘榴!! ジュース!! を!! 溢したんです!!!!」

「頭に? 真っ黒ですけど。」

「フン! あなた方もよくやるじゃないですか、浮かれて飲み水を頭から被るのを!!」

「それは祝祭の時だけですよ。私は馬鹿騒ぎが好きではないので、いつも見る専ですがね」


どうにかして話題を変えたいらしい。そんな相手の様子を見てか、兵士も追及の手を止めたようだ。


「まぁ、いいんじゃないですか? 元から黒髪だったのかと思うほどですよ。」


カウンターに手をつき、顎髭を撫でる。褒めているのか揶揄っているのか、判別し難い。

どこか、嫌な予感がする。


「前の白髪(しらが)よりも若々しくみえますよ」



白髪(しらが)じゃ、ぬぅぁいですわあぁァ!!!!」



ニケは思わず肩を跳ねさせた。喧騒をものともしない大声に周辺の目線が集まっている。


「これだから! こんなところ!! 来るんじゃありませんでした!!

こんな野蛮で下品で騒がしい所なんてこっちから願い下げですよ!! もう、さん、ざん、です!!!!」


ハンポカンはそう捲し立てると、次に呆気に取られている小男に向き直った。


「隣国被れの品々! 品質も悪い。衛生管理は一体どうなっているのです?

あくまでも顧客相手だというのに接待は一人。不測の事態の対応も鈍く、伝達も連携も取れていない!!

脆弱な組織運営は破滅の一途を辿りますよ。」


ここで彼は息を吸った。心を落ち着かせているのだろうか。 


「…そもそも。正式に認められていない行為を黙認されている時点であなた方は温情を察するべきだ。我々は書簡を焼き捨てても良かったのです。」

「えっ、あ、え…」


違う。優位に立つためだ。場の空気を制し、相手を萎縮させる。

事実、小男はハンポカンの低く冷たい声に打ち震えている。

徐々にニケはこの場の居た堪れなさを自覚し始めていた。


「フン。弱い者いじめの趣味はありません。どうぞ棟梁(とうりょう)殿に、一字一句違える事なくお伝え下さい。わたしも同様、今回の視察で見たことを残さず()に伝えますので。

結果は期待しない方がいいですな。」


ハンポカンは一方的に断ち切り、連れの兵士に帰るぞ、と告げる。真っ青な顔の小男を置いたまま、早々に場を後にする。

兵士は眉を下げて、同情の視線を小男に送った。「私は隣国の文化、新鮮でいいと思ったんですけどね」と慰めの言葉だけ送ってハンポカンの後を追う。すれ違いざま軽く会釈されて、ニケは慌てて目礼を返した。


我に帰った小男が二人の後を追うのを見届けてから、ニケは一人両手を見下ろした。染料の後始末をしなかった肌はかぴかぴに乾燥してしまっている。

ニケはカウンターと椅子に広げた壺を摘み上げては、残量を確かめる事なく次々と鞄へ突っ込んでいった。


気がつけば、立ち飲み場(バル)のオーナーがこちらを窺っている。ヤケクソに柘榴ジュースを頼めば、非常に珍妙な味だった。しばらく口の中に残りそうだ。

…我が国の神様は、とことん手厳しいらしい。


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