イビー
突如響いた鳴き声に、皆が驚いて周囲を見回している中、俺は一方向を見つめた。
「……イビー?」
なぜ、と思う。今は秋だ。起きるときじゃないし、起こしてもいない。でも今のは間違いなくイビーだ。イビーが、雨を降らせるときの声。
ハッとして上空を見れば、雲が湧き出てきた。……と思った瞬間に、雨が降ってくる。
「ってちょっと待て!」
思わず叫んだ。土砂降りだ。雨が激しすぎる。普段は、あまり一気に雨を降らせてしまうと、逆に災害が起きてしまうからと、控えめの雨なのに、これじゃ……。
「……あれ?」
土砂降りだ、確かに。それなのに俺に当たる雨は優しい。そんなはずないのに。大粒の雨が容赦なく降り注いでいるのに、その雨が俺を労ってくれている気がする。
「もしかして、俺のために起きてくれたのか?」
そして雨を降らせてくれたんだろうか。この望まない戦いを、しなくて済むように。イビーを思い浮かべる。「そーだよー」と当たり前のように、いつもの間延びした声で返事をしてくれた気がした。
ドドドドド、と音が聞こえて、俺は苦笑した。
「みんな、下がれ! 洪水が起きる! 水に巻き込まれるぞ!」
叫んだ。急激に雨を降らせたせいで、地面に吸収されなかった水が、一気に流れてきている。俺の声でやっと気付いたか、王子やルインたちが慌てたように逃げていくのが分かる。――が、俺は動かなかった。
「「キクチ!」」
王子とルインの声が重なった。ルインはともかく、王子は俺の心配なんかしなくたっていいだろうにと思う。
「《水防御》」
魔法を唱えた。俺の足元に水の壁が現れた。そして、そのまま流れてきた水の上に乗って見せた。
「うぉっと」
そのままその位置に留まるのは難しかったが、上手く魔力を流して調整して王子を見ると、驚いた目でこっちを見ていた。
「この雨、もっと強くなる。この辺水浸しになるぞ。さっさと逃げた方がいい」
「……キクチ、君は一体何をした?」
「俺がやってるんじゃないって。いくらなんでも、雨を降らせるなんて真似はできないさ」
苦笑して、でもと話を続ける。
「この雨を降らせているのは、俺の知り合いだ。思った以上に気に入られていたみたいで、ちょっと驚いたけどな。多分、何度来ても同じことの繰り返しになるぞ?」
王子が眉を寄せて、難しい顔をした。が、すぐ何かを決めたように俺を見る。
「――分かった、では退こう。気の狂った勇者が砂漠の神に気に入られて、手が出せなかった。これからも手を出せば、我々が自然の猛威で全滅するだけだと、そう報告するよ」
「あっさりだな。そうしてくれれば、助かるが」
「――魔族は敵だ。それを疑ったことなんかない。でもキクチのおかげで、違う見方もできるようになった。一応、それを感謝してるんだよ」
王子は笑って、そして追いついてきた本隊を促して下がっていく。
雨は降り続いて、足元の水量はかなりになってきた。
「キクチ!」
俺を心配そうに呼ぶのは、後方のルインだ。
「もっと下がった方がいいぞ」
「キクチの方が危ない!」
「俺は平気さ。――じゃ、またな」
それだけ言って、その場に留まるために流していた魔力を流すのを止める。その瞬間、足元の水の壁ごと、流されていく。
ルインが身を乗り出しているのを、周囲の大人が必死に押さえているのが見えた。
そして、そのまま流されるに任せていけば、思った通りに見覚えのある奴が見えた。
「イビー」
『キクチー、おかえりー』
「お帰りじゃないだろ。なんでいきなり起きて雨を降らせてるんだよ」
なんにもありませんでしたって顔で言われると、逆にこっちが困る。もうちょっと他に反応があるだろうと思ってツッコむと、イビーは首を傾げた。
『なんかねー、誰かと戦ってるキクチの魔力がねー、寂しく感じたのー。だから、邪魔した方がいいのかなぁってー』
「寝てたんじゃないのかよ。なんでそんなことが分かるんだ」
『分かるよー。キクチのこと好きだからー。何かあれば分かるんだー』
「……ああ、そうかよ」
『うん。あ、じゃーボク寝るねー』
何か言う間もなかった。さっさと横になって、さっさと寝息をたてている。
「ほんっとにマイペースだな」
こっちは何のてらいもなく"好き"と言われて、照れてたってのに。……ありがとうすら言えなかった。
「――ま、いいか。次起きたときに言えば」
どうせ俺はここにいるんだから。言える機会はたくさんある。
『何のことだと言いそうだがな』
「それは同感だ」
聖剣のツッコミに、俺は笑ったのだった。