旅のきっかけ
魔族との戦いは、旅の日々でもあった。
魔族と聞いて俺は最初勘違いしたが、ゲームに登場するような"魔王"という存在がいるわけではないらしい。ただ、幾人か普通の人間では全く歯が立たない、強力な魔族がいるらしい。勇者の俺に依頼されたのは、そうした魔族たちの討伐だ。
そいつらがいなくなれば、残った普通の魔族であれば普通の人間たちでも十分に勝負になる。そこからは軍勢と軍勢の戦いだから、手を出さなくていいと言われた。
そんなもんなのかと、やっぱりゲームとは違うんだなと思いながら、俺と数人の仲間たちとの旅が始まった。
正直言えば、楽しかった。野宿とか無理だろうとか思っていたのは最初だけだ。いや、一人だったら絶対に無理だっただろうけど、仲間たちがいたから、楽しかったのだ。
だけど、旅を始めてからしばらく経った頃、俺はどうしようもない現実を突きつけられた。
魔族は敵だと思っていた。悪だと思っていた。ゲームの影響もあっただろうし、仲間たちもそう言うから、疑問すら持たなかった。
でも、違った。いや、仲間たちが嘘を言ったわけじゃない。彼らにとってそれは間違いなく真実だった。
人間に捕らえられた魔族たちが、拷問や虐待されているのを見てしまった。仲間たちはそれを「当然だ」と言った。それに俺はショックを受けて、そして嫌悪感を抱いてしまったのだ。
この世界がゲームなんかじゃなく現実なのだと、分かっていたつもりだった。でも、心のどこかでゲームと重ねてしまっていた。
そこから何とか俺は一晩で気持ちを落ち着かせた。これが紛れもない現実だ。魔族側にいけば、魔族と人間が逆の立場になった光景を見るだけ。これはどちらも自分の正義を主張するだけの"戦争"なのだと、俺はやっと理解した。
今さら後には引けなかった。俺の名前はすでに魔族側にも知れ渡っている。顔だって知られているだろう。やっぱり止めますと言えるタイミングは、とっくに過ぎ去っていた。
だから、今まで通りに仲間たちと旅を続けたけど、それまでのようには楽しめなかった。そして、俺の気持ちの変化に、仲間たちだってきっと気付いていた。
そして俺は戦い続けて、魔族たちを北にある小さな島に追い込んだ。ろくに陽も差さず、植物もほとんどない荒野の島に。
俺たちの追撃はここまでだった。というのも、その北の島への道が閉ざされたからだ。
北の島へは海を渡らなければならないが、どうやら干潮時にその島への道ができるようだ。……と俺は思ったが、海というのを知らない仲間たちは、自分たちの知らない魔法でも使ったのかと思ったらしい。
説明することは出来たかもしれないけど、精神的にキツかった俺は、引き返そうという仲間の言葉に頷いたのだ。
「それでも勝利は勝利。俺は城に迎えられて、勇者として最大限に遇された。けれど、どうにも居心地が悪くてさ」
仲間たちと……この世界の人たちとの、絶対に越えられない精神的な垣根。今さら「帰りたい」と思ったところで、無理なことは最初に説明されている。
「だから旅に出たんだよ。あの場所にいるのは、辛かったからさ」
そう俺は笑う。目的もない放浪を、旅と言っていいのか分からない。ただ逃げてきただけかもしれない。でも、ただ魔族を敵だ悪だと断じる人たちと、一緒にいられなかったのだ。
『そっかー』
結構重い話だったと思うが、イビーは何てことない様子で、間延びした相づちをうつ。
『ボクは別に魔族でも人間でもどっちでもいいから、どっちでもいいんだけどー』
「なんだそりゃ」
全く意味が分からない。……が、興味がないことだけは分かった。
『どっちも変わんないと思うよー。ボクをこの世界に召喚したのは魔族だしー』
「……は?」
『人間も、自分たちのためにキクチを召喚したんでしょー。どっちも同じだよー』
「……いや、今なんかとんでもないことを言わなかったか?」
イビーを召喚したのが、魔族? というか、イビーも召喚されてこの世界に来たということなのか?
『だからキクチも気にしないで、好きにすればいいんだよー』
「…………」
俺の疑問を完全に無視して言ったイビーは、ドヤ顔だった。その顔のせいで、説得力が半減している。
『ボクねー、元々いた世界でも雨を降らせる仕事をしてたんだけどー、サボるとすぐ怒る嫌な奴がいてー』
どうやら今度はイビーの自分語りが始まったらしい。……が、初っ端から引っかかる言葉だ。サボって怒られるのは当然のことであって、それを"嫌な奴"と表現するのは正しいのだろうか。
だが、俺の疑問を余所に、ドヤ顔のイビーは話を続ける。
『だからこの世界に来てから、サボっても怒る奴いないしー。快適なんだー』
それはドヤ顔でいう内容じゃないだろう。ジト目で見るが、イビーが気にした様子は全くない。
何でも、イビーが来た頃の砂漠は"死の砂漠"と言われるくらいに、雨が降らずに生き物も生息できない環境だったらしい。けれど、ここに逃げ込んできた魔族たちが、自分たちが生きるために召喚したのがイビーだったらしい。
そしてイビーは、半年のうちの一ヶ月、雨を降らせる契約をした。そして気温が下がり、オアシスができて、生きていける環境ができあがったらしいのだが。
『ボクねー、雨を降らせる以外で力を使うと、すっごく疲れちゃうんだー。それで多分いっぱい寝ちゃっててー。ここにいた魔族の人たち、いなくなっちゃったんだねー』
なるほど。旅の最中にここに来たとき、魔族がいた形跡があるだけで姿が見えなかったのは、そのせいか。いいんだか悪いんだか。
一体何をするのに魔力を使ったのかも気になるが、それよりも気になるのは。
「召喚されたのはいつなんだ?」
『んーっと、たぶん、四千年くらい前?』
「――よんせんっ!?」
そう簡単に気温が下がりはしないだろうし、オアシスも出来ないだろうとは思ったが、かなり桁違いの数字だった。
『でもボク寝てることが多いからー。もしかしたら三千年かもしれないし、五千年かもしれないけどー』
「アバウトだな」
どっちにしても、桁違いだ。その間、こいつは一人だったんだろうか。それとも、その魔族たちと一緒にいたんだろうか。
「もう一つ質問、契約破って平気なのか?」
俺が以前ここに来たのが、一年以上前なのは確か。それから明らかに気温が上がっていたから、その間一度も雨が降っていなかった可能性が高い。
半年のうちに一ヶ月雨を降らせるのを"契約"と言っている以上、それを破ったペナルティもあるんじゃないんだろうか。
『破っちゃった罪悪感っていうか、ちゃんとやんなきゃー、みたいな気持ちになるよー。でも寝てる間は関係ないしー』
なるほど。なんというか、イビーには意味らしい意味のないペナルティだな。もっとも、続けばどうなっていくかは知らないが。
『それでキクチー、これからどうするのー?』
「……さて、どうしようか」
雨を降らせている何者か、は見つけてしまった。この先のことなど何も考えていない。適当にブラブラするか、くらいしか分からない。
『もしやることないんだったらー、ここにいてボクを起こしてよー』
「自分で起きろよ」
反射的に突っ込んだ。半年のうち一ヶ月雨を降らせるだけということは、五ヶ月は寝ているということだ。なんでそれで生きてられるんだと突っ込むのは、四千年も前から召喚されて普通に生きてる奴に意味はないだろう。
『魔物とか来るとー、うっとうしいのー。その相手で目が覚めちゃうと寝過ごしちゃうしー。結界張って寝ると、魔力使ってやっぱり寝過ごしちゃうしー』
結界とは、俺が壊したあの虹色の壁のことだろう。今さらだが、これだけ魔力差があって、よくあんなにあっさり壊せたなと思う。つまり、それだけイビーの能力が雨を降らせる方に寄っているということか。
左手で剣の柄に触れる。俺がここに滞在するということは、当然ながらこの剣も一緒にいることになるわけで。ただ、グラムにとって相性が悪いようだから、どうしたものかと思ったのだが。
『……………』
とことん不機嫌な様子は伝わってくるが、何も言わない。ということは、俺の好きにしていいということだろう。
「――分かった」
『いいのー?』
イビーの顔がパッと輝く。
「でも、俺は何も食べないわけにはいかないから、食べ物調達に出かけるだろうし、ぶっちゃけいつまでいるか分からないが、それでも良ければ」
『うんいいよー。やったー、これでボク何も気にせず寝てられるー!』
もしかして、話を受けてしまったことは失敗だっただろうか。微妙に不安になったのだった。