出会い
しばらく様子を見たが、そいつは気持ちよさそうな寝息を立てたまま、起きる気配がない。特に怪我なんかもなさそうだ。
悩んだが、起こすことにした。虹色の壁を壊してしまったし、強い太陽の日差しが直接当たってしまっている状況に、何となく罪悪感もあった。
が、そこからが難航した。起きてくれない。聖剣が『刺してしまえ』とか言ったのを、本気で実践しようかと思い始めたときだった。
『だれー?』
ゾウが目をあけて、俺を不思議そうに見て、言った。
しゃべったことに驚いた。その声がかわいい男の子の声だったことには、違和感がありまくった。そういうお前は誰なんだと言いたかったが、押しかけてきたのはこちらである以上、先に名乗るべきか。
「俺は菊池だ。……勇者として、この世界に召喚された」
『ボクはイビーっていうんだー』
それだけ言って、そのゾウは可愛らしい仕草で首を傾げた。
『ねぇ、キクチって、ホントの名前じゃないよねー?』
唐突なその言葉に、俺は息を呑んだ。が、気を取り直してすぐ答える。
「……別に偽名じゃない」
『そうなんだー?』
体を起こしたゾウは、やはりデカい。見上げてると首が痛くなりそうだと思ったら、そいつは足を折って座った。不思議そうに首を傾げたそいつは、デカいくせに妙に可愛く見える。
『それで、なんでここにいるのー?』
「……単なる興味本位だよ。そういうイビーこそ、なんでこんな砂漠のど真ん中で寝てたんだ?」
『寝たかったからー!』
「……」
それ以上聞きようのない返事が返ってきた。
さて、どうしたものか。本当に文字通りに興味本位でしかないのだ。こいつと砂漠に降っていたという雨は、果たして関係あるのかどうか。
聞いてみようかと思ってイビーを見たら、周囲をキョロキョロしている。その目が焦っているように見えた。
『ねーねーキクチ、ボクどのくらい寝てた?』
「……? 俺が来たときには、グーグー寝てたぞ? ちなみに一時間もたってな……」
『ボクやっちゃったかもー!』
俺の言葉の途中で、イビーは叫んだ。明らかに切羽詰まってる。
「ど、どうしたんだ?」
『ボクね、砂漠に雨を降らせる契約してるのー! 夏と冬の初めに降らせなきゃいけないのにー!』
「……今は秋だぞ」
『うわーん! キクチのバカー! もっと早く起こしに来てよー!』
「なんで俺のせいなんだよ」
初対面の奴に、なんでバカ呼ばわりされなきゃならんのか。とはいっても、声が可愛いのも相まって、子どもが喚いてるだけにしか聞こえないから、腹は立たないが。
というか、イビーが「雨を降らせている何者か」ということで決まりか。契約って一体誰ととか、ツッコミどころは満載だが。
『とりあえず、雨ふらせるー!』
少し泣きが入った声で、イビーが立ち上がった。四本の足を大きく広げて、踏ん張るような姿勢を取る。
『キクチー、その水消してー』
「あ、ああ、分かった」
出したままだった水の壁を急いで消す。強い日差しに顔をしかめるが、同時にイビーが雄叫びを上げた。
「パオオオォォォォォォォォォン!!」
イビーの体が虹色に光った。今までの残念そうな感じが消えて、神々しいまでの姿になる。その威圧というか凄さに圧倒された。
日が陰った。空を見上げれば、さっきまでの晴天が嘘のように雲が湧き出ている。まさかと思う間もなく、ポタッと水滴が落ちてきて、雨が降り始めた。
「すげぇ……」
水魔法は誰にも負けないつもりでいたけど、俺は天気を操るなんて真似はできない。こいつは俺とは次元の違う存在だ。その気になれば、俺なんて一撃でやられる。
『そーだよー。ボク、すごいでしょー!』
だが、間延びした気の抜ける話し方で、ドヤ顔を決められると、途端に神々しさはどこかにいってしまった。やはり色んな意味で残念な奴らしい。
「なんで俺に魔法を消させたんだ? 必要ないんじゃないか?」
雨を降らせる前に、こいつはわざわざ水の壁を消せと言ってきた。雨を降らせるのに何か影響が出てしまうんだろうと思ったが、俺が何の魔法を使っていようと関係なかったはずだ。
俺とイビーの実力は……というか、より正確に言うなら魔力量ということになるが、比べるのも馬鹿らしいくらいに桁が違う。
『水の魔法を近くで使ってると、その人の魔力も吸い取っちゃうんだー。それで倒れちゃった人がいたからー』
「……なるほど。それはどうも」
つまりはイビーの邪魔になるんじゃなく、俺のためだったらしい。
魔力がゼロになっても死ぬことはないが、疲労感でしばらく動けなくなる。俺のように体を鍛えていればまだいいが、旅の仲間の魔法使いが魔力を使い果たしたときは、大変だった。
『ねーねー』
イビーが俺に話しかけてきた。
『やっぱりキクチがキクチってなんか変な気がするー』
「なんでだよ」
本当の名前じゃない云々の話だろう。蒸し返されるとは思わなかった。
確かに名前ではないが、名字だ。それを違うと言われても困る。だが、まあいいかと思って、俺は説明することにしたのだった。