&72.空っぽ
ついにおじいちゃんの一周忌が来てしまった。喪が明ける。前を向かないといけない時が来てしまった。
「大丈夫かいナギ」
「うん。大丈夫……大丈夫だよ。おばあちゃん」
ちゃんと切り替えるから。また心配かけるようにはしないから。笑顔の仮面を被って、そう答えた。
その晩、髪を切って短くした。単純だけど、意思の表れ。気持ちを切り替える発破で第一歩。
道場通いを再開した。まだ外は怖いからおばあちゃんにしがみついて移動している。おじじ先生は事情を知ってるのか私の前には現れなかった。
引きこもってる間も体を動かしていたから体力は戻ってるし、感覚も覚えてる。でも、相変わらずおばあちゃんは強かった。まだ一本も取った事ない。毎日毎日扱かれて、でも一言も弱音は吐かなかった。
鮫島組の組長はおばあちゃんが継いだ。そして次期組長はナギだと言われた。その時は頷いたけど、内心不安で押し潰されそうだった。まだ先の話だ。だけど遠くない未来の話でもある。
組員はだいぶ減った。あの抗争で多くが命を落とした。でも誰も私を責めなかった。それどころか生きててありがとうと良かったと労わってくれた。私は何も言えなかった。何を思うのが正解か分からなかった。
私は強くない。みんなの命を預かる度胸はないし、トップに立つ器でもない。極道である覚悟も自覚も足りてない。成長すれば自ずと身に付くなんて言われたけど、全然そんな事ないと思う。適材適所で言えば、私は鉄砲玉がお似合いだろう。それともそうだ、傀儡でもいい。
家族が一緒で、居場所があって、楽しければ他には何も望まない。恥も外聞もプライドだって私にはないから、多くを望まないから、ずっとこのままで居させてください。もう何も奪わないでと毎晩願って不安な夜を過ごした。
そうして、偽りの日常が一年を過ぎた。おじいちゃんの三回忌。法事の帰りに事件は起きた。
おばあちゃんとワカと三人で送迎の車を待っていた。黒塗りの車が見えてお迎えが来たのだと思った。けれどその車はスピードを落とさなかった。止まらない車をフシギに思ったのと同時に体が宙に浮いた。時間の流れがゆっくりに感じて、突き飛ばされたのだと理解できた。
「おば……」
繋いでいたはずの手を伸ばす。遠ざかるおばあちゃんは私を見て、微笑んだ。その直後、おばあちゃんは車に轢かれて、視界から居なくなった。
車が視界を通り過ぎて、ぶつかる衝撃に目を瞑ると時間の流れが戻った。ワカが下敷きになったから痛みはなかった。突然の出来事だったのに、おばあちゃんは的確な行動を選択したのだ。
「おばあちゃんっ!」
起き上がって車が走っていった方を向く。今居る場所からはおばあちゃんの姿は見えなかった。
「おばっ、おばあちゃん……!」
慌てて駆け出す。足がもつれて転びそうになる。足元がフラつく。
遠い。長い。怖い。足が重い。息が苦しい。心臓が痛い。嫌だ、嫌だ……嫌だよっ!
逝かないで。置いてかないで。取らないで。独りにしないでっ!
「……っ、おばあちゃん!」
轢かれたおばあちゃんは植木の上に倒れていた。呼びかけても動かない。目を開けない。手を伸ばして、でも触れなかった。
無理に動かしたらダメ。正しい応急処置を……どうすればいいの? 教えて。誰か助けて。お願い……おばあちゃんを助けて。
「――ナギ、ナギ!」
肩を揺さぶられてハッとする。目の前にワカが居て、下から覗き込んでいる。
「ワ、カ……っワカ! お、おばあちゃんっ、おばあちゃんが……」
動かないの。目を開かないの。また……また死んじゃうのっ。
「何も……何も、出来なかった。目の前でまた死んでいくのを見ている、だけしかっ」
涙が浮かんで視界が霞む。声が震える。頭がグラグラする。倒れそうになってワカにしがみつく。
「落ち着け。大丈夫だ。ボスは生きてる。大丈夫だから」
強い力で抱きしめられる。それで現実に引き戻された。周りの景色が見えて、ここがあの場所じゃない事が分かった。
「ここは病院だ。あの後すぐに救急車が来てボスは搬送された。何も出来なかったのはオレも同じだ。ナギだけのせいじゃない。今はボスを信じよう。大丈夫だ。ボスが強いのは知ってるだろ。車なんかには負けないさ」
長い時間が過ぎて赤いランプが消えた。扉が開いて暗い表情をした医者が出てきた。
結果を言えば、おばあちゃんは無事だった。
車に轢かれて二十メートルは吹っ飛んだけれど、植木がクッションになり大事には至らなかった。それどころか軽い打撲で済んだ。運が良かったと医者は言った。でも相手はおばあちゃんだ。体の運び方で急所を逸らしたり衝撃を受け流したりは余裕で出来そうだと冷静になった頭で納得した。
「アッハッハ。いやー驚いたねぇ」
目を覚ましたと連絡が来て、面会の許可が下りておばあちゃんに会いにいくと呆気にとられるほどケロッとしていた。
「おばあちゃん……? ホントに……ホントなの?」
あまりにも普通だったから、都合のいい夢を見ていると思った。
「こんなカッコイイ女がアタシ以外にどこに居るってんだ」
「……っ、おばあちゃん! 良かった。良かったよぉ〜」
抱きつくと優しく受け止められる。温かい。おばあちゃんは生きてる。良かった。本当に。
「心配かけたね。もう大丈夫さ。約束したろ? ナギを独りにはしないって」
うん。本当にその通りだ。良かった。安心した。ありがとう。おばあちゃんを助けてくれて。取らないでくれて、ありがとう。
けれど翌日お見舞いに行った時、おばあちゃんは亡くなっていた。病室に医者が立っていて、無機質な機械音が一定の音を出していた。
「おばあちゃん!」
慌てて駆け寄ると場所を開けられる。手を握ると冷たかった。
「な、んで……。だって昨日は、元気だった。笑ってたんだ。大丈夫だって、生きてた。なのに……なんでっ!!」
外傷は打撲程度で軽いものだった。けれど内側は軽くはなかった。脳は出血していて心肺停止に陥っていた。救命処置はするが可能性は限りなく低かった。命が吹き返しただけでも奇跡に等しいのに、その後自らの力で体を動かした姿は己の目を疑うほど信じられなかった。けれど長くは保たない。
鮫島翔虎という人間はまさに気合いで延命していたようなものだ。唯一残った愛しい家族が悲しまないように。約束を守るために。
「どうして、なんでっ。おばあちゃん……っ、独りにしないって約束、最後まで守ってよ。お願い、連れてかないで。置いてかないで……」
どれだけ願っても冷たくなった手は再び動く事はなかった。
誰も居ない。独りになった。空っぽだ。何もない。無くなってしまった。もう何もかも、どうでもいい。
「ごめんなさい」
命をかけて産んでくれたのに。
「ごめんなさい」
たくさんたくさん、愛してくれたのに。
「ごめんなさい」
命を張って守ってくれたのに。
「ごめんなさい」
無茶なワガママを叶えてくれたのに。
独りは寂しい。みんなに会いたい。独りぼっちにしないで。置いてかないで。家族が居ないと、私は生きれない。
多くの命の上で生きている。繋いでもらった命だ。丁寧に紡いでもらったのに、台無しにしてごめんなさい。愛情を注いでくれたのに、大事に出来なくてごめんなさい。
家族の想いを、家族の願いを、自分の手で自らの意思で断ち切る。最低で最悪で親不孝な私を許さなくていい。叱っていい。怒っていい。だからどうか、私もそっちに連れて行って。
「今、会いに逝くね」
そして、自分の腹にナイフを突き刺した。
恐れはなかった。だって家族が居ない事の方が怖いから。
怯えはなかった。もう生きる事を諦めたから。
フシギと痛みは感じなかった。なのに死は感じて、これで終われると歓喜さえ浮かんだ。だから目を閉じる瞬間、笑みが浮かんだ。
人は生まれながらに罪人だと言う。その通りだと思う。
生きる事は罰だと言う。ホントにその通りだと思う。
自殺に勇気はいらない。だってこれは罪を償う事から逃げた卑怯者の末路だからだ。




