&70.あれ
目が覚めたら体が動かなかった。全身どこもすごく痛い。なんだろう。何かやったっけ? 稽古で扱かれた? 筋肉痛? でも、それとは違う気がする。考えようとすると頭にズキンと痛みが走った。
「起きたかい」
聞こえてきた声に視線だけを移す。
「ぉ、ばぁ……っ」
噎せた。声が掠れてガラガラだ。喉が痛い。咳で体に力が入って、全身の痛みが引き攣って息が詰まる。痛くて、でも咳が止まらない。痛い痛い痛い。助けて。誰か止めてっ。
「ナギ、慌てるな。ゆっくり呼吸するんだ。力を抜いて、静かに吸って、吐いて……そうだ」
おばあちゃんの声に従って呼吸をするとだんだん落ち着いてきた。痛みも引いてホッと息をつくと頭を撫でられた。よくやったと褒められたみたいで嬉しくて胸が温かくなった。
ひんやりと冷たいタオルで顔を優しく拭かれる。触れるか触れないかぐらいの力で優しく撫でるように。それがくすぐったくて笑い声が漏れる。笑う振動で体が痛む。ナニコレ辛い。
……どうしたんだろう? おばあちゃんの顔がやつれてる。疲れてる……? でもおばあちゃんだよ。疲れ知らずの体力オバケっておじじ先生が恐れてるおばあちゃんが疲れるなんて……大変だ。
「ナギは事故にあったんだ。無事で……っ、本当に無事で、良かった……」
泣いてる。あのおばあちゃんが泣いてる。強くて凛としたおばあちゃんが涙を流している。
あまりの衝撃に、この時だけは痛みを忘れれた。
「今は安静第一だよ。何も考えずに休むんだ。さ、おやすみ」
涙を拭ったおばあちゃんが殊更優しい声をかける。驚きが抜けない。見開いて凝視する目の上に手を置かれる。塞がれて視界が暗くなると、起きたばっかりだったのにすぐに眠りについた。
この時、おばあちゃんの涙の衝撃が強すぎて気付かなかった。おばあちゃんの手が震えている事に。
夢を見た。何度も何度も夢を見ている。でも、なんの夢かは思い出せない。内容も全て幻のように消える。なのに、寝る度に夢を見て、魘されて起きる。
それでも体は着実に回復していってる。眠っては悪夢に起こされるを繰り返しているのにだ。おばあちゃんは付きっきりで看病してくれた。それとウサちゃん、おばあちゃんの妹も居る。名前は結兎で、お医者さんだ。診察と点滴をやってくれてる。
体を動かせるようになって、ウサちゃんの許可が出るとご飯が食べれるようになった。おばあちゃんの手からであーんは恥ずかしかったけど嬉しかった。
私の体が回復するのと同じように、おばあちゃんの気力も回復していった。
体が元気になるにつれ、悪夢が鮮明になっていく。眠るのが億劫になって、でも体力が落ちて十分にないからすぐに眠たくなる。睡魔に抗う事は出来なかった。
『ナギ』
名前を呼ばれる。優しい声だ。温かくて安心する。
『ナギ』
また名前を呼ばれる。頬に手を添えられて、顔を上げるように誘導される。
『待たせてごめんな。もう大丈夫だ。一緒に帰ろう』
逆光みたいに顔は暗くて見えない。覆い被さってきて、それがとても重くて押し潰される。
「ッ! ……はっ、はっ」
目が覚めた。全力疾走した後みたいに息苦しい。汗がベタついて気持ち悪い。心臓がドッドッて大きく鳴っているのが聞こえる。
また夢を見た。頭が痛い。ズキズキと痛む。割れそうだ。なのに夢の内容は思い出せない。でも何か、何かを忘れてる気がする。
おち、落ち着こう。深呼吸だ。スッハッ!
水……はない。着替えもしたいし、外の空気を吸いたい。とにかく汗ばんだ体をさっぱりしたい。
そうだ。シャワー浴びよう。もう動けるようになったし、おばあちゃんにお願いしよう。
「――ボス」
戸に手をかける前に止まる。声が聞こえて体が固まった。空中に止まった手が見てわかるぐらい震えている。
「ワカ……おかえり。ちゃんと寝ているか? 酷い顔だよ」
「はは……すみません。体調管理には気を付けてますけど、寝れなくて……。それに、動いてないと落ち着かないんです」
「そうかい。まっ、そうだよねぇ……。隣に座りな。まだ寝ているから静かにね」
ここの前は縁側だ。そこに腰を下ろしているのだろう。顔の向きも外に向けられたからか、声が聞こえずらくなった。逡巡して、音を立てないようにして少しだけ戸を開けた。
戸の隙間からおばあちゃんの後ろ姿が見えて、あれ? と思う。おばあちゃんの背はあんなに小さかっただろうか。
盗み聞きしてごめんなさいと心の中で謝って戸の前に座り込む。バレないように静かに、音を出さないように口を手で覆う。
「鵜飼組の残党狩りは問題なく……はい。葬儀につきましてはこちらの方は大方済んでいます。残ったのはインテリが多いためシノギは問題ありませんが……」
ワカは、どうしておばあちゃんに報告してるんだろう。大事な話ならおじいちゃんに報告しないとダメだろう。疲れてるのか。
「…………ナギは?」
いきなり自分の名前が出てきてドキっとした。
「順調に回復していってるよ。もうすぐ元気に動けるようになるはずだ。さすがに月のモンはウサギの専門外だからなんとも言えないがね」
「そうですか。でも、良かった……」
「そうだねぇ、体は問題ない」
「……知っている、でしょうか?」
「さあね。そればかりは知りようがない。でも、今まで話題に上がらなかったから覚えてないかもしれない」
なんの話をしてるんだろう? ……どうしよう。今さらだけど、悪い気になってきた。今からでも離れて……。
「ショックが大きいでしょうね。それとも、このまま……」
「何言ってんだ。それこそ傷が大きくなる。だが、サクラの時とはわけが違う。……どうしたもんかねぇ」
お母さん……? お母さんがどうしたの?
うぅ、頭が痛い。ダメだ。一旦休もう。悪夢を見るけどもう一回眠ろう。このまま話を聞いてたらダメな気がする。
そう思うのに、体が動かない。接着剤でもついてるのかってぐらい動かせない。
「すみません。オレがもっと」
「謝るんじゃないよ! 誰も……誰も悪くないんだ。だから自分を責めるんじゃない。ただ、そうだね。強いて言うなら……キミが悪い」
おばあちゃんの言葉でドクンと心臓が大きな音を立てた。はっはっと息が乱れる。言葉が頭の中で繰り返し響く。
『キミが悪い』
違う。違う違う違う! 違うよおばあちゃん。違うんだ……っ。
おじいちゃんは悪くない。おじいちゃんは何も、悪くないんだ!
だっておじいちゃんは……おじいちゃんは……。
「ナギちゃん起きてる? 入るよー」
そう言って戸を開けてウサちゃんが入ってきたのすら気付かなかった。頭の中がグルグルズキズキする。歯噛みして荒い息を吐いてると、『ナギ』と懐かしい声が頭の中で響いた。その瞬間、思考が一気に晴れた。
「あ……」
おじいちゃんは死んだ。
「ああ……」
この手で刺して殺した。
「ぅあ……っ」
私がおじいちゃんを殺した。
「……っ! ナギちゃん!?」
なんて事を、何をやって、私は……私はっ!
「あ”あ”あ”ぁぁあああああ!!!」
「ッ、ナギ!?」「渚!?」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
頭を振りかぶってケモノのように咆哮した。何も目に映らない。何も耳に入らない。後悔と罪に雁字搦めになって、爆発した感情が大渦のように荒れ狂う。
そして、体力尽きて倒れるように意識を失った。
夢を見た。けどこれは夢じゃない。
私の記憶だ。実際に起こった現実の出来事。
私が忘れていた、私の罪。
男を倒した私はヤツのスマートフォンを壊した。何度も何度も何度も何度も地面に叩きつけた。破片が飛んでも電気が走っても叩き続けた。原型がなくなって煙が上がるまで手を止めなかった。
手首を縛っていた縄はムリヤリ引き抜いた。肩が悲鳴をあげてるのにも皮がめくれるのもお構いなしに力づくで引き抜いた。ヒリヒリと痛む手で足の縄を解くのは大変だったとぼんやり思った。
外に出て、声がする方に向かって歩いた。ふらふらと体が揺れるけど問題はない。
道中人が倒れていた。誰かは分からないソレを踏んで乗り越えた。
しばらくすると声が騒がしくなった。でも、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
肩を掴まれたから背負い投げした。
前からナイフを握って走ってきたから躱して、顎を突き上げて脳震盪させた。持っていたナイフを奪って歩みを進める。
足は一人の男に向かっていた。指を差して不快な音を喚き散らかしている男。映像にも映っていた男。多分、敵組の偉い分類。
あれがいるから私はこんな目にあった。あれがいるから私は傷付いた。あれがいるからこんな事になってる。あれのせいであれのせいであれのせいで。
あれが生きてるからダメなんだ。あれは生きてたらダメなんだ。あれを生かしたらダメだ。殺す殺す殺す。この手で、私が、悪を殺す。
走る。障害を避けてすり抜けて、一直線に向かう。
男が気付く。それでも足は止めない。緩めない。視線は捉えて離さない。ジャマ、ジャマ、ジャマ!
あと少しのところで視界が暗くなった。体が包まれてる感覚がある。誰かに抱きしめられている。誰に?
嫌。ヤダ。気持ち悪い。触らないで。やめて。もう嫌だ。何もしないで。ヤダヤダヤダ!
『ナギ』
声が聞こえて体が止まる。この声、おじいちゃんだ。おじいちゃん、おじいちゃん!
『ナギ』
もう一度名前を呼ばれる。
顔をあげるとおじいちゃんの顔が見えた。喉が震える。口がわななく。
会いた、かった。会いたかったよぉ……。
そこで我に返った。
あれ? 私は今、何をして――
『待たせてごめんな。もう大丈夫だ。一緒に帰ろう』
周りを見渡そうとしたら遮るように頭を抱えられる。耳元で掠れた声で囁く 。どうしたんだろうとおじいちゃんを見上げると目が合って嬉しそうに目を細めた。
でも、顔色が悪い。息も荒いし、手が熱いよ。熱でもあるの?
『おやっさーーんっ!!』
おじいちゃんを呼ぶ声が色んな方向から聞こえる。呼ばれてるよおじいちゃん。おじいちゃん……?
ずしっと重たくなった。頬に添えられた手が落ちて、体重かけてのしかかられて、重さに耐えられなくて腰を落とす。おじいちゃんと一緒にその場にズルズルと体が落ちる。
手にヌルッと湿った感触がして、脇から出して確認する。私の手が赤く染まっていた。
あれ? なにこれ。なあに。あれあれあれ?
赤い水? 違う。血だ。誰の? 私の? 手が痛い。切れてボロボロだ。そうだよ。私の血だ。いっぱい殴られて、蹴られて、痛かったから。縄も、皮がめくれた。でもあれ? 体、痛くない。フシギだ。ねぇ、おじいちゃん。
おじいちゃんの体がグラッと揺れる。
慌てて支えてホッと息を吐くと、頭がダランと上を向いた。目を瞑って、青ざめた顔で、首が据わってないみたいに力が抜けている。苦しそうで生気のない顔をしていた。
『おやっさん! ナギ!』
後ろに引っ張られておじいちゃんと引き離された。嫌だ。おじいちゃんを取らないで。返して。あのね、おじいちゃんがおかしいの。お父さんみたいに目を覚まさないの。……ッ死んじゃうの。
伸ばした赤い手の向こう、赤く濡れたナイフがおじいちゃんの腹に刺さっているのが見えた。
真っ暗闇の空間。目の前におじいちゃんが立っている。立ち去るおじいちゃんに手を伸ばして追いかける。前に進まない。走ってるのに距離は縮まるどころか離れていく。おじいちゃんの存在が遠くなっていく。呼んでも振り返らない。足を止めない。
そして火が消えるようにおじいちゃんの姿が消えた。
目を開ける。今度はちゃんと覚えている。
目を閉じる。犯した罪を覚えている。
涙が零れる。思い出が次々と流れていく。
「おじいちゃん……」
渚の体は清いままさ!




