&69.手折れて
『ねぇおじいちゃん』
『なあに』
『どうしておじいちゃんは一緒に遊んでくれないの?』
『なにおうっ、一緒に遊んでるじゃないか』
口を尖らせていじけたように言う。
みんなで海に行った時の事だ。一緒に砂のお城を作ってる最中でふと思ってた事を聞いた。
『そうだけど、そうじゃなくて……おじいちゃんは相手になってくれないじゃん』
今日やったバレーや水鉄砲は同じチームか観戦。今までだってそう。ただの一度も敵チームになった事はない。
『そりゃそうだろ。オレは女子供にゃ手を出さねぇって決めてるんだ』
言われてみれば、おじいちゃんには拳骨を落とされた事は一度もない。というか怒られた事もないけど。単に甘やかされてるだけだと思ってたけど、ちゃんと理由というか意味があったんだ。
『じゃあじゃあ、敵に女がいたらどうするの? 手を出さないんじゃ勝ち目ないじゃん』
『あー、それは……』
『アタシがシメてんだよ』
言い淀んでいると別の声が割って入った。姿を見なくても声だけで分かる。振り向くとやっぱりそうだ。
『おばあちゃん』
『アタシはキミちゃんみたいな志とかないからね。ムカつきゃ女だろうがガキだろうが関係なく殴るよ』
それは知ってる。何度も拳骨落とされたし、稽古でも手加減は一切ない。真剣に相手してくれてるって感じて嬉しいけど、とっても痛い。
『アメとムチでちょうどいいでしょ!』
『汚れ役をアタシに押し付けてるだけじゃないか』
『違うよ!? ショウちゃん違うからね。そういう意味で言ったんじゃなくて……』
『知ってるさ。何年居ると思ってんだ。鮫島組は暴力団じゃなしに侠客、だろう。傍から見ればどっちも同じだろうに、酔狂なこった』
『ショウちゃん……! そうだね。オレの考えは偽善に思われるだろうし、結局は悪人である事に違いはない。もしかしたら身動きが取れなくなって、いつか取り返しのつかない過ちをしちまうかもしれない。でも、だからこそ大事にするんだ。極道で組を背負っても、背負ってるからこそ本当の悪人にはならない。己を誇れなくなったら、それはもう自分の人生じゃない』
そう言ったおじいちゃんがとても輝いて見えた。光が反射してきらめく海よりも、光の象徴である太陽よりも、ずっと眩しくて直視出来なかった。
敵わない。何一つ。考え方すら器が違うと実感してしまった。
完全な極道ですらないお父さんだって覚悟があった。どうしたら私はみんなのように強くなれるだろうか。私は酷く空っぽだ。重みが全くない軽くて簡単に手折れてしまう茎だ。大木にはどうやってもなれないだろう。
「オラオラァ、威勢の良さはどこいったんだよっ!」
腹を蹴られて壁まで吹き飛ばされる。後ろに固定された手が体と壁に挟まって、勢いに負けて後頭部までも壁に打って、床に沈む。その痛みで意識が戻った。
思考が飛んでいた。なんで今、海での一時を思い出してんだ。
全身が痛い。鈍痛が引かない内に新たな痛みを与えられて、痛みが蓄積される。もうどこが痛いのか分からないのに、痛みはなくならない。意識が朦朧として、視界も定まらない。
髪を鷲掴まれてムリヤリ顔をあげられる。痛みに呻くと頬を叩かれた。痛い痛い痛い。じわりと涙が滲む。泣いたらダメだ。これで泣いたら、敵の気を良くさせるだけだ。そんなの、最悪だ。
水が頬を伝う感触がする。痛みで生理的な涙が零れたか? ああでも、さっき床に血が付いてるのが見えた。もしかしたらどこか切れてるのかもしれない。頬のこれもきっと血だ。それなら涙よりはいい。
「今どんな気持ちだぁ? 痛い? 苦しい? 悔しいか惨めか屈辱か憎いか無様か。……言えよ。なんとか言ってみろよクソガッ!」
男が興奮したように声を荒らげる。髪を掴む手に力がこもる。拘束されて、文字通り手も足も出ない私を一方的に殴って蹴って挑発して、それでいい気になって悦に浸っている。なんて、情けない。
「足りねぇ。全然足りねぇよ。なあ悔しがれよ。もっと喚けよ。泣いて命乞いの一つでもしたらどうだ? そしたらオレの気も変わって、家に帰れるかもなぁ。ママに慰めてもらって、パパに泣きついてよぉ」
最後の言葉に引っかかった。なんだ、どこかで覚えがあるフレーズ。私にはもう、そう出来る両親はいないのに。
『あーあー可哀想に。女一人に返り討ちにされましたって帰って惨めに泣いてなよ。ママの胸で慰めてもらうか? それともパパに泣きつくか? アハハっ、今日が金曜日で良かったな。二日もあればキズは治まる。ああでも、私だったら恥ずかしくてもう学校には来れないや。お前は平気かな、お坊っちゃん』
あぁ、思い出した。どこかで見た事があると思えば、あの時の負け犬か。中学に上がってから、勝手に目の敵にして突っかかってきたから返り討ちにしてやった。それから姿を見かけることはなかったから忘れてた。まだ根に持ってたのか。
「っガ、は……」
頭を床に叩きつけられる。意識が一瞬飛んだ。逆に気を失った方がマシだったかも。そしたら痛い思いをしなくて済んだろうに。あーあ、丈夫さが仇になった。
「誰がっ、負け犬だっ!」
どうやら声に出てたらしい。でも紛れもない事実じゃないか。やり返す度胸も技量もなく、コソコソ隠れて卒業して逃げた負け犬。圧倒的優位な立場からじゃないと威張れないなんてまさに負け犬ですと言ってるようなもんだ。
私は今捕まっている。拉致られて、手足を縛られて、暴行を加えられている。
アイスがなくなったから買いに行った。その帰りに襲われた。もちろん一人では出歩いてない。外に出る時は護衛をって何回も言われてるし、家の事も理解してるからちゃんと守っていた。
でも夜道に襲われた。前方からナイフを持って走ってきたヤツがいた。護衛が守るように前に出て、注意はナイフの男に引きつけられた。それでがら空きの背後からスタンガンを食らってドボン。目が覚めたらこの倉庫に放られてて、この男のサンドバッグにされている。
最初は手だけが縛られてた。足は自由だったからやり返したら押さえつけられて縛られた。逃げるタイミングを失ったのはしくじった。
今何時だろう。早く帰らないとみんなが心配する。早く帰って、いつも通りの日々を送らないと。
「もうすぐか……」
男が腕時計を見て呟く。もうすぐ? 何かあるのか? と訝しむと外から声が聞こえた。こもってるのか聞こえずらいけど叫ぶような声。耳を澄ますとそれはおじいちゃんの声だった。
目を丸くする私を見て男が吹き出した。
「サプラーイズ! なんと、あの鮫島組が乗り込んできましたー! 拍手ー」
パチパチと乾いた音が倉庫に響く。声を出せずに目を見開いたまま男に視線を向ける。男が気を良くしたようにニヤリと口を歪める。
「なんでかって? そりゃもちろんお前を取り戻すためだ。計画を話したらオヤジが喜んで手を貸してくれたぜ。ようやく目障りな鮫島組を潰せるってなぁ。てめぇは人質だ。自分のせいで組が潰される様を目ぇ見開いて見とけ」
私の、せいで……?
今の鮫島組は暴力団じゃない。少なくともおじいちゃんが組長になってからは悪どい事はしていない。誰にも迷惑をかけていない。恨みは……でも……。
言い方からしてこの男もヤクザの者。勝手に敵対心を持ってるどっかの組の構成員だろう。組同士の抗争。潰し合い。けど、私が敵に捕まってる。弱みを握られてるような状態で、私が弱いからみんなに迷惑をかけて、それで、また、家族が……死…………。
ヒュッと息が詰まった。頭がグラグラ揺れる。息が苦しい。気持ち悪い。あれ? あれっ、あれ?
私は何をしてるんだ?
何のために生きてる。どうして鍛えてる。強くなろうと決めた理由は……全部全部っ、家族が一緒に居るために!
お母さんの分まで生きようと、せめて少しでも願いを叶えようとした。お父さんを失って、同じ過ちは繰り返さないようにって自分自身に誓った。
……あぁ、そうか。私が欲を出したから。将来の事を聞かれたのが出掛ける前の事。そこで私が好きな人に会いたいって欲張ったから、天罰が下ったんだ。高望みだと、幸せになる資格はないと見放された。
「ナギー!!」
今度ははっきりと聞こえた。おじいちゃんが私を呼ぶ声。それと同時に外が一段と騒がしくなった。本格的に争いが始まったんだ。
「呼ばれてるぜ? 助けてーって叫んでみろよ。もしかしたら届くかもしれないぜ?」
ニヤニヤしたまま男が挑発する。その下卑た笑みが胸くそ悪い。こんな低レベルの男にいい様にされてる自分が酷く惨めに思えて吐き気がする。
「――」
「あ?」
男が耳を近づける。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっ!」
体を捻って勢いつけて頭突きする。勢いは足りなかったし、狙いの顎は外れたから、気絶まではいけなかった。体を引き摺って少しでも距離を取る。
「こん、のアマァ!!」
激昂した男が殴りかかる。ずっと見ていたから分かる。コイツは素人だ。力任せで単調な攻撃。軌道が一直線だから読み易い。
拳を避けて後ろ手で男の手首を掴む。腕を巻き込むように体を回転させて男の上に乗る。体勢を崩して床に伏したところを顔の上に乗って窒息させる。
良かった。油断していたから、その隙をついてなんとかなった。もし敵が一人じゃなかったらそれこそ終わりだ。縄を抜いて、早くおじいちゃんの元に行かないと。
男の上から降りるとカタンっと何かが当たる音が響いた。音に釣られてつい視線を向けてしまった。男のポケットからスマートフォンが落ちていた。画面が付いてて、体に立てかかってて、ちょうどここから画面が見えた。
「ぁ……」
画面が動いている。声が聞こえる。複数の男が女を取り囲んで、体に手を伸ばしている。
なんだこれ、気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。吐き気がして、堪らず吐いた。視界がボヤける。息が出来ない。なのに、音は鮮明に耳に入ってくる。
気持ち悪い男の声。気持ち悪い女の声。気持ち悪い音々が小さな端末から溢れ出る。聞いた事ない。聞きたくない。聞いちゃダメだ。
なのに、だけど、それでも……意思とは反対に音が耳に入ってくる。
「あ……あぁ、ア…………」
あの女は誰だ。いったい何をしてる。嫌だ。知りたくない。まさか、私じゃないよな?
ダメだ。記憶がない。覚えがない。なんで。どうして。嘘だ。何があった。何をした。あれは、現実なのか?
体を丸める。縄がジャマだ。耳を塞ぎたい。帰りたい。誰か……っおじいちゃん!
壁に何かをぶつけたような音が響いて体が強ばる。その僅かな動きで瞳に溜まった涙が落ちた。鮮明になった視界に、股から伝う赤い血が見えた。
そこからの記憶はなく、気付いたら自分の部屋に居た。




