&65.皮肉
どうして忘れていたのだろう。どうして忘れていられたのだろう。
これは忘れてはいけない記憶だ。無くしてはいけない記憶だ。
罪を犯した私の、許してはいけない過ち。私の人生は始めから終わりまで贖罪だった。
あの男に言われた言葉が頭から離れない。
『なぜお前が生きている!?』
そうだ。その通りだ。私は生きてちゃいけない人間だ。
『記憶を消して逃げるつもりか』
そんなつもりはない。だけど、私が逃げたのは事実だ。
『自分のやったことを思い出せ!』
思い出した。全部全部、思い出した。
『絶対に許すものか!』
言われなくても許されたいと思った事はない。私が私を許さない。誰よりも私が一番、私を恨んでる。
『なんで殺した!』
殺したくなかった。死んで欲しいわけがない。そんな事、望んでない。でもっ、私が殺したんだ……!
『家族を殺した裏切り者ガァ!』
あぁ、そうだ。私が家族を殺した。家族を殺して、バラバラにして、めちゃくちゃにした!
なあ神よ、いるなら教えてくれ。
私はどうして、まだ生きてるんだ?
「――さめじぃ!」
「………………え」
シズクちゃんの声が聞こえた。
何も映さなかった視界が晴れて、白が映る。
温かいに包まれている。
「シ、ズク……ちゃん?」
抱きしめられている。
頭を抱えて、ギュって抱きしめられている。
前の温もりが離れて、視界が開けて、顔を上げるとシズクちゃんと目が合った。
「うん! つくもしずくは、いっしょいる」
にこやかに微笑む可愛い人。無意識に手を伸ばして頬に触れる。触れた感触に目を瞠り、歓喜が罪の意識を押し退ける。嬉しそうに笑み、手に手を重ねて頬擦りする。再び開かれた瞳には間抜けな面した鮫島渚の姿が映っていた。
「あ……あのねっ」
舌が渇いて喉が張り付く。呼吸が出来ない。酸素を求めて喘ぐように息を吸う。
「シ、ズクちゃん」
声が震えている。なんて情けない声を出してるんだ。恥を重ねるつもりか。
「うん」
それでもシズクちゃんの態度は変わらない。いや、名前を呼ばれてもっと嬉しそうにしてる。可愛い。
「っ……」
言わなきゃ、いけない。私も、私の罪を。シズクちゃんは教えてくれた。辛い過去をそれでも伝えてくれた。それなら私も言わないと不公平だ。
なのに、頭では分かっているのに、声が出ない。
嫌われたくない。知られたくない。醜い私を軽蔑されたくない。
「いいよ」
上から声が降ってきて、顔が下がっている事に気づいた。叱られる子供のようにゆっくりと顔を上げる。
「つらいは、こわい」
頭を撫でられる。動きが拙いけど、慰めるような手つきに目頭が熱くなる。
……なんだよ。私の方が子供じゃないか。
シズクちゃんはずっと大人だ。敵わないよ。ホントに、愛おしい。
このままじゃダメだ。いつまでも好意に甘えて、これじゃあ不誠実だ。シズクちゃんに悪いし、何より私が嫌だ。可愛い人に隠し事するなんて気持ち悪い!
でもまだ、意気地無しな私が足を引っ張る。臆病な私が口を塞ぐ。弱気な私が恐がりな私が卑怯な私が悲観な私がヘタレで小心で軟弱で情けなくも躊躇う。
前が見えてるのに、一歩が踏み出せない。
自信がないから、後ろを振り向く。
許せないから、自分で自分を殺す。
そんな自分が嫌だった。変わりたかった。誇れる自分になりたかった。強くなりたい。
そう願って変わったはずなのに、変われていなかった。
だから、これで最後にする。
卑屈な私と現実から逃げずに向き合うから。
今は、今だけは胸を貸して。
「さめじぃ?」
シズクちゃんに抱きつく。心臓の音が聞こえる。彼女が生きてる事が嬉しくてとても安心する。
「ごめん。このまま聞いて。……私、私ね。私はナギサ。石熊渚で、鮫島渚で、家族を殺した罪人なんだ」
お母さんを殺した。お父さんを殺した。おじいちゃんとカゾクを殺した。おばあちゃんを殺した。そして、独りぼっちが嫌で怖くて、自分自身を殺して死んだ。
家族で一番好きなのがおじいちゃんだった。そして、唯一家族の死に直接手を下したのがおじいちゃんだった。
おじいちゃんの背中には刺青が彫ってある。桜吹雪と呼ばれる桜の刺青だ。どうりで懐かしいわけだ。おじいちゃんの背中を見て育ったのだから見慣れているに決まっている。
この世界で私はおじいちゃんの姿だった。小鬼族が私をじじぃ扱いするのも、水面に映った顔がおじいちゃんの顔だったのもそのためだ。
私はずっとおじいちゃんに憧れていた。おじいちゃんのようになりたいと思った。おじいちゃんが死んでからはなおさら。それがなんの因果か、この世界では私は本当におじいちゃんになっていた。
そして、この世界で私は幾度となく死んできた。おじいちゃんの体で。それはもう、私がおじいちゃんを殺してるのと変わりないだろう。これはなんて皮肉だ。
私はおじいちゃんの腹を刺して殺した。そして今、あの時と同じ場所、おじいちゃんの腹を刺して私は本当の姿になった。……ホントに、皮肉なものだ。
私はどれだけ死んだ。何回おじいちゃんを殺した。
痛覚がなかったのは当たり前だ。だって自分の体じゃないから。
なんだ、ピッタリじゃないか。平気で何回もおじいちゃんを殺した私は殺人鬼。紛れもなく鬼だ。




