&63.守る力
ハチライドゥーシが消えた。その瞬間、シボクドゥーシが叫び声を上げる。
「兄貴ィィィィィイッ!!」
慟哭する彼女の気持ちを表すように雨が降り始めた。涙を隠すように。悲しみを増長させるように。
「あ、あぁっ、あ……あァっ? ガァァああア!?!?」
けれどいつまでも哀しみに耽る事は出来なかった。まだ感情が追いついてない内に体に変化が現れた。全身に感じた事がないほどの鬼力が漲ってくる。
この感覚を、知っている。知っているけど今は嬉しくない。哀しみに追い討ちをかけるこれは、進化だ。
ハチライドゥーシが死んだ事でオークマーシャルの枠が空いた。そこに下位のオーク種の中からシボクドゥーシが選ばれた。
それはハチライドゥーシが死んだ事を裏付ける証明となった。進化が、否定したい現実を夢じゃないと突きつける。
漲る鬼力を抑え込もうと自分の体を掻き抱く。その隣に空から何かが落ちてきた。
「……っぁ、おや、じ……!」
シボクドゥーシがその者を垣間見ると言葉を漏らす。
誰よりも強く、誰よりも気高い、偉大な存在。
鬼族の父にしてオーク種を束ねるオークエンペラー。
戦鬼王、シュドンドゥーシ。
彼は異変を感じて飛んできた。飛行の能力で文字通り空を飛んで来たのだ。
シボクドゥーシがオークマーシャルに進化する兆候を感じたとったのは当人を除いてもう一人、シュドンドゥーシだけだった。
視線だけでシボクドゥーシを一瞥すると何も言わずに意識を前に移した。そこにはすでにハチライドゥーシの痕跡は残っていない。あるのは彼に授けた多娥丸と、殺したはずのイシクマドゥーシの姿だった。
不可解だ。確かにこの手で殺した。死んで消えたのに、目の前にいるのは紛れもなくイシクマドゥーシだ。そして、思い返せば不自然な点があった。
イシクマドゥーシもハチライドゥーシと同じくオークマーシャルだ。ならばあの時も、今と同じように代替わりがなければおかしい。なのに当時はなぜ疑問にも思わなかったのか。
不愉快だ。思い通りにならない事が忌まわしい。なぜ秩序を乱す。なぜ抗おうとする。
無駄で無理で無知だとなぜ気付かない。
無力で無謀で無責任な様は無恥だとなぜ分からない。
やはり秩序を正す必要がある。あぁそうだな。オウガン……いや、アオサタンの言う通りだ。指図された様で癪だが、仕方あるまい。すでに戯れの範疇を超えている。傍観するのは止めだ。
そうと決まればすぐに行動しよう。魔族の殲滅、異分子鬼族の掃討、隔てる壁の破壊。元の一つの状態に戻す。
イシクマドゥーシはその足がかりとする。
シュドンドゥーシは大嶽丸を顕現させる。大きな体躯に見合った……いや、それ以上の大きさを見せるバスタードソード。それは分厚い鉄の壁のようにも思える代物だった。
それを容易く片手で握る様はまさに戦鬼王の名に相応しい。振りかぶっただけで風が吹き荒れる。踏ん張っていないと吹き飛ばされるような突風が巻き起こる。
隣に居たシボクドゥーシは進化の影響で気を失い、風に煽られ木に激突した。
茫然としていたイシクマドゥーシはヒーンを地面に突き刺していたお陰で吹き飛ばされずに済んだ。しかし、俯いたままへたりこんで心ここに在らずな状態。格好の的だった。
一歩。たった一歩踏み出した。それだけで二人の距離は一気に縮まった。手を伸ばせば届く距離まで近付いたシュドンドゥーシは、無慈悲に大嶽丸を振り抜いた。
爆ぜる轟音。衝撃に吹き荒ぶ大地。直線上の木々はなぎ倒され土煙が立ち上がる。大地を割るような一太刀は想像を絶する威力だった。たった一振で、その場の地形が変わった。
けれども、シュドンドゥーシの手は止まっていた。最後まで振り抜けれずに止められた。
大気をも斬った一太刀は、遅れてきた風によって土煙が流される。隠された視界が顕になった。
割り込んできた者をみとめて、怒りが湧き上がる。
簡単に手折れそうなほど細く矮小な存在。鬼力があるのに使わない。小心で怯懦で陰に隠れる様子が酷く気に障る。
今だって大嶽丸を受け止めているにも関わらず、朱い瞳には不安が表れている。実力を誇らしく思うのに、敵対関係にいるのが腹立たしい。
「懲りずに再び立ち塞がるか」
重く冷たく突き刺すような言葉の圧に目を細め唇を噛み締め堪える。怖い。今すぐにでも逃げ出したい。弱気になるノーフォの後ろで声が聞こえた。
「さめじぃ……? さめじぃ……さめじぃ」
この場においては現在ただ一人、ノーフォにしか聞き入れることの出来ない声。迷子のような声は彼女の不安が如実に表れている。
触れない、聞こえない、見てくれない。何一つ反応を返さないさめじぃの様子にツクモシズクはどうしていいのか分からない。だから、ただ名前を呼ぶ事しか出来ない。
その様子を横目に確認したノーフォは気持ちを奮い立たせて、シュドンドゥーシの顔を見上げる。目が合って、怯えが顔を出して、それでも視線を逸らさなかった。
「二人は私の大切な方です。もう二度と、傷付けさせない」
守る力が欲しかった。そうすれば兄は殺されなかっただろう。少なくともあのように死ぬ事はなかったはずだ。
けれど、いつまでも望んだ力が手に入る事はなかった。なぜなら彼女にそんなものは必要なかったから。守る力はすでに十分持っていたから。
ノーフォに足りなかったのは心だ。行動する勇気がほんの少しあれば望みは叶えられた。
雨に混じって声が聞こえた。苦しいと啜り泣く哀しい声。助けを呼ぶ誰かの声。その声が、どうしようもなく胸を締め付けた。他人事には思えなかった。聞こえないフリは出来なかった。気付かないフリはしたくなかった。
そして、さめじぃとツクモシズクの危機を知った。とてつもない不安に駆られた。嫌だと心が叫んだ。
隠れているのは、怯えて何もしないのは、後悔するのは……もう嫌だ。
「私はオリジンノロイストのノーフォ。もう昔の、弱いセンレンではない!」
キッと睨んで声を張り上げる。
自らの意思で殻を破った少女が立ち上がった。その瞳にはもう怯えはなかった。強い意志を宿し、まっすぐ前を向く。
大嶽丸を受け止めていた鬼力を増幅させる。瞳と同じ朱が己よりはるかに大きい存在を弾き返した。
朱い鬼力が雨を吸って膨張する。手を上げて鬼力を頭上に集中させると朱い玉がみるみる大きく膨らんでいく。
ノーフォの視線が一瞬揺れる。迷ったのは一瞬で、鬼力玉をぶつける。弾道はシュドンドゥーシではなく、倒れているシボクドゥーシに向いていた。
「後悔するぞ」
その言葉を残して、シュドンドゥーシはシボクドゥーシを回収して直撃する前にその場から姿を消した。
その隙にノーフォもまた、さめじぃと一緒にその場から姿を消した。
後に残ったのは衝撃により破壊された森と、辺り一面を覆う血の海。その中心にはハチライドゥーシの刀、多娥丸が突き刺さっていた。




