&47.呪い
触れた瞬間、誰かの声が聞こえた。はくれい?
『命名プロセスの実行を承諾。旧名クリア。新名インプット』
頭の中に別の声が響く。
『メモリー消去……不能。オーガニズム変更……不能。チャネル接続……不能。システム構築……不能。命名プロセスの実行不可により強制終了ををを』
急に声が聞こえなくなった。声の様子も変わった。
『ジ、ジジッ…………No.100ユニオン要請を受諾。――ショートカット……完了。命名プロセスの完了を確認』
眩しい光が放たれ、全てが白になる。何も見えなくなって、それなのに誰かが目の前に立っていた。
* * *
ツクモシズクは普通の少女だった。白子症という病を持って生まれただけでみんなと同じ人間だ。けれど、その病が原因で彼女の人生は普通ではなくなった。
生まれてまもない頃はまだ良かった。けれど、髪が生え始めると違和感が芽生え、目を開いた時には確信に変わった 。
「呪い……呪いよ! 私の子はこんなんじゃないっ! 返して! 私の子を返して!!」
異様に白い赤子に母は狂乱した。何度医師が病気だと説明しても、何度父が宥めても、母が白い子を受け入れる事はなかった。叫び、涙し、壊れていった。日に日に憔悴していった。
父は母ほどではなかったが、それでも白い子を気味悪がった。母を宥めるだけで、子に触る事はなかった。笑顔を見せる事はなかった。
彼女の両親は普通の人間だった。人間らしい性格をしていた。同じであるを求め、みんなと違うを嫌う、無意識の同調圧力が強かった。
少女は幼いながらに感じ取っていた。滅多に泣くことはなく、しかしそれが状況を悪化させていた。
腹を痛めた子供だろうが、まだ自立すら出来ない子供だろうが、言葉すら喋れない子供だろうが関係ない。少女が本当に何もしていなくても、その姿だけで畏怖の念が増していった。感情が抑えきれずに爆発したのは当然の帰結だろう。それは少女が生まれてから二年経った時の事だった。母は長く持った方ではないだろうか。
血走った眼。食いしばった歯の隙間から荒い息が漏れる。
「お前なんか……お前なんかァ! 私の娘を返セェェ!!」
振り上げた手には包丁が握られていた。刃に光が反射して光る。奇声を発しながら母が包丁を振り下ろす。
母は娘を亡き者にしようとした。全てをやり直そうとしたのだ。存在を消して、記憶を消して、イチからまた始めようとしていた。思い描いている正しい家族を夢見て。
ちょうどその頃、父が家に帰ってきた。母の姿に驚愕して、気付けば手を掴んでいた。勝手に体が動いていた。
父の愛情は本物だった。母がどんなに気が触れても離れる事はなかった。ただ純粋に母を愛していた。その愛が、一欠片でも娘に注がれる事はなかったが。
包丁が揺れ動く。男と女では力の差は歴然だ。けれど母の執念と父の戸惑いによって力関係は拮抗していた。
そうして激しく争った結果、包丁が切ったのは母の首だった。致命傷になるほどの深い切り傷ではなかった。けれど母の精神状態が不安定だった故に僅かな首の痛みだけでパニック状態に陥った。
すぐに止血すれば問題ない。救急車を呼べば確かだろう。けれど父の頭にはそれらの考えは浮かばなかった。母を傷つけてしまった事に大きく動揺した。
静まり返った家内には過呼吸になった母の息しか聞こえない。時が止まったように誰一人動かなかった。その一部始終をドアから見ていた部外者を除いて。
その部外者は家の中をズケズケと歩き出した。三人の元に行くと声をかける事なく落ちていた包丁を掴み――
両親の首を切った。
躊躇いはなかった。迷いがない切り傷がそれを物語っている。そして、床に仰向けでいた白い子を見る。
血が飛び散って赤く濡れた少女。ずっと泣きも動きもしなかった少女。まっすぐ自分を見つめ返す少女。その姿に、その瞳に、その存在に、心が震撼した。
父が家を空けたのは人に会うためだった。呪術医と呼ばれる人。密かに連絡をとって、前々から娘の事を相談していた。その日はちょうど訪問してもらう予定だった。母も外出する予定で、居ないはずだった。
こんな言い伝えがあった。「白子症は幸運と繁栄をもたらす」と。根拠のない迷信だ。それでも人は信じ、縋る。
かくも美しき特殊な見目の白い子。これは神の奇跡だろうと神聖視する。特別な力があるに違いないと盲信する。
呪術医もその一人だ。ともすれば白い子を狩る側の人間だ。今日男についてきたのだって白い子が目的だからだ。
己の利益のために人間ではないヒトを同じ人間として扱わず、目を逸らすような残酷な行為でも平気で行える。この呪術医もそんな人間、いやそれ以上だった。
白い子を手に入れるためなら、何人殺めたとてどうということはない。良心などというモノは持ち合わせていなかった。完全なる自分至上主義者だった。
邪魔になる男と女を殺した。あとは白い子だけだと彼女に視線を移して、息を呑んだ。
過去、何人もの白い子に会ってきた。それらに特に何も思わなかった。ただビジネスの道具としか見えていなかった。けれど違った。この白い子はこれまでの白い子とは比べ物にならなかった。
白子症。生まれつき体の色素が不足している状態。毛髪は白金から金髪で、元が白くとも黄変する。瞳は淡い青や緑、半透明で淡紅色など様々だ。また皮膚でも血管の色が浮き出ている者が少なくない。
だと言うのに目の前の少女は正しく色がなかった。髪も瞳も肌も白かった。それなのに鮮血に濡れた姿がとても神秘的に見えた。
常であれば抵抗される前に即座に刃を突き刺していた。そこになんの感情はなく、あるのは商売の計画のみだった。手には包丁。この上ない絶好の機会だ。
――だというのに、体が動かなかった。息を忘れるほど、その少女に魅入っていた。ガシャンと物が落ちる音にハッとした。それは握っていた包丁が落ちた音だった。
呪術医は喉を震わせた。喉の渇きを覚え、唾を呑み込む。ゴキュっと音が鳴り、自分がいかに緊張しているのかを思い知った。
欲しい。この少女が欲しい。感じたことのない欲が芽を出した。
殺すなんてもったいない。殺してしまったらこの瞳を見つめる事が出来なくなる。
お守りにして、他人に渡すなんてもったいない。欠けていない今の状態が美しいのに。
ふと男の話を思い出した。「白零」
名前などなんでも良かった。殺すから。苦難など興味なかった。殺すから。日々の生活も他人の感情も、一欠片の関心も湧かなかった。殺すから。
聞き流していたはずの名前が頭の中に反芻する。まるで脳裏に刻み込まれているかのように。
「お迎えに上がりました。ツクモ……いえ、シラフ様」
呪術医は跪き、頭を下げた。それは敬意と服従の表し。その瞬間、ツクモシズクという少女はシラフという神に仕立てられた。
これは少女の物心がつく前で、これが悪霊の呪いの始まりだった。




