&40.ぬぅ〜ぽん
「わぁ〜っ!」
甲高い歓声が聞こえる。言葉が出ない感動が伝わってくる。楽しそうにはしゃぐ声が耳心地いい。
可愛い声に誘われて、目を覚ます。あぁ、今日は最高の一日だ。良い日になる。こんな気持ちのいい朝は初めてだ。だから、良い日にならないとおかしい。
ほら、空が青い。快晴だ。やったね。幸先良い……そら?
目を大きく開く。ぼんやりしていた脳が一気に覚醒した。
空だ。空がある。外に、外に出れたんだっ……!
やったー……っ?
手を上げようとして、床についていた手に力を入れて、その床が少し沈んだ。柔らかい?
中途半端に上体を起こした体勢のまま、首だけで振り返る。
青い。青くて深い。揺れて水紋が広がる。
「水……海」
体を回転させて、楽な姿勢になる。動く度に、水飛沫が上がる。水面が揺れる。
大きなクッションの上にいるような感覚だ。でも、実際にいるのは海の上。沈まずに、浮いている。
ゴクリと唾を飲み込む。
海の中に手を入れてみる。少しだけ冷たいような感覚がある。
水圧が強い?
全方位から押される感じがする。力を抜くと反発して、海から追い出される。
だから私は水面に立てているのか……?
「……よし」
立ち上がって膝を曲げる。繰り返し屈伸してタイミングを図る。私を中心に波紋が広がっていく。見ていて楽しいけど、今は遊んでるんじゃない。
いっ、せー、のー……せっ!
飛び上がって、反転して、頭から入水する。水をかきバタ足して、さらに潜る。
もぐ……ぬうぅ、進まない!?
お、押し戻されるっ!?
ぬぅ〜ぽんっ、と水上に押し戻された。うつ伏せでぷかぷかと浮かぶ。ため息をつくと、ぶくぶくと泡になって出る。
私は浮き輪か。ビート板か。反発力が強過ぎやしないか。
手をついて起き上がる。うん。手がつける、んだよなー。おかしな話だけど。
水の上に立つってなんだよ。忍者でもムリだよ。イミフだよ。
まあ、イミフなのは今に始まった事じゃないけどさ。別にいいけどさ。いや良くはないか。
ポタポタと水が落ちる様をなんとはなしに眺める。小さな波紋が連鎖して揺らぐ。
「……っ」
喉が震えた。波紋の隙間から覗く顔。その顔に見覚えがあった。いや、見覚えなんて生易しいもんじゃない。毎日見ていた。毎日話した。毎日、遊んだ。
「おじ、ぃちゃん……っ!」
見間違えるはずがない。なんで、忘れていたんだろう。好きだったのに。どうして……。
「おじいちゃん!」
水が落ちる度に波紋が生まれる。あぁっ、おじいちゃんの顔が、消えるっ!
慌てて手を伸ばして顔に触れる。でもそれは、水面に映る幻影で、実体はそこにはない。そして、その幻影も今、自分の手で掻き消してしまった。
「あ……っ、あぁ……」
手の甲に額をつける。瞼をぎゅっと閉じて、歯を強く噛み締める。
会いたい。おじいちゃんに会いたい。もうずっと会えてない。また会って、話して、遊びたい。
――でも、なんで、会えなくなったんだっけ?
それも思い出せない。どうしてこんなに記憶があやふやなんだろう。大好きな人との大切な思い出なのに、なんで何一つ思い出せない。
心が沈んでいく。体は沈まないのに。
なんだこれ。心と体が離れてるみたい。バラバラになる。
…………。
笑い声が聞こえる。シズクちゃんの楽しそうな声。
意識が浮上していく。そうだ。ようやく外に出られたんだ。最後はなんかよく分からなかったけど、とにかく外に出れたんだ。これでシズクちゃんに外の景色を見せてあげられる……!
こんなところでクヨクヨしてちゃダメだ。うん。そうだよ!
会えないなら、私から会いに行けばいいんだ。シズクちゃんと一緒に。それで、みんなに紹介するんだ。シズクちゃんの事。可愛い人だって。
よーしっ!
そうと決まれば早速行動だ。
シズクちゃんとラブラブデートをするんだから!
「シズクちゃ…………は?」
顔を上げて、固まる。
いやいやいや。は?
え、何これどういう事!?
「島が、浮いてる……?」
これも幻影か?
そうじゃなければ背景か?
釣り糸は……垂れてるようには見えない。
これは、まさか……。
ゴクリと唾を呑む。嫌な予感がする。すっごいする。でもまだ確証はないから。ほぼ確定だろうけど、一縷の望みをかける。諦めたら終わりだ。
「シズクちゃん」
現実から目を逸らすように、シズクちゃんを見る。はしゃぐ声ですぐに場所は分かった。
振り返った先で見たのは人魂だった。地獄で見た時と同じ、白い炎。どうやらエキストラと同じ姿ってわけじゃないみたい。
なんだか、久しぶりに感じる。荒んだ心が癒されていく。
「さめじぃ! あれなに?」
きっとシズクちゃんはどこかを指差しているんだろう。残念ながらその姿は見えないが。
驚いた顔をしているのか、目を輝かせているのか。どちらにしても可愛いだろうな。見えないのがホントに残念過ぎる。
惜しむ気持ちを押しとどめて、辺りを見渡す。さてシズクちゃんは一体どこを指しているのか。例のごとく向いてる方向は分からない。
だけど私の沽券に関わるから慎重になる。ここで賢く頼りになるところを見せて名誉挽回しないと。ホントに暗闇はムリ過ぎた。
青い空。青い海。空に浮かぶ島々。
むーん。あの浮いてる島の事かな。気になるよね。……うん。なんて説明すればいいんだろ。そのまま言ってもハテナしか浮かばんが?
「えーっとね? あれは……」
言葉に詰まっていると、地面が揺れた。地面ってか水面か。ああもう、ややこしいっ。
なんとかバランスを崩さないように堪えてると、一際大きな揺れ、いや波が起こる。私の身長を優に超える高波は、容易く私を飲み込んだ。
「ぼごぁぶぐっ」
溺れる。
そう思って藻掻くも平衡感覚が機能してない。どっちが上か分からないし、波の勢いが強い。
必死に手を伸ばす。でも、押し流されて……っ。
水面に出た。放り投げられたみたいに打ち上がる。何度かバウンドして、止まる。
「え゛……っえ゛ほ、げほっ」
声を出そうとして喉が詰まる。咳き込んで飲み込んでしまった水を吐き出す。
そうだ。うん。沈まないんだった。急で慌てて忘れてた。焦って損した。
「ィ、じずぐぢゃん……」
い、一体何が……っ!?
あ、あれは……!
落ち着いたところで顔を上げる。そこで目にしたのは、空を飛ぶイルカだった。さっきの波はイルカが水面から出た時に生じた波だったのか。
ウソ……だろ?
そんな……まだここが、中だったなんて……!
そんな事ってある!?
でも、あれは……あの大きさはっ、敵だ。紛れもなく、フィールドの敵だ。つまり私は、まだ外に出れていない。
膝をついて、手をついて、項垂れる。
なんだそれ、なんだよそれ!
上げて落とすとかタチ悪い!
ぬか喜びじゃないかふざけんな!
はあ、はあ、はあー。
クソッ、見事に嫌な予感が当たった。最悪。
でも考えればそうだよね。雲どころか太陽も見えない空。異常に強い水圧と底の見えない海。空に浮かぶ大小さまざまな島。
これが外だなんて嫌だ。逆に中で良かったと思おう。うん。




