&35.勇気がない
「やあ、久しぶり。センレン」
靴を鳴らして近付き、懐かしむような笑みを浮かべて手を上げる。
「コウ……お久しぶりです」
驚いて目を見張る。もう会えないと思っていた。仮に会えたとしても、今まで通りに話す事は出来ないと。だから、嬉しいより戸惑いが強い。
それと同時に、懐かしい響きに胸がジワリと痛む。痛みを隠すように会釈する。
「突然、どうしました? これまで一度も姿を見せなかったのに」
何を話せばいいか分からない。でも沈黙は耐えられないと、一先ず気になった事をと口を開いたけど、詰めるような聞き方になってしまった。嫌味に聞こえてないかな。
あの日以来、コウと話す事は疎か、姿を見る事もなくなった。その間に、何もかも変わってしまった。
どんな話をしていた?
どんな顔をしていた?
もう思い出せないほど、長い時間が経ってしまっているのか。
「ただ、会いたくなった。こんな理由ではいけないか?」
その言葉に、コウの顔が見れなくなって俯く。嬉しいのか苦しいのか、自分の気持ちなのに分からない。ぐるぐると渦巻いて重くのしかかる。
「……オウガンにも、会いに行くのですか?」
答えは分かっている。それでも、聞かずには入れなかった。僅かな期待が浮かび上がってしまった。また昔のように、三人でいる事を諦めきれない愚かな心が声を上げる。
けれど、聞こえてきた笑い声に期待が掻き消される。嘲笑でも歓笑でもない諦観の声音。言葉にされなくても、それだけで分かった。
「イジワル、言えるようになったのか」
「そんなつもりはっ……」
慌てて顔を上げると、声が詰まった。悲しそうに笑うコウ。そんな顔、しているとは思わなかった。
楽しそうに笑うコウを見てきた。呆れながらも仕方ないなと優しく笑うコウを知っている。だから、言葉が出なくなった。一瞬にして、知らない鬼のように感じた。
「分かってる。すまない、私たちのせいで……」
「謝らないでください!」
聞きたくなくて、遮るように吐き出す。謝って欲しいわけではない。だって、誰も悪くないから。これはなるべくしてなった事だから。だから、謝罪する必要も、意味もない事だ。
そう言いたいのに、声が出ない。
静まり返る。二人の呼吸音だけが耳に入る。
重たい空気。話したい事がある。聞きたい事がある。たくさん、あるのに。
どうして、こうなってしまったのだろう。何を言えば良かった? どこから間違えた?
会えて嬉しいのは本当の気持ちなのに、苦しい。苦しくて、息が出来ない。
「00001」
胸を押さえていると特徴的な声が落ちてきた。誘われるように見上げると、隣にコナキが立っていた。
「コナキ……」
コナキは全てが黒くて、黒いと言う以外に表しようがない。白くなった私とは正反対で対極の存在。
コナキはあまり喋らない。喋らないというより「0」か「1」しか言わないから会話にならない。長く一緒にいるけれど、未だに言葉の意味が分からない。
その代わりかは分からないけれど、よく身振り手振りでコミュニケーションを取ろうとする。ただ……全身が黒いせいで重なると動きが見えなくなるのが難点。
今も励まそうとしてくれてる。
その気持ちがとても良く伝わってくる。
「ありがとう、コナキ」
すぐに切り替える事は出来ないけれど、少し気持ちが軽くなった。
「コナキ……?」
呟くような声に顔を前に向ける。コウは訝しむ目でコナキを見ていた。
「……? どうしました? コウ」
考え込むような表情が気にかかる。
二人の仲は知らない。コナキに出会ったのはコウとオウガンと別れて暫くしてからの時。それからは一緒に居たけど、それ以前の事は何も知らない。
コナキとコウは交流があったのだろうか。
「鬼族……なのか?」
首を傾げる。どうやら初対面らしい。
でもその疑問は分かる。コナキの見た目からは種族を判別できない。それに鬼力も感じない。
「彼はコナキ。堕鬼王です」
そういえば、どうして私は彼の事を知っているのだろう。彼とは会話が出来ないから、知る事の出来ない情報のはずなのに。
「オウガンがコナキ種になり、王にはなれていない事は知っていたが……彼が。だがその姿は確かにコナキ種の王とも言える」
同じ鬼族と言っても種が異なれば別の種族と言っても過言ではない。そのためか、種族ごとに決まった特徴が現れる。例外はなく、必ず。
コナキ種は黒い肌が特徴だ。上位種になるほど色は濃くなる。最上位のコナキが黒いのは当然と言える。
けれど、コナキの黒さは異常に思う。体の線しか分からない。顔の輪郭も分からない。他のコナキ種とは次元が違うような……。
「ッ!?」
突然、コウが驚いた声を上げる。その視線の先にあるのは、サスマー?
「どうし……」
「悪いセンレン。急用が出来た」
被せた声に焦りが見えた。コウが焦っている様子は初めて見た。余程の事があったのだろう。
引き留めるつもりはない。そうする理由がないし、何よりも資格がない。
「そう。それじゃあ……ね」
別れの挨拶がたどたどしくなった。「またね」も「さようなら」も違う気がした。でも他に、適した言葉が見つからなかった。
だからせめて明るく見送ろうとした。でもそれも失敗したみたいだ。私を見るコウの表情で察した。
気にしないで。早く行って。私は大丈夫だから。
その言葉は声にはならなかった。
「センレン、きみに会えて、話せて嬉しかった。きみがどう想っていても、これが私の純粋な気持ちだ」
口にする前にコウが口を開いた。焦っているはずなのに、すぐにでも向かいたいはずなのに、コウは真っ直ぐ私を見つめる。そんな真摯な態度に疑いなど抱くはずがない。
「私の望みは変わらない。それはオウガンも同じだろう。いつか私たちはぶつかる。相容れる事は絶対にない」
断言するコウからは強い想いを感じる。揺るぎない信念はいつか来る決別すらも受け入れているのだろう。それが親友とも言える深い間柄の仲間だったとしても。
その覚悟がとても眩しくて、惨めになる。そんな勇気もないから、その結果が今の現状だ。
「いいか、センレン。きみが本心から望んだ事なら、どんな内容であれ応援する。決して自分の心だけは偽ってはいけない。叶えたい望みがあるのなら過去も現状も立場も他者も鑑みないで、全てをなげうってでも掴み取るんだ。自分のために、正直に生きなさい」
「…………っ」
そんな権利、ない。何かを望む、資格はない。だって、だって私は……。
「突然訪ねておいてなんだが、これで失礼する。願わくはきみと敵対したくない」
コウは笑顔で手を振って立ち去った。
あの日と同じだ。手を伸ばす事も、引き留める事も、声をかける事も送る事も出来なくて、見ている事しか出来ない。それは何もしないのと同じだ。なんの行動も起こしてない。
最後のは、反則だ。正直に生きろと言っておきながら、判断を鈍らせる事を言うなんて、ズルい。
でも私も他鬼の事を悪く言えない。だって、一番ズルいのは私なのだから。
「111」
コナキの声に、思考が中断される。いつの間にか下がっていた顔を上げてコナキを見る。
下を見ている? 下に何かあるの?
「行ってらっしゃい」
手を振るコナキに振り返す。
「0000」
聞いた事のない羅列だ。コナキの体が地面に吸い込まれるように沈み、たちまち姿が見えなくなった。
上げた手を見下ろす。コウには出来なかった。でもコナキにはなんの抵抗もなく送り出す事が出来た。どうして?
一人になった。さっきの静けさとは違う。寂寥感に包まれる。
「私の、望み……」
コウの言葉を反芻する。聡い彼女は私の望みに気が付いているだろう。正解でなくても、近い答えまでは導き出していると思う。
コウとオウガンの望みを知っている。あの日、二人の口から明言された。私だけ言わずに、今もこうして陰に隠れている。ハッキリさせずに、勝手に苦しんで、一番卑怯なのは私だ。
私の望みは、どっちかと言うとオウガン側だ。なのにコウは私の背中を押す。だからこその最後の言葉だったと思う。
「強い、な……」
みんな、自分のために行動している。
望みを叶えるために行動を起こしている。
その結果がどうなろうと、立ち止まらずに前に進む確固たる意志を感じる。
私にはその勇気がない。足を止めて、壁を作って、留まっている。目を塞いで耳を閉じて、現実から逃げている。
力があるのに怖気付いている。過ぎた力を恐れている。だから、これはその罰なんだ。
「ノーフォ様」
声がかかる。息を呑んで、静かに吐き出す。
声の方に振り向くと、感情のない朱い瞳で見つめられる。声に従うように歩き出す。
自室に移動する。部屋の中央に檻がある。開かれた檻の中に自分の意思で入ると重たい音を立てて閉められる。頑丈な錠をかけて出ていった。
そんな事をしなくても逃げるつもりはない。
檻の中央で膝をついて座り込む。ゆっくりと目を閉じる。
罪深き私が自由を求めてはいけない。この狭い檻の中で、鎖に繋がれる事が贖罪なんだ。
私の望み。
私は、死にたい。




