&13.オアシス
右を見る。左を見る。ぐるっと一周見渡してまた前を向く。
だ れ も い な い。
ミイラは本当にいたんだ。
……はっ!
まさか、この体を狙って!?
渡さないっ!
この体は私の体だ。
誰にも渡さないぞ!
早いもん勝ちですー。残念でしたー。んべー。
「べー?」
また声が聞こえた。誰もいないのに……。
姿が見えないのは、魂だけだから?
…………そんな事より、ちょっと恥ずかしい。
私は体を手に入れた。めっちゃハッピーだ。それはいい事だけど、同時に表現出来る幅も広がった。ジェスチャーもし放題。
だから何が言いたいのかって言うと、つまり、考えてる事がそのまま行動に出ちゃうんだよ。
気付いた時には、私は自分の体を抱きしめて舌を出してた。
子供かよ! 幼稚だな! 誰だよそれ、私だよ!
くっそー。この場にいるのが私だけなら、まだ何やってんだろって自分をバカにして終われるのに!
他人に見られたとなると、ホントに恥でしかない!
私を見ないで。何も見なかった事にして放っておいて。関わらない優しさをどうぞ。
「どうしたの?」
んんん、バリバリ関わるじゃん。お構いなしじゃん。メンタル強いなオイ。
心配するような声なのは私が顔を覆ってるから?
いやこれは羞恥で赤くなってるであろう顔を隠すためだから。全然、体調不良とかじゃないから。
体があっても温度とかはまだ感じないっぽいから暑くも寒くもないけどね。顔が赤くなってるかも分からないけどね。
見ず知らずの他人を心配してくれるなんて優しい人じゃん。ごめんよ。変な風に思って。なんでもないからそっとしておいてくれるとありがたいデス。
…………ん?
というか、なんだか聞き覚えがある声だ。
えーっと、どこで聞いたっけ……。
ぽんぽんぽん……ちーん。
「あっ……あぁ!」
思い出したー!
「わぁっ」
って、突然大きな声を出しちゃったから、驚かせちゃった。ごめんよぉ。驚かすつもりはなかったんだ。わざとじゃないんだよ。ホントにごめんね。
そうじゃなくて、ツンツンさんだよ。ツンツンさん。
まだ動けなかった時に私の寂しさを埋めてくれた心のオアシス。私の癒し!
最初のプチッに遭う前に居たあの人。
そこに居たんだね、ツンツンさん。どこにも姿が見えないけど。
もしかして、あれからずっと傍に居てくれたの?
私が作り出した幻覚とかじゃないよね?
初めて体を手に入れた時に感じた視線はあなたなの?
ピラミッドの入口まで私を運んでくれたのはあなたなの?
ううん、そんな事はどうでもいい。そうだったら嬉しいし、そうじゃなくてもあなたにもう一度会えた事が嬉しい。
こうして会えたのは何かの縁だろう。私には奇跡と呼ぶに相応しい出会いだと思ってる。
私は今、体がある。口があって、耳もある。声を出せるし、音が聞こえる。会話が、出来るよっ。
「あの……あなたの名前を教えてくれませんか?」
誰も居ないところに向かって言う。傍から見たらおかしな人だろう。
もちろん、私の視界には誰も映ってない。霊感があるとか、見えないものが見えるとか、そう言った力は全くない。普通にツンツンさんの姿は見えてない。
けど、彼女は居る。見えないけれど、確かに存在して居る。
「つくもしずくは、つくもしずくだよ」
ほら、声が聞こえる。ちゃんと、そこに居るんだ。
「シズクちゃんって、呼んでもいいかな?」
いきなり名前呼びとか馴れ馴れしいかな。気持ち悪がられない?
「うん!」
良かった。大丈夫そうだ。
内心ホッと一息つく。
シズクちゃんの嬉しそうな声に、私も嬉しくなる。不思議だ。顔も姿も見えないのに、彼女の事を考えると笑みが浮かぶ。
シズクちゃんはどんな顔をして、どんな風に笑うんだろう。シズクちゃんになら、この体を渡したっていいと思ってしまう。それでシズクちゃんを見れるのなら、後悔はない。
「私は……っ?」
あれ?
私も名乗ろうとして、でも、名前が出てこない。自分の名前なのに、どうして?
頭を抱えて俯く。頭がぐるぐるする。視界がぼんやりして、呼吸が苦しくなる。過呼吸?
目を閉じてゆっくり呼吸する。三秒吸って、五秒吐くを繰り返す。喉が詰まっても、慌てずに……。
呼吸が落ち着いたら、ゆっくり目を開ける。手が見える。見慣れた手だ。
思い通りに、違和感なく、体が動く。だから、この体は私の体で間違いないだろう。馴染むというより、戻ったって感じだ。
でも……それならなぜ、どうして私は自分の名前を思い出せない?
大事な名前を思い出せないのは、私がここに居る事と何か関係ある?
記憶が曖昧なのも、そのせい?
分からない。何も、分からない。
日本での事、一般常識やルールは覚えてる。
でも日常の、私自身や周りの事はあまり覚えてない。
年齢も家族も、自分の姿すら思い出せない。
みんなと遊んだ記憶はあるのに、遊んだ内容は覚えてるのに、みんなの姿は塗り潰したように真っ黒だ。
みんなと過ごした楽しい記憶はあるのに、喋った内容は覚えてるのに、みんなの声は笑い方も思い出せない。
人の個の記憶だけが、抜け落ちている。
怖い。怖い。怖い。
大切なものを失くした喪失感が、大事な事を忘れた虚無感が、残酷に私の心に刃を突き立てる。
蹲った暗闇の中。何も見えない。何も聞こえない。
私は独り――
「っ!」
背中を擦る感覚に、ビクリと体が反応する。
驚いたように離れた触感は、再びゆっくりと背中に触れる。宥めるように背中を撫でる動きはぎこちなくて、慣れていないとすぐに分かる。でも、優しさが伝わってくる。
「ねえねえ。これ、なに?」
首を傾げてるようなシズクちゃんの声に思考が逸れる。多分、彼女が見ているのは私の背中だろう。
少し上体を起こしてグイッと首を回して後ろを振り向く。
……むむ、見えない。
そうだよね。背中は見えないよね。人の可動域って狭いもんね。鏡……はないか。
うーん…………あっ、そうだ。
頭を掴んでグイグイと左右に回しながら上に持ち上げる。力を入れていたらポンッと簡単に頭が取れた。
いや簡単に取れちゃダメだろ!?
やったのは私だけど。それでも、ムリだよねーって、でも試しで一応やってみる? 的な軽い気持ちでしかないんだから。
出来ちゃダメだろう……。
うん?
でも、頭を取ったのに体は動かせるぞ。
目が見える……のは変わらない。いや、バッチリ視力2.0の鮮明さだ。はっきりくっきり見えるぞ。
手を動かせれる。ちゃんと自分の意思で。ここ重要。
首は繋がってないのに、神経は繋がってる。いや、どういう事?
まあ、いいや。便利だし。
取った頭を前に置いて、体は背中を向ける。
おぉ、ちゃんと動くぞ。首なしが動いてるってなんかシュールだな。血が出てないからグロく感じないだけ? 体キレイだし。断面は……ちょっと止めとこう。
考え事が出来たのはそこまでだった。背中が顕になって、その背中を見て、頭が真っ白になった。
「………………っ、さ、くら……! 桜っ!」
その背中には桜の刺青が入っていた。
その背中を見ていると、懐かしさで泣きたくなった。
そして、思い出したよ。全部じゃない。少しだけど、思い出した。
「これが、さくら? きれい……!」
はしゃぐような声音は彼女の気持ちをそのまま表してるようだ。桜を見るのは初めてなのかな?
この桜は正確には桜じゃない。なんだっけ、桜吹雪? 確かにキレイだけど、刺青……絵であることに変わりはない。どれだけキレイでも、本物ではない。
シズクちゃんは日本に住んでない? でも、日本語は喋ってるし……?
…………まあ、会話が出来てるから良いとするか。話が通じて損になることはないしね。
「シズクちゃん。私の名前ね、サメジ……っ」
言えなかった。私の名前、鮫島渚だって。
喉が詰まって、体がその名を呼ぶ事を拒否しているみたいだ。その名を名乗る事は許さないと言っているように感じた。
「さめじぃ? さめじぃ……さめじぃ……。さめじぃ!」
何度も何度も繰り返す。覚えるように、噛みしめるように、繰り返し声に出す。
嬉々として呼んでくれるシズクちゃんの声がスっと私の中に入っていく。私の中にある苦く悲痛な気持ちを押しやって、甘く温かな陽気で包んでくれるみたいだ。
ごめん。シズクちゃん。ズルくてごめんなさい。あなたの優しさに甘えてごめんなさい。いつか必ず、絶対に私の名前を教えるから。どうかその時まで。今は、まだ……。
ごめんね。
ようやく名前が……わーい!




