プロローグ-2- 脱☆引きこもり
「ねえ」
寝ぼけた目をこする。
「ねえったら」
セキュリティ対策バッチリの僕の自慢の家の扉の前に見覚えのある女の子が立っていた。
「ん…? あ、キミは!」
「しーっ! 声がデカい!」
《《あの時》》の女の子だ。
「キミも捕まったのか?」
「捕まった? …ああ、そういう意味ね」
彼女は女の子は短いスカートに手を突っ込み、股の間に手を伸ばし、何かを掴む。
えっちー!
んん……?
「し…っぽ?」
「アンタ、魔力を感じられないタイプなのね。これで分かったでしょ?」
「???」
さっぱり理解が追いつかない。
コスプレか? ふーん、えっちじゃん…。
「コスプレ?」
「コス…? なにそれ?」
気まずい沈黙。
立ち話もなんだし、僕は玄関の布をほどきながら言った。
「とりあえず、へへ、狭い部屋ですが…どうぞ」
彼女は長い沈黙の後、僕の部屋に入ってきた。
……人生で初めて、女の子を部屋に招き入れたぞ!
「なんで助けたのよ」
ぶっきらぼうな口調。
「なんでって、襲われてたから」
「だ・か・ら、アタシたちはそういう種族でしょ! 」
僕は察しがいいタイプのヲタクなので分かる。
時間を持て余してどれだけアニメ・ゲームを消化する時間があったと思ってるんだ。
ハハーン、これはアレだな。
「サキュバス…か?」
「…んー…うん。そ。分かってるんじゃない。おちょくってたの?」
え? マジで?半分 冗談で言ったのに。
RPGと薄い本でしか見たことのない存在が、今ここに!?
「で、なんで助けたのよ」
「そりゃ助けるよ。嫌そうだったし」
「ハァ……もういいわ。気狂いなのね、アンタ。会話にならないし、帰る」
「まてまてまて!」
ここで異世界転生してきた、とでも言うべきか…?
説明がややこしいな…。
作戦Aで行くぜ。
「長年、山籠もりしてた家系で育ったせいで、全然事情を知らないんだ!」
キメ顔。ふふん、きまった。
「山籠もり…? にしたって常識なさすぎでしょ」
「そうなんだよ。うちの家系は特殊でさ。標高3722メートルの山で、人知れず暗殺術を極める家系で…」
「暗殺…? すごいわね、貴方」
「…ごめん、嘘です。あ、山籠もりは本当。」
前世のノリでふざけすぎた。
そりゃそうだよね、ネタが通る人間がそもそもいるわけない世界だったね。
「ま、まあ…ずっと山籠もりだったから、常識を学ぶために降りてきたというか…ハハ」
苦しい言い訳か…? と思いながらチラリと彼女を見ると、「そういうこともあるのね」と納得していた。
意外とチョロいな、この子。
「さすがに《あの戦争》のことは知ってるわよね?」
「《あの戦争》…?ごめん…わかんない」
「マジなの!? …山ってすごいわね。どうやったらそこまで情報を遮断できるのよ…」
「一生木とか切ってた。……説明おねがいします…」
彼女は呆れた顔をしながら言った。
「んー…。いざ説明すると難しいわね。アタシもちっちゃい頃の話だし。
滅茶苦茶要約すると、10年前に魔種と人間の戦争が終わったの。
アタシたち魔種が負けて、このナラク城に閉じ込められてるってワケ。
そんでアタシは、この上で、あの貴族サマの性欲のはけ口にされる手前だったってワケ」
「おぉぉ…」
なるほど、やっと見えてきたぞ。
この世界はマジでファンタジー系の世界なんだな!
まともに探索してなかったから全く分からなかったぜ!
「で、なんで魔種なんて助けたのよ…って聞きたかったけど。アンタ、世間知らずすぎたってことね」
彼女は立ち上がり、埃を払った。
「捕まるも何も、ここがアタシたちの家であり、最後の砦であり、鳥籠。…一応お礼は言っとくわ。流石に、あのキモいオヤジの慰み者になるのは生理的にキツかったし」
「サキュバスでも選り好みするんだ」
「あったりまえでしょ!」
彼女はキッと睨み、服を整える。
「あ、待って。名前、なんていうの」
キョトンとした顔で彼女は僕を見る。
「魔種に名前聞く人間なんて初めて見たわ」
「いいから。僕は…そうだな。トーマスだ」
小さいころにつけられたあだ名だ。
隣のベッドで一緒に某機関車のアニメを一緒に見ていた彼女がつけたあだ名。
冬馬澄人、とうますみと、トーマスね!実に単純。
日本人名じゃ世界観に合わないしね。
「トーマス。初めて聞く響きね。アタシはリタ。じゃあね、トーマス。そのうち食べにくるから。今日はこないだのお礼に見逃してあげる」
「食べに…? ああ、またね」
僕は彼女を見送った。
食べにってなんだ?僕の方がご飯を食べたいんだが。
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ひと眠りして、僕は重たい身体を引きずるように起き上がる。
実際にどれほどの時間が経ったのかは分からない。
ただ、体感的には一か月近くはこの場所に引きこもっていた気がする。
時計があるわけでもないのに、頭の奥底でじわりと時間の重みが蓄積されているのを感じる。
相変わらず腹は減っているが、不思議なことに餓死する気配はない。
内臓が干からびてもおかしくないほどの空腹感があるのに、身体は動く。
飢えながら生かされるのは、一種の拷問じゃないか?
外の環境の恐怖と空腹感のを秤にかけて、ビビリの要素が大きく恐怖の器に加勢をし自分の房でビクビクしていたが、さすがに限界だ。
「……外に出るか」
自分の呟きが、ひどく頼りなく、小さな独房の中に響く。
意を決して、牢の鉄格子に手をかける。冷たく錆びついた鉄が、じっとりとした湿気を帯びて手にまとわりついた。
ギィ……。
軋む音とともに鉄格子が開く。
——そして、そこには地獄が広がっていた。
怒号と悲鳴が飛び交う、巨大なドーム状の空洞。
天井は高く、何百メートルも上空にあるはずなのに、まるでそこに無限の闇が広がっているかのように感じる。
周囲には僕と同じような牢が、まるで蜂の巣のように整然と並んでいた。
その数は100は軽く超えていそうだ。
まるで、マンモスマンションならぬ、マンモス牢獄とでも呼ぶべき異様な光景だ。
だが、意外なことに囚人たちは自由に歩き回っていた。
ドームの中央には市場のような場所があり、囚人たちが何かを取引している。
中でもひときわ活気のある場所があった。
まばゆい光が差し込むその先——あれは、外へと続く出口なのか?
僕は囚人たちに絡まれないように細心の注意を払いながら、光の差す方向へと足を進める。
——そして、出口を抜けた瞬間、異世界ファンタジーが広がっていた。
天井はまるで青空のように輝き、足元には柔らかな草が生い茂っている。
本当に監獄の中なのか?と疑いたくなる。
遥か彼方には鬱蒼とした森が広がり、その奥には何かが潜んでいそうな不穏な気配を感じた。
だが、よく見ると果ては視認できた。
しっかりとこの空間に終わりはある。ドーム状の空間だ。
とはいえ、直感的にこの広さを端から端まで踏破するには、とても一日では足りないと理解する。
ふと、牢獄に戻る囚人たちを見やる。
彼らの腕には、奇妙な生き物の死骸が抱えられている。……食べるのだろうか?
僕は試しに森のほうへ足を踏み出した。
「……思ったより、いいところじゃない?」
その瞬間。
ヌチャ。
肩に、何かベタついたものが落ちてきた。
——嫌な予感がする。
「キシャア……」
振り返ると、そこには見たこともない三つ目の怪物。
鳥のようなフォルム……だが羽はなく、皮膚は湿った粘膜のようにテラテラと光っている。
巨大な口からは涎が滴り、歪んだ牙がぎらついている。
「ギャアアァァァ!!」
脳内に逃走コマンドが浮かぶ!
にげる! → 失敗!
——トーマスは囲まれてしまった!
「なにやってんのよ!」
その時、天から誰かが降ってきた。
銀髪の少女。リタ。
「しっし!」
彼女が手を払うと、怪物はあっさりと引き下がり、森の闇へと消えていった。
「……助かったよ」
安堵のあまり、へたり込む。情けない。
異世界転生者といえば、何かしらのチート能力を持っているものなのに、僕が持っているのは「腹が減りにくい」くらい。
いや、餓死寸前の状態で死ねない呪いとなっているし、今のところはそれすらもメリットなのか分からない。
「アンタはアタシが食べるって言ってるじゃない!勝手に食べられないでよ!」
「食べるって……?」
「ハア……まったく。毎度毎度説明するのは面倒ね。魔種の食べ物は人間なの。アンタは、アタシの食料。オーケー?」
「……は?」
「そのまんまの意味だけど…。ハァ。」
「田舎もんなもんで…」
じりじりと近づいてくるリタ。
「まあ、まだそんなにお腹すいてないけど……いっか、もう」
「リタさん……?」
彼女がぐっと手を引き、岩陰へ。
そして、僕に抱き着く——
「なっ!?」
サキュバス…食事…
ハッ!
これ、薄い本で勉強したやつだ!
——いや、絶対にえっちな展開じゃん!?
すまない。みんな。
父さん。母さん。俺、今から大人になります。
「いただきまぁーす♡」
異世界転生サイコー!
「やさしくしてネ……って、どわあああああ!!」
——何かが吸い取られる!
体力というか、やる気というか、たぶん生気と呼ばれるものが急速に失われていくのが分かる。
「……ぷはあ! アンタすごいわね!本気で殺す気でいったのに!もうおなか一杯よ~」
「ゼエー……ゼエー……」
死ぬかと思った。
視界が揺れる。
リタがさらに近づいてくる。な、なんなんだ……?
「……気に入ったわ。……チュッ」
「なっ!?!?」
「これでツバつけといたから。この辺の魔獣には襲われないわ。安心して帰りなさい。また食べに来るから〜」
手をひらひらと振り、リタは消えていった。
こんなんで好きになったりなんかしないんだからね!
「……アカン、しぬ……」
おなかはすいてるし、体はボロボロだ。
フラフラの身体を引きずりながら、なんとか牢獄へ戻り、そのまま泥のように眠った——。
脱獄したいです、はい。