第1章 1’-9 カゲ
「わらわは、今から街でお酒を飲んできま――――す!!!」
当然ながら未成年である。
クッキーが高らかに宣言すると、すぐさまドタドタと廊下を駆ける足音が響いた。彼女を止めようとする者たちの追跡の足音だ。
――なぜ急に協力的になったのかはとくわかりませんが…、そもそもクッキーの考えなど昔からよくわかりませんでしたわね。
ユリエルは無理やり納得しつつ、隙を見て廊下の様子を伺う。幸いにも、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。数人の影がちらほらと見えるが、さっきよりははるかにマシだ。
隙を伺い、慎重に歩みを進め、ドス黒いオーラを放つ異様な気配のもとへと近づく。
「ん...?」
そのオーラは壁から漏れていた。
――隠し部屋か!
ユリエルは即座にそう結論づける。
しかし、今この場で隠し部屋への入り方を調べ、突破するのは不可能。
今日は引くべき。
――クッキーには、いずれ何らかの形で恩を返さないと。
そう心に決め、ユリエルはその場を離れた。
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「限りなくクロに近い、ですわね」
「ふぅん、隠し部屋ネェ」
夜、宿屋の一室でユリエルたちは密談を交わしていた。
「そのオーラの濃さなら、十中八九、中に魔獣がいるだろうネェ」
「そうですわね…」
次の一手を思案していると、突然、外が騒がしくなる。
「なんですの…?」
ユリエルが窓を開けようとした瞬間、部屋の扉が乱暴にノックされた。
「はいはーい」
ヴォルハウス卿が扉を開く。
そこには、胴に深い切り傷を負い、血を流しながら今にも倒れそうなカゲの姿があった。
「ユリエル、さま…」
「カゲ…!」
ヴォルハウス卿は瞬時に状況を察し、「医者を呼んでくる」とだけ言い残し、外へ駆け出した。
ユリエルはすぐに自分の服を裂き、即席の包帯としてカゲの傷口を押さえ、治癒魔法を実行する。
「すぐお医者様が来ますわ。今は横になってください。」
カゲは震える手で、一枚の紙をユリエルに差し出した。
「…勇者は…王宮の…秘密の部屋で…これ、を…」
その紙には、緻密に描かれた魔方陣が刻まれていた。
「ありがとう…確かに受け取りましたわ。でも、今は報告はいいですわ。お医者様が来るまで、頑張って」
ユリエルはカゲの手を握る。冷たくなっていく指先に、焦燥が胸を締めつける。
ヴォルハウス卿が医者を連れて戻った時、ユリエルは静かに涙をこぼしていた。
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医者は、カゲの遺体を預かり、後日、グレイヴィア王国で埋葬する手続きを整えた。
ヴォルハウス卿は窓を開け、キセルの煙をくゆらせながらぽつりと呟く。
「そんなに、交流があったわけじゃないんだろう?」
ユリエルはじっと黙ったままだ。
「キミが命令を下して、人が命を落とす。珍しい事でもないでしょうに」
「黙りなさい!」
ユリエルはこれまで戦場を経験したわけではない。顔見知りの死というものを、こんなにも間近に感じたのは初めてだった。
彼女とカゲが深く関わっていたわけではない。
それでも。
長い年月、常に自分のそばにいた存在の喪失は、思いのほか深く心をえぐった。
「ごめん、ユリチャン。オジさんは無駄に年を取ったからね。慣れちゃっただけなのかもね」
ヴォルハウス卿はキセルを片付け、部屋を出ようとする。
そのとき、ユリエルは彼に一枚の紙を手渡した。
「これは?」
「カゲの死を無駄にすることは許しませんわよ」
ヴォルハウス卿は紙をじっと見つめ、口元に苦笑を浮かべる。
「流石カゲだね…。一瞬見ただけの魔方陣をここまで正確に写し取るとは。ま、二、三日もあれば解読できると思うよ」
彼が去った後、ユリエルは一人、拳を握りしめる。
唇を噛む。じわりと血がにじむ。
「わたしの、判断ミスで…!!」
悔やんでも悔やみきれない。
もう二度と取り返せない命。
「くそっ…! くそ!!」
衝動のままに、髪を掻きむしり、本を壁へ投げつける。
「二度と、二度とこんなことは繰り返さない…!」
怒りが、悔しさが、涙の代わりに燃え上がる。
ユリエルの決意は、静かに、しかし強く揺るぎないものとして、その心に刻み込まれた。




