第1章 1-8 障壁
僕は脱獄したい。
だが、それを阻む巨大な壁がある。
「獣王ナベリウス……」
その名を呟くだけで、身体の芯が震える。
圧倒的な力を持つ存在。その前では、僕の力など塵ほどの価値もない。
脱獄を試みる者は、必ず彼と対峙することになる。
中央の森のあるラインを越えた瞬間、彼は空を裂き、雷鳴のごとく降り立つという。
「戦闘は、避けられない……」
だとすれば、僕に必要なのは作戦、そして仲間だ。
勝てる確信など皆無だが、それでも人手は多い方がいい。
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「ナベリウスと戦う手伝いをしてくれ!」
「断る」
即答だった。なしのつぶて。
「な、なんで?」
「次に戦う時は、ボク一人で奴を倒したい。それが戦士ってもんでしょ?」
ジュディは剣を磨きながら、淡々と言い放つ。
「それに、トーマスは戦う理由なんてないじゃないか。ケルピー狩りをしてるだけなら、ナベリウスは出てこないよ」
「そ、そうなんだけど……」
躊躇いながらも、僕は意を決して口を開く。
「脱獄したいんだ」
「はぁ!?」
驚愕のあまり、ジュディは剣を取り落とした。
「本気で言ってるの……?」
「ああ」
彼女はしばし沈黙し、やがて真剣な眼差しを向ける。
「……トーマス、悪いことは言わない。やめておきなさい」
その目には、ひどく真剣で、どこか温かみのある情が宿っていた。
「仮に脱獄できたとして、その焼き印を背負ってどう生きていく気だい?まともな仕事なんて見つかりやしないよ」
「じゃあ、この監獄で一生を終えろっていうのか!?」
「いや、そうじゃない。自分を“買う”んだよ」
「……買う?」
ジュディは無言で後ろを指差した。
「なんのために金が流通していると思う? ここでは自分で自分の身請け金を払えば、釈放される仕組みになってる」
「どういうこと……?」
「保釈金みたいなものさ。その金を払えば、自分を奴隷として貴族に売り込むチャンスが得られる。ここでは皆、それを“身請け”って呼んでるんだ」
彼女は僕の焼き印の一部を指でなぞった。
「ほら、ここに罪に応じた額が刻まれてるだろう? ……金貨1,000枚。傷害罪にしては随分な額だね。相手が貴族だったから、だろうけど」
「金貨…1,000……?」
思わず目眩がした。
ケルピー一匹で銀貨一枚。金貨一枚は銀貨百枚に相当する。
一日頑張ってもケルピーはせいぜい二、三匹しか狩れない。
……計算してみよう。
「五万日……100年以上かかるじゃないか!!」
「いや、ケルピー以外を倒すことだって——」
「でも森の奥に行けばナベリウスが……」
「……そうだけど」
詰んでる。
アリアハン周辺でレベル100にする方がまだ現実的だ。
ジュディは腕を組み、じっと僕を見つめる。
「トーマス。そもそも、なんでそんなに脱獄したいんだい?」
「なんでって……こんな危険な場所にいたくないからだよ! それに、外の世界を旅してみたいじゃないか!」
「……はは。思ってた百倍、子供っぽい理由だ」
「否定はしないよ。正直、外で何をするかなんて考えてない。でも、何もできないまま監獄の中で人生を終えるのは嫌なんだ」
ジュディはふっと笑い、しかしすぐに真剣な顔に戻った。
「脱獄には協力できない。でも、君の稽古は変わらずつけてあげるよ。その結果、君がボクより先に獣王ナベリウスを倒してしまって、その後どうなろうと……ボクの知るところじゃないけどね」
「ああ、ありがとう。それだけでも大助かりだ」
「でもね、いくら世間知らずの君でも分かると思うけど……もしも、本当に脱獄できる状況になったとしても、魔族の彼女を一緒に脱獄させるなんて考えちゃいけないよ」
「え?」
「はぁ……そのあたりの倫理観も怪しいのか。お説教の時間だね」
気づけば僕は、正座させられていた。
「外の世界は人間のもの。それは10年前、勇者トールが勝ち取った、人類の平和の証なんだ。 『魔種を解放することなかれ』——これはどの国でも、どの種族でも、王族であろうと罪人であろうと、絶対に守るべき誓いだよ」
彼女の真剣な眼差しに気圧される。
「でも君は、そんな平和の象徴なのかもしれないね。戦いを知らず、魔種を知らず……ここまで育ってきた。 勇者トールも、こんな子供たちであふれる世界を作りたかったんだろうな……はは、監獄の中で言ってもしまらないないけど」
(実は異世界から来ましたゴメンナサイ……)
僕は心の中で謝罪する。
ジュディは木剣を取り、僕に差し出した。
「今日もやるでしょ?」
「もちろん!」
彼女は強い。そしてこの世界に対する確固たる信念を持っている。
これ以上、彼女を脱獄の仲間に誘うのはやめておこう。
……殺人鬼でさえなければ、滅茶苦茶いい子なんだけどなぁ……。




