第1章 1-5 うん、脱獄したい
じめじめと湿った空気が鼻につく。
この監獄に閉じ込められて以来、寝起きの不快感には慣れたつもりだったが、それでも朝の目覚めは最悪だ。
だから最近は、目が覚めるとすぐに外に出るようにしている。
最初の頃は、獄中の囚人どもが襲いかかってくるのではないかと警戒していた。
だが、意外なことに彼らはそれぞれに無関心で、互いに距離を保っていた。
希望を失った者の集まりなのかもしれない。
脱獄するには戦闘は不可避だろう。この森を抜けるには——。
「おっす」
「おはよう、トーマス」
ジュディの部屋の前に僕は立つ。彼女は意外と近くの房にいることがわかった。
「今日も頼めるかな?」
「お安い御用さ」
僕はジュディと共に出口へ向かう。
ここ最近、彼女と魔獣を狩りながら戦い方を学び、日銭を稼いでいる。
今日の獲物もケルピーだ。二匹仕留めた後は、ジュディの指導が待っている。
「魔力の扱いも少しずつ慣れてきたみたいだね」
ジュディが満足げに頷く。
彼女によれば、僕の体には魔力が宿っているらしい。
おそらくはヨルヨルの“あげる”の影響だろう。
ジュディの強さの秘密も、この魔力にある。
「前にも言ったけど、ボクたちは特別なんだよ。
まさか、その力を知らずに十六年も山で木を切ってただけの人がいるとは思わなかったけどね」
ジュディはくすりと笑う。
その目は、どこか興味深げだ。
「魔獣たちは種族ごとに固有の魔法を持ってる。例えばケルピーなら……」
彼女は、失神していたケルピーを起こす。
途端に暴れ始めるが、ジュディが魔力を注ぎ込むと、みるみるうちに美しい女性の姿へと変化した。
「変身魔法だね。もっとも、ケルピー自体の魔力が少なすぎてね。特別な個体か、こんな工夫でもしないと見られない現象だけど」
「え、ちょっと待って。今ナイフ渡されたら、めちゃくちゃ気まずいんだけど」
ジュディがきょとんとした顔をする。……さすが殺人鬼。
僕はため息をつきながら、鳥の姿に戻ったケルピーの首筋にナイフを差し込んだ。
「さて、じゃあボクたちの人間の固有魔法についてだけど……どう思う?」
「うーん。今の話だと、人間って種族が持ってる固有の魔法になるのか?」
「ブッブー、残念。人間の場合、個体ごとに固有魔法が違うんだよ」
そう言いながら、ジュディは岩に向かって剣を振るった。
閃光が走る。虹色の光と共に、岩は粉々に砕け散り、瞬く間に砂へと変わる。
「おお……」
「ふふ、詳しくは教えてあげないけどね」
ジュディは、僕が準備していたケルピーの串焼きを頬張る。
「汎用魔法も教えてあげるけど、固有魔法は本当に強力なものが多いんだ。
それが勇者の二つ名になるほどね。だから、とにかく今は戦闘経験を積みまくろー!」
「おー!」
曰く、固有魔法は直感的に閃くもので、死ぬまで発現しないこともあれば、明日にでも突然目覚めることもあるらしい。
戦闘をこなすことが近道らしいが、そもそも貰い物の能力で固有魔法が得られるのかも不明だ。
焦らず気長に待とう。
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「少し森の奥に行こうか」
ジュディに誘われ、僕たちは足を踏み入れた。
鬱蒼と生い茂る木々が視界を遮る。
耳を澄ますと、かすかに枝が揺れる音が聞こえた。
気のせいか、肌にじわりと冷たい汗が滲む。
「この辺りはヌエの縄張りなんだ。ボクの見立てだと、今のトーマスならギリギリ勝てるかどうかってところかな」
ジュディは枯れ木を集め、何かの粉末を振りかけると、剣を振って火を灯した。
「ヌエの毛皮さ。彼らを呼ぶときは、こうするんだ。仲間がやられたと思って、集まってくる」
「いや、いっぱい来たらマズくないか?」
「大丈夫、君の相手をする一匹以外は、ボクが倒しておくから」
まるで朝飯前とでも言いたげに言う。実際、ジュディならやってのけるのだろう。
「来るまでの間に、少しお勉強しようか。人は魔力を得ることで、身体能力を大きく強化できるんだ」
ジュディは地面に木の棒で図を描き始めた。
「魔力には属性があってね。ボクは風の魔法が得意なんだけど、トーマスは何が得意なんだろうね。一通り試して、キミの得意属性を調べてみようか」
地面には五つのマークが刻まれる。火、風、水、そして……あと二つはよく分からない。
「まずは火の魔法からいこうか。魔力を外に出すイメージと、キミの中で燃え盛るような火をイメージしてみて」
「む~ん……」
火、火か……。
なんとなく前世のガスコンロを思い浮かべる。
手の先に、小さな火球が生まれた。
「おお、まあ低級の出力ってところかな」
「結構カロリー使うな、これ」
「……でも、炎が青いのは不思議だね」
ジュディが首を傾げる。
ガスコンロの影響か。
「汎用魔法はエーテルさえ飲めば誰でも使えるけど、魔法の威力ってのは使用者に依存するんだ。
ランク付けとしては低級、中級、上級、轟雷級、殲滅級、天災級に分かれる。
中級ができれば、ひとまず一人前の戦士ってところかな。
それぞれの上級はこの国でも片手で数えられるほどしかいない。上級よりも上のクラスは戦争の頃のおとぎ話ってね」
そう言って、ジュディは胸を張る。
「ちなみにボクの風魔法は上級だけどね!」
ドヤ顔をキメている。僕は思わず苦笑い。
「低級って、どんなもんなんだ?」
「うーん、軍学校の一年生が最初の魔法の授業でやるレベルかな…。火を灯すくらいなら普通に木を擦った方が楽チンだしね」
「先は長いなあ……」
それにしても、魔法を使うのは想像以上に疲れる。
普通はエーテルを飲んで魔力を確保するらしいが、僕たちのように元から魔力を持つ者は、代わりに体力をすり減らして魔法を使う事ができる。
だがその反動の疲労感は、体を酷使したときのそれとは違う。
どちらかと言えば、複雑な数式を解こうとして脳を酷使したときの疲れに近い。
「じゃあ次は……」
そうして水魔法、風魔法、さらには絵ではよく分からなかった地魔法も試していく。
どれも一通りこなした頃には、僕はすっかりへとへとになっていた。
ジュディからエーテルを渡され、口に含む。
喉を通った瞬間、熱が体に染み渡り、疲労が霧散する。
なるほど、これがMP回復というやつね。
「うーん、不思議だなあ。どれも同じくらいの威力に見えるね。普通は得意不得意が出るものなんだけど……」
「もう一個あるんじゃ?」
「ああ、空魔法のこと?あれはねぇ、そもそも使える人がほとんどいないんだ。
だから、どうすればできるかっていうのも分からなくてさ……」
ジュディは頬を掻きながら、木剣を構える。
「じゃあ次のレッスンだ」
僕にも木剣が手渡され、構えるよう促される。
「魔法を使えるだけじゃ、低級の魔獣すら倒せない。だから『勇者』たちはこうやって――」
その言葉とともに、ジュディの姿が霞む。
次の瞬間、彼女は10メートル以上の距離を瞬時に詰め、横薙ぎに木剣を振るった。
衝撃が走り、僕の剣が弾き飛ばされる。
「ボクの得意な風魔法は、こうやって身体に纏わせることでスピードを強化できるんだ。
これはエンチャントって言って……」
「す……」
「ん?」
「すげえええええええええ!!」
思わず叫ぶ。
「僕もやりたい!僕もやりたい!」
ジュディは苦笑しながら首を振った。
「ふふ、まったく。そんな簡単にできるものじゃないよ」
この日の成果は、剣に炎を纏わせて斬ることだった。
ジュディ曰く、「まあ、普通に斬るのと大差ないけど、ないよりはマシ」とのこと。まだまだ修行は必要らしい。
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夕暮れ。厳密には太陽が昇っているわけではないが、空は赤黒く染まり、木々がざわめき始める。
「……来たか」
ジュディは稽古を切り上げ、腰の剣に手をかける。僕も遅れて剣を構えた。
低く、重いうなり声が周囲を包む。
「実戦編だ」
ジュディが茂みの中に消え、直後、魔獣の絶叫が響いた。
茂みの隙間から飛び出してきたヌエと、僕は対峙する。
ジュディは言葉通り、1匹だけをこちらによこしたのだ。
ヌエを観察すると目に怪我を負っている。
―――あの時の!
鋭い爪が閃く。
剣を振り上げ、爪を弾く。衝撃で後退しながら距離を取る。
「な……!」
ヌエの瞳が赤く光った瞬間、世界から色が失われ白黒の視界になる。
そして――ヌエの姿が消えた。
「ぐっ!?」
次の瞬間、肩に焼けるような痛み。肉が抉れ、血が噴き出す。
「ふ……!」
恐怖ではなく、興奮がこみ上げてきた。
「はは……!」
剣を握る手に力がこもる。炎魔法を纏わせ、無造作に振るった。
枯葉が燃え、炎の揺らぎが影を作る。
「楽しい……!」
無意識に口角が上がる。
「楽しい!楽しい!!」
剣を振るい、炎が舞う。
痛みがある。傷が増える。でも、今この瞬間こそが――
「最高だ!」
笑みがこぼれる。
僕は生きているのだ!
「見えなくたっていい。」
足音を感じる。
吐息を感じる。
’生’を感じる!
魔力に今の感情をありったけ乗せる。
「ごめんね」
回転斬り。
剣の軌跡が白黒の世界を断ち切った。
視界が赤に染まる。
「おお~!」
拍手が聞こえた。
「キミ、たぶん空の魔法使いだ!」
ちょっと自信なさげなジュディのセリフは、実にしまらない感じであった。
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じゃあ帰ろうか。とジュディは言う。
ヌエの大量殺戮現場から収集した毛皮や核を、持ってきた荷車に乗せる。
「待てよ」
「待て」
「待てコラ」
声が暗闇に響く。
「俺様のペットを、よくも」
「…こんなにも、こんなにも…!」
「ぶっ殺す…!」
「よけろ!」
ジュディの声を聴く前に僕は吹き飛ばされ、背を岩盤に叩きつけられ、血を吐く。
定まらない視界の中、ジュディが応戦している事が伝わる。
「「「魔王四指が一指、獣王ナベリウス、貴様らを喰らいつくしてくれる」」」
獣の頭、竜の頭、人の頭、三つの頭を持つ怪物を赤くなる視界にとらえながら僕は気を失っていった。




