兄
私には歳の離れた兄がいる。兄は生まれつき重い脳障害があり、二十歳過ぎまで毎日癲癇発作を起こしてた。薬の副作用で身体の成長も遅く、中学一年生で身長が小学一年生と同じくらいだった。しかし母曰く、妹の私が生まれたら「自分はお兄ちゃんなんだ!」と突如覚醒し、急に言葉等が発達したそうな。
私が五歳くらいの時に父が兄に大型の三輪車を買ってきた。がっしりとしていてタイヤが太く、身体の弱い兄でも安全に乗れると思ったのだろう。三輪車と言うにはあまりに立派なそれには、恐ろしいことに後ろにもう一人立てそうな踏み台が付いていた。我が家の前には長くて真っ直ぐな坂がある。私と兄はその鮮やかな黄色の三輪車を長い坂の一番上まで嬉々として運び、そこから兄が漕ぎ妹が後ろに立つという体制で猛スピードで下るという暴走兄妹と化した。
山の上の閑静な住宅地とは言え、交通事故を起こさなかったのはほぼ奇跡。今の時代なら非難轟々、SNS等で叩かれまくって親が病んでいてもおかしくない。
交通事故こそ起こさなかったものの、そこは五歳児と障がい児。ある日暴走中にバランスを崩して盛大にコケた。私は後ろに立っていたので上手く飛び降りてかすり傷程度で済んだが、兄は頭にタンコブが出来た。
生憎事件は母が用事で家を一時間ほど留守にしていた時に起きたのだが(注:これは子供が家でお留守番するのが普通だった平安時代のお話であり、また兄妹達は親の留守を狙って内緒で暴走していた)、母が帰ってきた時にはすでに兄はベッドに寝かせられ、顔にびしょびしょの濡れタオルをかけられてたそうな。この話をしながら母は「もうちょっと絞ってから乗せればいいのに、ポタポタ滴が垂れるようなタオルが顔にべちゃーって乗せてあって」と大笑いしていた。私にその事件の記憶はない。子供ながらに頭を冷やさねばならぬと思ったのだろうが、一歩間違えたら兄を窒息死させてた可能性無きにしも非ず。
またある日のこと。私と兄が近所の公園のブランコで遊んでいたら、少し歳上の子供達が来た。名前はお互いに知らないけれど一応顔見知り。子供達は兄が少し『違う』ことに気付き、「その子どうしたの?」と聞いてきたが、「別に、テンカンの病気なだけだよ」と答えたら「ふーん、薬とか飲むの?大変だね」と簡単に納得して一緒に遊び始めた。しかしその子達はちょっとヤンチャだったものだから、公園の水道の蛇口を最大限まで開放して盛大な噴水を作り、その下をみんなで駆け抜けるという大人が見たら眉を顰めるような遊びをやらかした。ハッキリ言ってめちゃくちゃ楽しかった。兄もキャーキャーと大声で騒いで笑い転げていた。そうして夕方までびしょびしょになって遊び、カナカナ蝉が鳴いて身体が冷え切った頃にようやく家に帰り、母に呆れられ、兄は風邪を引いた。
兄は二十歳前後で急に背が伸びた。しかし薬の影響で非常に痩せていて筋力もないため、身体のバランスが保てなくなり、何度か転んで骨折を繰り返し、今では車椅子生活だ。子供時代に家の前の坂道や公園で私と駆け回って遊んでいたことなど遥か遠い昔の話なのだが、しかし私がアメリカから日本に帰国するたびに、「イズが帰ってきたら一緒に遊んであげなくちゃ」と皆に話し、年に一度の私の帰国を楽しみにしているらしい。
……という話を夫ジェイちゃんにしたところ、しばらく黙考していたジェイちゃんが不意にぽつりと呟いた。
「イズミのお兄ちゃんはピーターパンみたいだね。イズミだけ成長してしまって、お兄ちゃんだけ歳取ることなくネバーランドに取り残されてるんだ」
いやいやいや、確かにそう言われればそうかも知れないけれど、でもそんな風に考えたら急に寂しくなっちゃうじゃないですか?!なんだかちょっと泣きたくなっちゃうじゃないですか?!
しかし当の本人は私が実家に帰ると即座に「おかえり!お土産は?」とけろりとした顔でお土産を要求してくるので、私は無言でお洒落なピーターパンに鮮やかな黄色のポロシャツなんかを手渡すのである。