えくぼ街
郊外の小さな街に、エミという可愛らしい女の子が住んでいました。
エミの両親は著名な環境調査官で、世界中を飛び回っています。エミは1人で暮らしていましたが、寂しくはありませんでした。街のみんなが家族のように接してくれたからです。
エミはいつも笑顔を絶やさない明るい女の子で、頬に浮かぶえくぼは、街のみんなを笑顔にさせました。まるで水面に波紋が広がるように、彼女の笑顔が、見る者の心に伝播していくのです。
「エミの笑顔はみんなに力を与えるね」
隣のおばあちゃんの言葉に、エミは誇らしい気持ちになりました。
あるとき、地球の環境汚染が進み、人が住めない土地がどんどんと増えていきました。
エミの住む街も汚染された水源や土壌となり、人が住めないようになってしまいました。エミや街のみんなは、これまで住んできた土地を捨て、政府の用意したスマートシティへの移住をしなければなりません。
スマートシティは人間の居住のために新たに作られた街で、最先端のインフラや科学を使って、快適に生活できると謳われていました。
しかし街のみんなは、政府の強引な方針に反対しました。
スマートシティでは政府によって個人が厳重に管理され、自由も選択肢もないようなところだと噂されていたからです。なにより街の人々もバラバラに暮らさなければなりません。
街のみんなは、役所へ抗議しにいきますが、職員は一向に聞き入れてくれません。
「多くの自治体で同じように移住を進めているため、あなた方も従ってください」と突っぱねられるだけでした。
住民たちは落胆し、しぶしぶ移住を決断する者が増え始めました。
街全体が淀んだ雰囲気に包まれる中、エミはみんなを元気づけるため、必死に笑顔でいました。
住民たちはエミとすれ違うと、つられて笑顔になり、エミに感謝しました。
すると隣のおばあちゃんがこんなことを言いました。
「エミちゃんのえくぼに住めたらいいのにねぇ」
その言葉にエミは目を輝かせました。
家族のような存在のおばあちゃんと離れずに暮らせるなんて夢のようでした。
「うん。私、ずっと笑っているよ。絶対に来てね」
エミは弾んだ声で、そういいました。
翌朝、近くから小さな声が聞こえてきました。エミが目を醒ますと、えくぼにはおばあちゃんが引っ越してきていました。エミの大きなえくぼに荷物を運んできて、これまでと変わらずに生活しています。
「エミちゃんのえくぼは広くて住みやすいね」
「ホント? 嬉しいな」
おばあちゃんの言葉に、エミは笑顔で頷きました。
これが街で大きな話題となり、大勢がエミのえくぼに移住し始めました。
エミのえくぼには街のほとんどの人が移住し、新たな生活を営み始めました。
エミのえくぼは環境には影響されず、汚染された水源や土壌もありません。管理されることも支配されることもありません。政府が用意した街よりも、よっぽど信頼できるといわれ、住民は日に日に増えて行きました。
エミもまたこれまでの生活と同じように、街の人々と生活できることを喜びました。
そのうち噂を聞きつけた他の街の住民も移住してくるようになりました。エミは喜んでそれを受け入れていき、えくぼはどんどんと賑やかになっていきました。
エミのえくぼが新たな街になって数ヶ月が経った頃、エミの元に一通の手紙が届きました。
見てみるとそれは両親が勤めている環境省からでした。
両親の近況のことだと期待したエミは口角を上げてえくぼを大きくさせました。
しかし手紙を開くと、そこには堅苦しくて難しい表現の文章が並んでいました。
そして読み進めていくと、両親が出張先で亡くなったと書かれていました。環境が悪化していく一方で、不満が溜まった市民団体に殺されてしまったのです。
エミは顔面蒼白になり、生まれて初めて笑うことを忘れてしまいました。瞳からは大粒の涙が溢れてきます。
エミのえくぼが無くなってしまったので、住んでいた人々は追い出されてしまいました。
街のみんなは騒然としていましたが、泣いているエミを見つけて慰めます。
家族同然である街のみんなからの言葉は、エミを勇気づけました。街のみんなは、エミ1人に頼っていたことを反省し、力を合わせて暮らしていこうと提案しました。
エミは街のみんなの心遣いに感謝しました。そしてすぐに立ち直り、再びえくぼを作れるようにすると意気込みました。
しかし他の街から移住してきた人たちは、納得がいきません。
様子を窺っていた男の1人が声を挙げます。
「おい! 早く俺たちをえくぼに戻してくれ」
その言葉を皮切りに、次々と不満の声が大きくなっていきました。
氾濫した川の濁流のように、エミや街のみんなを飲み込んでいきます。みんなが必死に収めようとしますが、一度起きた混乱は酷くなるばかりでした。
おばあちゃんが転倒させられたことで、小競り合いから取っ組み合いの抗争へと発展しました。
街のみんなは傷つけられ、エミは男に拉致されてしまいました。
それからエミはどこかの暗い鉄格子の中で逃げられないように手足を繋がれ、笑うことを強要される日々でした。
しかしどれだけ頑張っても、以前のように笑えません。街のみんなのことが心配で、身体が震えました。
男はエミに暴力を振るい、笑わせようとしました。しかしエミが無理やり口角を上げてみても、とても以前のように人が住めるような環境ではありませんでした。
エミは利用価値がないと判断されて、ただの捕虜として生きていくことになりました。
鉄格子からは、エミの虚ろな笑い声が聞こえてきます。