腹が減ったら戦に負けた
その日の目覚めは最悪だった
夢を見ていたようだ
夢の中でおれは
極上の食事にありつく寸前だった
あと一歩というところで
あろうことか
自分の腹の虫で目が覚めてしまった
思い出すだけでも腹が減る
思えばここのところ
ロクな食生活を送っていないからな
眠気覚ましに顔を洗い
鏡を見たら
目は血走っているし
口の端からヨダレの跡が
ナメクジの這った跡のようにこびり付いていた
なんと無様な格好だろうか
一通り身支度を整えて
ソファに腰掛ける
どうも落ち着かない
あんな夢を見たからか
込み上げる食欲を抑えきれない
とにかく何か
何か口に入れなければ・・・
乱暴に冷蔵庫をあけ
真空パック入りの赤黒い液体を喉に流し込む
これが死ぬほどマズイ
何故そんなものをって?
そう、何を隠そう
おれは吸血鬼なのだ
ちなみに、このクッソ不味い液体はネズミの血だ
老いも病もない代わりに
血液以外のものを口に入れても
食欲を満たせない体質というわけだ
これがなかなかに面倒くさい
生まれつきそうだったわけじゃあない
だが、どうしてこうなっちまったのか
いつからこうなっちまったのか
今じゃほとんど憶えちゃいない
それこそ気の遠くなるような昔の話
憶えてろっていうほうが無理ってもんさ
気づいたら袋の血は空になっていた
チクショウめ!
コイツであと3日は誤魔化すつもりだったのだが・・・
さらに困ったことに
腹の虫はまだ収まらない
むしろマズイ飯を放り込まれたことに
いたくご立腹であるらしい
どうにもこうにも
いてもたってもいられない衝動に
突き動かされながら玄関のドアを乱暴に蹴り開け
真夜中の街へと躍り出た
煌々と街灯が街を照らしていた
初めて見た時こそ、その明るさに面食らったが
今では慣れたものだ
あの頃から
丁度この街灯が姿を現すようになった頃から
おれたち吸血鬼の生活事情は急激に変わってしまった
それまでは
闇に紛れて人知れず
食いたいだけ食えた それでよかった
今じゃどこを探しても
完全な闇夜なんて存在しないし
人一人いなくなっただけで大騒ぎだ
おいそれと狩りもできやしない
だから代替品で渇きを凌いでいる
だが、今夜ばかりは
そんなことも言っていられない
なんとしても
一人、一人でいい
人間を頂かねば収まらん
なるべく人目につかないところ
そしてなるべく、騒ぎにならないように
と、わずかに残った理性で
作戦を練りながら
裏通りへ出た
ここなら人通りもないし
なんとかなるだろう
我ながら杜撰にも程があるが
もう細かいことを考える余裕すらなくなってきている
あとは通りすがり第一号に
悲鳴もあげる間もなく仕留めればいい
どうにでもなれ!
そうこうしている内
遠目に人影を捉えた
裏通りで明かりも少ないが
吸血鬼というのは夜行性
夜目が利くように出来ているのだ
動きは手にとるようにわかる
状況はこちらに有利
嬌声をあげる腹の虫を押さえ込み
口の端から溢れるヨダレをぬぐい
一歩一歩距離を縮めていく
よく見ると、相手は女のようだ
それもまだ若い
ふと、デジャヴを感じた
これは夢で見たのと同じ光景ではないか
するとあれは正夢であったのか…?
もう何歩もすればすれ違う
至福の瞬間へのカウントダウンがはじまった
あと3歩…
2歩…
1歩…
ガブリ!!
…ん?
噛み付いた瞬間
悪寒が背筋を伝った
血液凝固因子製剤だ…!
どうやらこの女
病気か何かで投薬を受けているらしい
なんてこった…
この女の血液を飲んだということは
俺の体に流れる血液も
その影響を受けると言うことに他ならない
死にはしないものの
以前もそれでひどい目にあったのだ
しかしもう遅い
口の中に血の味が広がっていく
せっかく久しぶりに
まともな食事にありつけるとおもったら
ご覧のありさまだ
泣けてくる
こんな時だというのに腹の虫は嬉しそうに唸っていた
思えば全部こいつのせいだ
コイツがワガママを言わなければ
こんなことにならずに済んだのに
コイツが俺を駆り立てなければ
この事態だって避けられたかもしれないのに
もう気分が悪くなってきた
これは2,3日は何も口にできそうにないな
フラフラになりながら
獲物の後片付けをして
寝床についた
もう当分は不味い血でいい
そう思った