98:激情の猿人姫
「ああ、ツァイリーならそういう事もあるだろうな」
私、レイアの動きに反発しているとメイレンに聞かせたところ、出た返事がコレである。
ミントらを中心とした我が配下らの大半は旧知の、族長一族の姫に対するこのコメントに軽く引いていた。が、その一方で獣人系魔人族からは半ば納得の態度が。
それもそのはず。獣人系の魔人族は腕力……個人の武勇によって敬意を集める傾向が強い。
仮に噂に名高い強者だからと、一当ても無しで降るも同然の関係に甘んじるのはプライドが許さない。特に種族全体で傭兵として鳴らしているベイジ族にとっては、むしろ噂に聞く相手と戦うのを楽しみにするくらいでなければ落胆を招く、と。
そんなであるから、身体能力強化術を苦手とする我が筆頭魔獣使いルカへの評価は辛く、降る前に一当てしたものの茶番同然であったアジーンへの態度は冷淡になる。
リーダーに力が必要だというのはその通り。諸々の外敵にされるがままの者についてこうとする者はいまい。
しかしその力が武勇のみに偏っているというのは実にもったいない話で、あんまりにもあんまりな程の脳筋度合いではある。が、それが相手の価値観であるならば、それで認めさせてやれば良いだけ。
実にシンプルな話だ。
「随分と余裕たっぷりじゃない。この私を前にしてボケっと考え事とは」
そう私に声をかけたのは、メイレンと同じ黒髪を縄のように編んで垂らした若い女。
ツリ目を挑発的に輝かせ、長い猿の尾を揺らして構えるツァイリーその人だ。
これまたメイレンでお馴染みの深いスリットの入った武闘着。
これを纏った彼女と鎧下姿の私が向き合うのは観客席に囲まれた闘技場。そして対峙する我々を見下ろすのは様々な獣の特徴をその身に顕した人間達。連合の代表者たちだ。
今回の訪問で予定していたとおりに、挨拶としての試合というわけだ。
「そう思ったのなら打ち込んてくれば良かったろうに。ここに立った段階で戦いは始まっているのだから、数少ないチャンスに乗った事を責めはしないぞ」
私を見上げてくる獰猛な視線に軽い挑発を。これをツァイリーは鼻で笑い飛ばす。
「それで終わらせてはつまらないじゃない。誰の目にも明らかな形で叩きのめしてやらねば、誰が真に上に立つべきかの証明にはならないのよ」
そう言ってツァイリーはチラリと観客席に。
その視線の先には焼き腸詰めを頬張りながらこちらを見るメイレンの姿が。
ふむ。誰よりも見せつけたいのは我が料理人殿に、か。
まあそれを察したところでわざわざ言いふらす野暮はするまい。しかしそうだな。私も万一にもメイレンに目標に値しないとがっかりさせるような事をしてはならんな。
彼女相手のみに限った話ではないが、そこのところは肝に銘じておかねばなるまい。
それを改めて意識させてくれた相手をこれ以上に待たせるのも悪い。というわけで私もまた半身の構えでツァイリーに向き合う。
これを合図と取ってか、瞬く間に私の目の前に現れる小柄な猿娘。その鋭い蹴りを左腕で受け流しつつバックステップ。しかしツァイリーは着地するよりも前にこれを追いかけてきて見せる。
「風の波動術か」
「へえ? メイレンに聞いてた……って訳は無いか。初見で見切るとは大したもん、ね!」
身体強化に風を掛け合わせての機動力。地面ばかりか空も蹴って間合いを詰めてくる彼女の連撃を受け止め、捌いていく。
正拳、裏拳、肘、膝、貫手に加えて尻尾。回転するように絶え間なく繰り出される打撃はまさにガトリングか。しかし連打でありながらひとつひとつが軽いわけではない。
これほどの武、才に弛まぬ努力を掛け合わせねば身につける事は出来まい。
「そなたこそ大した武術だ。是非とも部下に加えたいと思うがどうか?」
「あっさりと……涼しい顔で捌き続けながらよくも言うわね! それに、こんな準備運動段階で上に立ったつもりでいられても困るんだけどッ!?」
私の誘いを暴風を纏った足で文字通りに蹴って跳躍。仕切り直しとばかりに大きく間合いを開けたツァイリーは、手の内に握っていた光の玉を投げつけてくる。
圧縮された波動エネルギーの塊。これに私は指先サイズの同じものを飛ばしてぶつける。これを引き金に私とツァイリーのエネルギーは絡まり合うように爆発を。
「着地狙いすらしようとしないとは、ずいぶんと軽く見てくれてるじゃないの!!」
「そんなつもりは無いのだがな」
ただツァイリー側の全力を受け止めて、その上で抑え込んでやろう。そんな計画なだけで。
そんな侮っているつもりは無いという私の言葉は受け取ってもらえたかどうか。ツァイリーはジグザグにステップを踏みながらエネルギーボールを私に投げつけ続けてくる。
これを私はまた先と同じように小さなエネルギー弾で迎撃、相殺してやる。
「しかし、軽く見ているというのならそちらではないか? この程度がメイレンの認める実力者のはずはあるまい」
爆ぜたエネルギーの生み出すカーテン。視界を遮るその向こうに遊びが過ぎると声を投げる。
すると渦巻くエネルギーを貫いて突っ込んでくるものが。
平手でパリィしたそれは鋭利に研がれた波動エネルギー。薄く、鋭く刃としての特性を持たせた力だ。出力差は別にして、私のエナジー・ソードウィップを切り離して飛ばせば近い形になるか。
そしてこのエネルギーブレードに隠れ、煙幕を突き破って来た者に拳を合わせる。
瞬間、私とツァイリーのぶつけ合った拳と拳から衝撃が波紋と連なり弾ける。
「ふむ。よく練られている」
「なめるなぁッ!!」
目眩ましを晴らさず、しかし無視するには危うい力を含んだ刃。そしてそれに隠れるほどに息を殺し、かつぶつける瞬間には寸分違わずに練り上げたそれを解き放つ。生半な修練で出来る事では無い。
それを素直に口にしたのだが、まあこの状況では鼻につくか。
そんな己のやらかしに恥じ入りつつ、激昂したベイジの姫からの怒涛の打撃を捌きかわしていく。
この打撃の中にふと雫の感触が。汗とはまた違う熱を含んだそれの出どころはツァイリーの両の目。私を怨敵見据えて輝くそこからだ。
「なんで……なんでアンタなのよ! メイレンが腰を落ち着けた先が……なんでッ!!」
「良い修行場になってくれている。というのがメイレンからの私評だな」
「そんな事は手紙で見ているッ!!」
拳打の雨に混じった涙声の恨み節。これにマトモに返したところ、この試合中一等重く鋭い拳が突き上げられる。これを受け止め押し返すよりも早く、ツァイリーはその尾と道着の裾を翻す。
「なら私でも良かったはずだろうに!」
触れた拳を軸に振るわれた蹴り。私とメイレン、二人に向けた憤りを乗せたこれが私の頬をしたたかに打つ。
この威力にはたまらず私の頭も大きく横に流される。
「だのにアイツは! 私に勝って旅立って! その挙げ句に只人の下なんぞに腰を落ち着けるなんてマネをぉッ!!」
蹴りの勢い任せに握ろうとする私の手を振り解き、ツァイリーは激情と乱打を叩きつけてくる。
先ほどまでとは違い、一方的に打撃を浴び続ける私の姿に客席からはどよめきの声が。
そうして荒ぶる感情に任せて攻めて立てていたツァイリーは、乱れた息に一つ深い呼吸を挟んで拳を固める。
「お前なんかが、お前なんかがぁッ!!」
そしてトドメと放たれた渾身の一撃。これに私たちのシルエットが重なり、離れる。
しかし大きく吹き飛んだのはツァイリーの方だ。しかしカラクリという程のものでも無い。彼女の全身全霊の拳にカウンターを入れただけのこと。
闘技場と観客席とを区切る壁に叩きつけられ、そのまま崩れ落ちたツァイリーの姿に、獣人側は絶句。我が方のメンバーからは安堵の息を置いてからの歓声が上がるのであった。