93:生まれ変わったような気分だろう
「試験の結果であるが婿としての合格者は無し。これだけの条件を表立って課するような相手には、さすがにこれ以上釣書を送りつけられる事もあるまい」
部下として何なりとお使い下さいと推挙される分には大歓迎であるがな。
ああ、解放感!
そんな気持ちで、私は釣書攻勢がパタリと止んで片付いた執務机の上でのびのびと筆を走らせる。
「あ、あの……婿として認められたでも無いのに、自分がここに入ってしまっても良かったんでしょうか?」
「何を言っている? そなたはどこぞの冠持ちの子息などでは無いではないか、アーキンソン・クライズデールよ。私が目をかけたクライズデール商会の初代会長がそんな事でどうするのだ。それとも冠が買いたいのか?」
「い、いえそんな滅相も無い! 私はあくまでも商売の話でレイア殿下をお訪ねして、心の広いレイア様が知った顔だからとここまで通されただけで、はい」
そんな風に建前を並べ立てる、淡い褐色の髪の商人アーキンソン。元の名をジェームズ・ナウィス・フラマンという。
そう、フラマン怜冠家の妾腹長男という御家騒動の種となる生まれを捨て、心機一転に身を立て始めたジェームズその人だ。
「そう恐縮してくれるな。新興ながら、お前が舵取りをするクライズデール商会のおかげで皇国の金回りは実にスムーズになった」
「と、とんでもない! すべてはミエスク摂政の特別な計らいの数々があってこそ! 摂政殿下が後ろ楯としてお引き立て、御領地の名産品の数々を預けて下さっていなかったら、私のような若輩ではとてもとても……」
「私は土台を整えたまでよ。その上で各地の冠持ちらを相手に働く海千山千の者らから信用を勝ち得て、金と品の流れを滑らかにして見せたのはそなたの人柄と商才あってこそだ。誇って良い」
「い、いやいやいや。私はただどちらもがきちんと得を、必要なものを適正に得られるように調節しているだけで……むしろ関わるところに少しでも気になるところを見つけてはでしゃばってしまっていると反省するばかりでして……」
「それが評価されているのだろう。ただのお人好しでもなく、いずれは経済を蝕む不当な利から顧客はもちろん商人も守るその姿勢はまさに私が求めていた資質だ」
「光栄です。光栄ですが私はそんな……」
うーむ止まぬ謙遜。まあそれも無理もないか。ジェームズがアーキンソンとなる事、そしてその後に任せる仕事についても、随分と手を出したからな。
私に婿入り出来なかったジェームズは実家に帰ってその事を報告。それをきっかけに異母弟からそれまで実家で預かっていた兵站周りの権限を剥奪される事となってしまった。
さらに屋敷に軟禁されてしまったところで私の手の者が救出。部屋には遺書と遺髪となる髪の一房。そして毒の空き瓶を残して。
そんなこれ見よがしな自害の証拠を置いて、本人の身柄だけは無事に新たな主君の元へ。そうして本人は新たな人生を得てのびのびと、妾腹長男を捨てた実家の方は急な病死として外向けに語り、継承問題が解決と。そういう寸法だ。
これはジェームズに限った話ではなく、他の候補者の大半がそうだ。
放逐されて行き場が無いので。と、自分の足で私に仕官を願い出に出てこれた者はまだ良い。ジェームズとほぼ同じパターンで救出する形になったものも少なくないのだ。
貴族社会の世知辛いところよな。
いわば後継者候補のリストラクチャーの悲哀といったところか。
貴族家というのは、ある種一族経営の企業と例えてもいい。
一族経営であるのだから当然、主の子は後継者候補として育成される。のだが、これまた当然の話として主の椅子は一つしかない。きちんとした嫡子に継がせられたのなら家としてそれはいい。だが問題として残るのは後継者の兄弟たちだ。
分家として興して一部業務を負担させれば良い。
それは一つの正解で、まさに理想的な解決法だ。後に乗っ取りが発生し得るデメリットはあるが、逆に本家断絶の危機をカバー出来るメリットもある。
だがそんな理想を実現出来る程に余裕のある家など無い。というのが現実だ。
大きな家ならば最初はそのように領地を預けたりなどして、人材の割り当てができていただろう。
だが土地も事業も有限だ。
巨大な宝石があったとして、それを細かくして分けて行けば一人一人の手に残るそれの価値はどんどんと落ちていく。その果てには名に実力の伴わぬハリボテの大家が残るのみ、と言うわけだ。
税を取り立て、贅を尽くして暮らしているように見えるものだろうが、その格式を借金してまで取り繕っているようなところも珍しくは無い。
しかし御家断絶は倒産も同然。一族はもとより仕える臣下を路頭に迷わせ、民にいらぬ混乱をまき散らすことになる。
そうさせぬためにも後継者は作り、育てねばならない。そして一人だけではひょんな事で消えてしまいかねない。だから複数を育成するも、枠は一つ。そして予備なりに高等な教育を受けた人材はそれなりの役職を求めるもので。
安直な手段が生じるのも無理もない事ではある。もったいない話であるがな。
「その思いのおかげで、こうして心機一転に肌に合った仕事に勤しめる訳ですから、レイア様には感謝しかありませんよ」
「さて、皆が皆アーキンソンのようにそう思ってくれていれば良いがな」
実家から切られた人材だからと、新しい名前と役職を与えて拾い上げた。が、見方によっては人攫いではある。
向こうから切られたとはいえ、生家との繋がりとこれまでの実績を断った事に思うところのあるものがいてもおかしくは無い。
「今は配下として仕えておいて、いずれは私を討ち取ってこの座を奪い取ろう。そんな企みの持ち主も混じっているやも知れぬぞ」
「それは……私も人の心の奥底が読めるわけでも無いので、絶対に無いとは言いきれませんが……むしろレイア様としてはそんなのがいるのをお望みなのでは?」
「それは、そうでもあるがな」
笑みを浮かべて返す私に、アーキンソンは照れた顔を隠すようにうつむく。
彼が指摘した通り、それくらいの野心の持ち主が部下にいてくれた方が面白い。仕掛けて来たのを真っ向から叩きのめすも良し、部下暮らしで牙と野心が折れるのを見届けるのもまたそれはそれで。
いずれにせよ野心の強さは行動力にも繋がる。気性の荒い馬と思えば楽しみようはある。本当に私を打ちのめせる者が現れるのならば、私としても挑戦者側に回る面白みがあるからな。
「しかし、人を見ると言えばレイア様の人材配置はまさに妙技の一言。我が商会に回してもらった人材も水を得た魚の如し。これはまるで心身の持つ適性を一目に見切っているのではないかと皆が口々に」
「それは持ち上げすぎだぞアーキンソン。私とてただ見るだけで個々人の強みが見切れるような慧眼は持ち合わせていないとも」
今回の救出劇で得た人材に関して言えば、試験の結果とその過程を観察することでその適性を深く探れたのが大きい。
そうでなければちょっと顔を合わせただけの人間が持つ、強みや性質など分かるものか。政治と面談の場は二枚舌度合いを競うショーなのだからな。
「やらせてみなければ本当に向いているかどうかなど分からんさ。それこそ本人にすらな。今回はさんざんに篩落としを繰り返したからな」
「ははは……あの試験の数々は本当に大変でしたよ。これから教育期間でもあんな感じのが課されるのかと思うとちょっと同情してしまいますよ」
「そなたらにやったのレベルのはそうそう無いはずだぞ。当然求める人材のレベルによって難易度は変わるものだが、身の丈に合わせれば当人には厳しくはなるだろうな」
私の言葉に課した試験のすべてをこなしたアーキンソンは苦笑を。彼ほどの人材はそうそう出ては来ないだろうが、見どころのある人材を得るためには教育とその習得の把握は必須であるからな。